■ 2018年4月 ブログ

天に近づく

 花桃の里を離れる際、近くにある「ヘブンスそのはら」に行きたいと妻が言うので、数年ぶりに立ち寄ることにしました。立ち寄るといってもヘブンスと言うだけあって、天に昇るような高低差があり、ロープウェイで標高800mから1,400mまで行き、さらに、展望台リストで1,600mの展望台に上がります。南アルプスを一望する景色を楽しめるのですが、残念ながら少し曇ってしまい綺麗な稜線を見ることができません。

 山頂駅からの遊歩道では、春の山野草や高山植物が芽吹き始めており、「森林セラピーロード®」に認定されている「いわなの森遊歩道」や「水芭蕉の小径」を散策していると、たった3株しかないという「黄色水芭蕉」を見つけることができました。

 地上から天に近づいてみたものの、実際に天に行くには少し早すぎるので、森林セラピーロードを歩きながら、癒しの気分を味わって「天国とはどんな場所なのか?はたまた存在しないものなのか?」などど頭を巡らしながら、現実世界に舞い戻ってきたのでした。

 

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花桃の里へ

 今日は、阿智村へ花桃を見るために妻とドライブです。伊那谷から木曽谷を結ぶ国道256号線は「はなもも街道」といわれ、約40kmにわたり10,000本の花桃が植えられています。本来ならば昼神温泉から阿智村役場周辺が見頃となるのですが、今年は桜や藤といった花の開花が平年よりも早いように、花桃も落下がしている所が目立ちます。そこで、標高の高い月川温泉周辺に向かってみると、一部に花の落下が始まっているものの、まだまだ見ごたえのある花桃を見ることができました。
 赤、白、ピンクの3色の花が咲き誇る景色のグラデーションに見とれながら散策し、花桃まつり期間中に設けられた、地元農産物や加工品が並ぶテントで買い物に夢中となっている妻を横目に、月川温泉郷一体に植えられた約5,000本の花桃を再び眺めているのでした。
 ところで、名前に“桃”と付く花桃ですが、食用の桃と花桃はまったくの別物で、果実ではなく“花”を楽しむ観賞用の園芸種として開発された品種だそうです。阿智村で花桃が盛んに植えられた歴史は大正11年までさかのぼり、福沢諭吉の娘婿にあたる福沢桃介氏が、ミュンヘンで見た3色の花桃の美しさに感動し、3本の苗を購入したことからスタートします。日本に帰った桃介氏は、自身が社長を務めていた須原発電所(長野県大桑村)の構内に、持ち帰った花桃を植えました。

 その後、発電所に勤めていた妻籠宿(南木曽町)出身の藤原長司が、阿智村へと続く妻籠の国道256線沿いに植栽し(昭和23年)、これが、車窓から花見が楽しめる「はなもも街道」の始まりと言われています。

 月川温泉「野熊の庄 月川」近くの駐車場から散策道を通って歩きましたが、観光客も多くて賑やかな光景の中、神橋の上に泳ぐ鯉のぼりと花桃が何とも素敵な気分にさせてくれました。

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嬉しい贈り物

 開業前の準備から手伝ってくれた友人が、日本海で釣り上げた鯛を開店記念に合わせて持参してくれました。本当に嬉しい贈り物です。さっそく今夜にも刺身と塩焼きにし、家族で美味しくいただくことにします。

 あらかじめ内臓と鱗がとってあるので、手間が省けて有難い反面、彼の自宅の台所は大変なことになっていたようで、奥さんから厳しい指摘をタンマリ受けたそうです。どこの家庭も同じで、男が片づけた程度では奥さんは満足されないようですね。ま~、それで上手くバランスがとれているので良いのでしょうが。

 昨日から開店3周年用に準備した品をお配りしていますが、逆に贈り物を頂く立場となると妙な気分になります。本来感謝すべき人からだと尚更で、どんな形でお礼しようか考てみたりするものの、結局、長く続けることが最大のお礼かも知れないと思ったりするのです。

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ブログで記録する

 開業1年前からブログという形で日々の出来事などを記録しており、そのために利用しているのがjimdoという無料サイトです。不自由な点が多いものの、広告が勝手に挿入されないうえ、シェアボタンを外すこともできるので意外に重宝しています。別に「いいね!」が欲しい訳でもなく、記録した情報を流布してもらいたい訳でもないので、営業日誌のように気づいたことを記録したり、昔の事を懐かしむような年齢になった頃に読み返し、「あんな事もあったっけ!」といって楽しむのが目的なのです。

