■ ロンドンのコーヒーハウス

 1652年、パスカ・ロゼーによってロンドン最初のコーヒーハウスがコーンヒルのセント・マイケル通りにオープンしました。パスカ・ロゼーは、ダニエル・エドワーズというロンドンの商人がトルコへ行った際に連れ帰った人物で、アルメニア人もしくはギリシャ人と言われています。当初ロゼーはエドワーズのためにコーヒーを入れていましたが、その珍しさから来客があまりにも多くなり、エドワーズはパスカ・ロゼーにコーヒーハウスを開くことを許しました。この店の開店をきっかけとして、コーヒーハウスとコーヒー飲用の習慣はまたたくまにイギリス中に広がっていったのです。
 英語によるコーヒー最初の広告は、このパスカ・ロゼーが出したチラシです。その中で、コーヒーの効能を次のように紹介しています。「コーヒー・ドリンクの効用。パスカ・ロゼーによってイギリス初お目見え。・この飲み物は、淡泊で口当たりがよく、熱さましに効果がある。・毒気を抑えることにすぐれ、頭痛に効く。水腫、痛風、懐血病の予防と治療、また妊婦の流産予防にすぐれている。・3時間ないし4時間、睡眠を妨げる」などと、さまざまな効能が記されています。

 17世紀半ば、ロンドンに誕生したコーヒーハウスはまたたく間にその数を増し、18世紀初めには3千軒にまでなったと言われています。ここはもちろんコーヒーを飲む場所で、当初はアルコール禁止、食事も出しませんでした。雰囲気が悪くなるとのことで賭博も禁止。また女性の入店も最初は断られていました。しかしコーヒーという珍しい飲み物とあの独特の香りに惹かれて、多くの人が訪れたのです。入場料1ペニー、コーヒー1杯1ペニー、つまり今の日本円で700円ほどを払えば身分の区別なく出入りが可能でしたし、それこそ1日中いることもできたので、とても便利な社交場だったわけです。
 けれどもコーヒーハウスはそれだけの存在ではありませんでした。生まれたばかりの政党はここを拠点として政治論議を交わしましたし、商売人は行きつけの店を使って商談をおこないます。たとえば今日、世界有数の保険機構としてその名前を知られているロイズは、もとはと言えばロンドンにあったロイズ・コーヒー・ハウスから誕生したものです。さらに大事なのは、この頃から数多く現れてきた新聞、雑誌がここへ来れば無料で読めましたし、字が読めない人のために音読してくれる人もいたのです。また逆にジャーナリストがしばしば出入りしてニュースを集めることもできました。あるいは文人たちもここに集って、文学論の花が咲きます。現在でもイギリスを代表する雑誌の一つとして名前が知られている『スペクテイター』は、18世紀初頭のこうした雰囲気の中から誕生したものです。その意味でコーヒーハウスは近代の政治、社会、文化の発展に大きな役割を果たしたと言えるでしょう。

 女人禁制という場で、男たちはコーヒーハウスに入りびたり家庭を顧みなかった。そこで、女性たちの反乱が起きたのです。

家庭の主婦によるコーヒー反対の請願書
真に性愛の自由の守り手である人々に  
コーヒーという名の人体をひからびさせ 
 衰弱させる液体の過度の飲用が     
その性に及ぼす大いなる不都合について 
 反省を求める為に提出される女性の請願書

 現代でも超刺激的な文面で赤面してしまう内容ですが、1674年にコーヒー店反対のスローガンのもとに主婦が総決起してこんな請願書を市長に提出し、市中にも沢山配布したのでした。

 

 そんな理由でイギリスのコーヒーは衰退した訳ではないのですが、そのころ、コーヒー貿易競争でイギリスはオランダに負けてしまいます。イギリスの植民地セイロンでのコーヒー栽培が疫病で全滅してしまいます。オランダがジャワで栽培に成功し、1730年以降モカを駆逐してヨーロッパ貿易を独占しました。当然イギリスではコーヒーは急騰し、かわりに紅茶の輸入を促進し宣伝に力を入れるようになりました。もともと紅茶はコーヒーよりもかなり高いものでしたが、一部のコーヒーハウスでコーヒーとともに売られるようになります。

 イギリスのコーヒーハウスはどんどんクラブの性格が強くなり、閉鎖的な集団が形成され、本来の自由で開かれた社交場の雰囲気が失われていきました。女性の出入りを禁止したため、コーヒーはコーヒーハウスでだけの男の飲み物として存在し、家庭の飲み物として主婦の支持を得、地位を確立することは出来ませんでした。不老長寿の飲み物として茶は宣伝され、次第に多くのコーヒーハウスでも飲まれるようになり、そのうちコーヒーを凌ぐほどの人気となり、全てのコーヒーハウスで茶がふるまわれるようになりました。

  この風潮に目を付けたのが、トーマス・トワイニングという、どこかで聞いたことがある名前の人物でした。1706年にテベロー広場のテンプルの近く立地条件の優れた場所に、新しい形の「トムのコーヒーハウス」をオープンしました。この店は2つの大きな特徴をもってスタートしました。まず、紅茶に特に重点を置き、紅茶専門店として紅茶のブレンドを客に選ばせました。

 次に、女人禁制を打破して、女性客を歓迎しました。紅茶の人気が上昇し、繁盛したこの店のとなりに、1717年「ゴールデン・ライオン」という紅茶の小売専門店の店を作ります。世界的に有名なトワイニング紅茶はこの店から始まりました。コーヒーにとって変わることになる紅茶が初めてふるまわれたのがコーヒーハウスだったていうのも皮肉ですが、女性を歓迎した最初の店もティーガーデンではなくコーヒーハウスだったというわけです。こうしてクラブ化と女人禁制に反発を感じていた女性層に大歓迎され、女性を通じて紅茶は一般大衆の家庭に定着する糸口となりました。

 

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