 今回も他愛もない弁当の画像です。サラリーマン時代から愛妻弁当で生活しており、現在も昼食の多くは弁当なのですが、いつの頃だっか、自宅から通勤している次女が毎週金曜日に三人分の弁当を作り始めました。時々寝坊をして作れない事もありましたが、その娘が作った弁当も今年の秋には食べられなくなりそうです。妻が作る卵焼きよりも甘めで好きだったのですが、これも想いでとして記録しておきましょうか。

 そうした日常生活を記録することもありますが、ブログには珈琲屋として続けてくための経営記録も行っており、月ごとのコーヒー豆の販売推移や売り上げに対する各商品のシェアなども記録し、取り組みに対する具体的な実績を客観的に捉える試みをしています。曖昧な思い込みや想像よりも、数字やグラフに見える化することで、問題点や評価できる事柄を明確にしようとしているのです。

 これに対して、ある方から「そんなオープンにする珈琲屋なんていないよ。」と言われましたが、個人で経営しているので儲かっているはずもなく、ましてや具体的な数字ではなく割合で表示することで多少曖昧にしていることもあり、情報公開というよりも自分に対する意識づけに利用しているので気になりません。自分を見ずして人様のことを気にするなんてナンセンスですし、先ずは自分の進むべき方向性を決めてから、参考となる珈琲屋さんを見たいと思っています。それに、見られているから恥ずかしい事は出来ませんから。

 そして、もうひとつのには自分がそうであったように、新たに開業する方へのメッセージという意味合いもあります。開業前に様々な方の開業記録を調べ、どんな準備をし、何を課題として取り組んでいるのかを見てきました。いわゆる本音と思える部分がブログに綴られていることもあって、随分参考になったものです。そんなこともあって、恥を承知で、出来るだけ日々の内容を書き留めるようにしています。「あ~、バカだな~自分ならこうするのに。」でもいいし、「儲からないんだ!」でもいいのです。ただ、「楽しそうだな~」だけは伝えたいと思っています。 

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案内ハガキ

 2015年5月5日にまめ蔵をオープンし、まもなく3年になります。自家焙煎珈琲店として手探りの中で行ってきましたが、幸いにも多くの方にご利用いただいており、飲食店の生存率50%の中を生き抜いたことになりました。

 生き抜くなんて言い方をしましたが、実際のところ意識したこともなく、毎日楽しいことだけを考えながら続けてきており、この3年間はあっという間というのが正直なところで、まだまだ「あれもしたい!これもしたい!」といった事だらけです。

 そうした意欲の原動力になっているのが、コーヒー豆を購入していただいているリピーターの方々であり、一番に感謝しなければいけないと思っています。そのため、ちょっとした記念品をお渡しする準備を進めてきたので、今回の3周年に合わせて案内ハガキを発送させたところです。

 コーヒー豆を複数回購入される方を対象に連絡先を教えていただき、購入代金の割引とイベント案内や購入履歴の管理をさせていただいて、購入の際のアドバイスや話題作りに利用しています。最初の1年で約100名の方が登録され、2年で130名、3年で162名となり、今回も162枚のハガキを出しました。中にはブランクの空いてしまった方もありますが、概ねロイヤルカスタマーと言われる定期的な購入者は約3割といったところです。

 こうしたリピーターの方がいたことが、一番の励みや自信となって続けてこれました。もう1年以上来店のない方もいらっしゃいますが、1年前には元気をいただいた大切な方なので、その頃を思い出しながら感謝の気持ちを込めて出したしだいです。

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ぷらっと田楽を食らう

 昨日の定休日は前日の最高気温30度を下回り、25度程度と若干涼しくなりました。けれど、時折直射日光が指す時には、「暑い!」と思わず言ってしまいます。

 そんな気分を忘れようと、買い物の帰りに立ち寄ったのが、多治見市の虎渓公園にある吾平餅と田楽の店「若松屋」です。創業81年というだけあって少し古びれた感じはあるものの、昭和の香りがするレトロな雰囲気は何処か懐かしさがあります。屋外の屋根付きテラスで藤の花を見ながら、名物の木の芽田楽をパクリと頬張りました。

 お昼前だったこともあって客は自分ひとりだけ、母屋から2歳くらいの女の子が祖母を呼ぶ声がします。子供をあやしながら田楽を焼く女性、日陰に心地よい風が流れてタイムスリップしたような、何とも落ち着いた時間を過ごすことができました。

 時が経っても「あの○○が食べたい!」って思えるものはいいですね。流行りの物もいいけれど、やっぱり○○が食べたいと言ってもらえるよう物が名物と言えるのでしょうから、そんな記憶に残るような店にしたいものです。名物になるようなメニューはないけれど、「あの人が待っていてくれるという、マスターになれ。」というのが目標の一つなので、カウンターに座るとホッとできるようにしたいものです。

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朝ドラ・パネル展示

 2027 年のリニア中央新幹線開業を見据えた観光振興について、岐阜県は南北観光軸(東美濃ふるさと街道)と東西観光軸(いにしえ街道)に沿って取り組んできましたが、昨年7月に、東濃7市町の首長と観光協会、そして県によって構成される「ひがしみの歴史街道協議会」を設立し、魅力ある観光地づくりに取り組むことになりました。(役所的に言うと)
 というか、連続テレビ小説「半分、青い。」が東濃地区を舞台にしていることから、便乗して町おこしに利用しようという感じです。そして、「半分、青い。」活用推進部会なるものができて、『連続テレビ小説「半分、青い。」活用アクションプラン』も、朝ドラ放送開始時期に合わせて作成されました。
 今回、その中の「イベント等による誘客促進」施策の一つである、番組パネル展の開催が23日(月)~27日(金)の間、瑞浪市役所であるため、土岐市開催(5月21日)前に一足早く見に来たのです。

 市役所の入口に入ると、直ぐに主人公の家族の等身大パネルが並び、さらに奥には、番組紹介用のビデオと何枚かのパネルがあります。その他に主人公が通った高校の制服と、幼馴染みの「命名 律」と書いた紙や、岐阜工業大学の受験票等が展示されています。

 でも、「これだけ?」といったのが正直な感想で、せっかく各地域を巡回する展示ならば、ロケ地に使用されたローカルマップを作成し、市民が我が町の再発見をするような行動を促すとか、番組の時代背景を意識した当時の品物も展示するなど、「そう!そう!」って言ってもらえるような企画にして欲しいものです。

 今後も、その他にも多くのイベントが予定されているので、朝ドラの好きな方はチェックされると良いかもしれません。個人的には、そこまでの興味がある訳でもないのですが、その中で少し気になったのは便乗商売が多く、様々なグッズが作られていることに驚きました。クッキー、寒天菓子、栗きんとん入り焼き菓子、ハチミツ、どら焼きといった食品から、陶磁器を使ったマグカップ、茶碗、ピンバッチ等々、せめてドラマに登場する品物にとどめる方が良いのではと思ってしまいます。「このチャンスに儲けるぞ!」って雰囲気が余りにも出てしまい。朝ドラ終了後の反動が他人事ながら心配になってしまいます。
 そんなこと妻に話すと、「いいじゃないの、お祭り騒ぎでも。みんなで楽しむ機会が出来ただけでも。」と言われ、そんな考え方もあってもいいのかと思ったしだいです。まあ、しばらくは「半分、青い。」ブームで、街が盛り上がれば楽しいかも。確かに、ドラマに出てきた「岐阜サンバランド」ってのも、昔、夏の盆踊りの代わりにサンバで行進するイベントが行われ、数年でポシャッた事もあったっけ!なんて話題に事欠かない朝ドラですからね。

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新世界

 先日、大阪へ出かけた際にカフェ巡りやコリアンタウンを散策しましたが、これまで何度も大阪へ行くことはあっても、目的地以外に訪ねることはありませんでした。そのため、大阪観光には外せないスポットである「新世界」にも、未だに行ったこともないのです。安くて旨いB級グルメの店が軒を連ね、串カツやタコ焼きの本場である、ザ・大阪とも言うべき場所にもです。
 でも、「新世界」って名前は期待感の持てる名称です。由来を調べてみると、1903年に開かれた第五回内国勧業博覧会の跡地をベースに、1909年に大阪の財界が出資した大阪土地建物という会社が、あのあたり一帯の払い下げを受けて開発したそうです。その際に、「大都市にふさわしい模範的娯楽場を」と、パリとニューヨークを足して2で割った街を目指ということで、「新世界」いう名称で呼ばれることになったんだとか。ということは、大阪の新世界へ行けば、パリとニューヨークに行った気分になるかといえば、やはり、そこにはコテコテの大阪文化が詰まっているだけなんだろうな。(行ったことがないので。)
 新世界といえば、ブラジルにも新世界があります。それは、ポルトガル語でMundo novo(ムンドノーボ)と言われるコーヒー豆です。ムンドノーボは、インドネシアから移入されたティピカである「スマトラ」とブルボンとの交配によって生まれた品種で、1943年にサンパウロのムンドノーボ地区で交配が開始されたことから、この名前が付けられたそうです。ブルボンとは違い耐病性に強いため生産性が高く、安定して収穫できることから、ブラジルの多くの農家で栽培されており、お店で扱う2種類のブラジル産生豆にも主要な豆として含まれています。
 地球の裏側で生まれたムンドノーボは、今では遠く海を渡って沖縄の地でも育てられています。沖縄における本格的なコーヒー栽培は、戦後、和宇慶朝伝(わうけ ちょうでん)という人が、ブラジルの親戚からダンボール10箱ほどの苗を譲り受け、具志川で栽培を始めたのが最初だと言われ、和宇慶さんから教えを受けた恩納村の山城武徳(やましろ ぶとく)氏が、現在の沖縄コーヒー生産の礎を築いた人物として有名です。

 沖縄では、このムンドノーボを英語で、「ニューワールド」と読んでいます。南国イメージが強い沖縄ですが、気温がたいへん下がることもあり、コーヒー栽培には冬の時期の北風にできるだけ当てないなどの低温対策が必要となるようです。また、毎年のように襲ってくる台風も大きな障害となり、せっかく順調に生育したコーヒーの木が倒れたり飛ばされたりして大きな被害を受けることや、海水の塩分が強い風で飛ばされコーヒーの木に付着し、ときには葉焼けを起こすこともあるそうです。

 「新世界」という言葉から、大阪の新世界からブラジルのムンドノーボ、そして、沖縄のニューワールドへ話が飛びましたが、いずれも訪れたことのない場所です。せめて大阪の新世界くらいは行ってみようかと思いながら、新世界(ムンドノーボ)の入っているブラジルコーヒーを飲むことにしましょうか。

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ほうじ茶コーヒーで遊ぶ

 飲料メーカーは定番商品の他に企画商品を定期的に市場へ出し、常に顧客の目を引き付けておかなけねばなりません。コーヒー豆、焙煎方法を一見目新しいものに変えたり、コーヒーに色々なものを加えてみたりと、一発当たれば儲けもの!っていうような感覚ではないのでしょうが、そう思える商品が多々あります。
 今回も4月17日に発売された、アサヒ飲料の『ワンダ TEA COFFEE カフェラテ×焙じ茶』も、そんな企画商品の一つです。テレビのCMでは、ビートたけし、神木隆之介、川栄李奈が出演しており、「これは、お茶でもない、コーヒーでもない、ティーコーヒーなんです。」に対して「どっちやねん!」とツッコんでいますが、まさにそのとおりの飲料と言えるでしょう。
 原材料名を見てみると、牛乳、砂糖、コーヒー、脱脂粉乳、緑茶(焙じ茶)、デキストリン/乳化剤、香料、セルロース、といった物が使われています。それならば、手持ちの材料で再現してみようと思い立ち、遊んでみることにしました。
 使用したのは、ベトナムのロブスタで淹れた濃い目のコーヒー、練乳、伊藤園の「ほうじ茶」です。ビーカーにコーヒーを40cc入れた後、練乳を5g~13gと順に増やして甘さを確認し、「ほうじ茶」を少しずつ足しながら調整していきます。「ほうじ茶」の飲料を使用したこともあって、お茶の香りを増やすと飲料自体が薄くなるため、完全な再現とまではいきませんでしたが、色々試した結果は、コーヒー40cc、練乳15g、ほうじ茶70ccが一番近くなった感じです。
 こうやって遊んでみたものの、アサヒ飲料がパッケージに謳っているような、「コーヒーに茶葉を掛け合わせることで、実現するさっぱりとした後味。雑味をとことん抑え、ふわっと香るほうじ茶の余韻。すっきりゴクゴク飲みやすい、茶葉香るリフレッシュコーヒー」といった感覚は、残念ながら両方とも味わえませんでした。
 この商品、半年後にもコンビニの商品棚に並んでいるのかな~?って思いながら、自分で淹れたコーヒーでリフレッシュしたのであります。

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エラー!

 店舗の中には様々な電気機器があり、冷蔵庫や製氷機、オーブンレンジにIHヒーター等々、電気仕掛けの装置ですから、当然経年劣化や突然の故障も起きるわけです。自分で修理できるものは少ないので、買い換えるか修理を依頼することになるのですが、コンピューターのこととなると、そう簡単にはいきません。

 お店のレジ・システムは、タブレットがWi-Fiでインターネットと接続され、プリンターとキャッシャー、バーコードリーダーがタブレットとBluetooth®(ブルートゥース)でつながっており、昔のような配線でゴチャゴチャになることはありません。けれど、目に見えないからこそ故障の際には原因が分からないこともしばしばです。

 よく「○○エラー」と表示される際には、設定を再度行ったり、電源を再投入することで復旧することが多いので、慣れてしまってエラーが出ても「いつもの事だ。」と安易に考えて、原因不明でも、何とかなるだろうという油断が常にありました。

 昨日も、いつものようにレジを操作していると、「プリンターエラー」の表示が出ます。またか!と思いながら再設定を行っても、プリンターの電源を再投入しても動きません。レシートが必要なお客様だったので、冷静を装いながらも一向に回復しない状況に、焦って会話もシドロモドロになってしまいます。何とかしなければと焦るほど袋恋路にはまってしまい、最後には手書きの領収証を作成することにしますが、肝心な住所と店名のスタンプが見つかりませんでした。

 こんな情けない光景をじっと我慢して待っていただいたお客様には申し訳ないのですが、スタンプを探し出して領収証を手渡した時には正直安堵したものです。けれど、それ以降のお客様対応を考えるとレジを復旧させないといけないため、再び顔が青ざめてしまいました。半分青いどころか、青を通り過ぎて真っ白です。

 プリンターがエラーではなくて、自分の頭の中がエラーになってしまい、一度深呼吸して冷静になったフリをしてみます。(急に冷静になんかなりませんから)ゆっくり再度操作を行っていくと、タブレットのリセットを試していないことに気づきます。案の定、タブレットをリセットすると、故障が直って正常に動き始めました。「なんのこっちゃ!」とレジ・システムに八つ当たりしたくなりました。

 便利なものに囲まれているものの、いざ故障となったらダルマのように手も足も出ない自分が情けなくなりましたが、時にはエラー表示もボケ防止のシグナルだと思って、柔軟な対応が出来るように頭をマッサージしてみるのでした。

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初めてのお使い コリアンタウン編

 「大阪に行くならキムチを買って来て!」こんなことから始まった、コリアンタウンの鶴橋と生野へのお使いでした。職場の同僚に買ってもらったことのある美味しいキムチで、駅の近くにある「岡田」か「岡村」という名前だというのが、妻からの適当な指令です。

 まあ、行けば何とかなるだろうと駅を降りたものの、一歩商店街と思われるアーケードに入ると、気分は一気に「初めてのお使い」モードです。鶴橋卸売市場と鶴橋本町商店街と繋がる迷路に迷い込んでしまい、薄暗くて狭い道幅を行きかう空気が未体験の感覚になります。

 そんな迷路のような道を歩きながら、キョロキョロと店名を探しても見つかりません。そんな時に、「大阪観光するなら絶対に行くべき、鶴橋の市場とコリアンタウン。」というネット記事を思い出し、鶴橋から徒歩10分程度の生野コリアタウンへ足を延ばすことにしました。

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メンテナンス講習会

 久しぶりに大阪のなんば駅を降り、開業前に幾度となく通った富士珈機大阪本社へ向かいます。今日は、1kg焙煎機(R101)のメンテナンス講習会が行われ、焙煎機のメンテナンス方法や部品の取り換え方法等の指導を受けることになっているのです。自家焙煎店として開業を決めてから、色々な焙煎機を触ってきましたが、この富士珈機では、250g焙煎機(ディスカバリー)、1キロ焙煎機、3キロ焙煎機と何種類もテスト焙煎を行ってきたことから、担当者からも、「お久しぶりです。」と声をかけられました。確かに3年以上間があるので、久しぶり感があります。
 富士珈機は焙煎機やコーヒーミルなどの周辺機器の販売を行う、日本で一番のシェアを誇る会社なんですが、浪速の街工場の一角にある町工場といった感じの会社で、以前は一階に組み立てられた大型の焙煎機を見て、やはり焙煎機メーカーなんだと思ったものでしたが、今回行ってみると、工場部門は別に移ったようで、すっかりリフォームされています。
 急な階段を上って2階のセミナールームへ向かうと、既に何名かの参加者が集まっています。三重、奈良、京都、大阪、香川など、様々な場所から参加されており、同じ小型の焙煎機を使用していても、規模や経営スタイルは異なっているようです。しかし、意外にも自分よりも年齢の高い人が半数以上で、開業から1年から7年という点では、セカンドライフで始められた方が多いように感じました。

 焙煎機のメンテナンスについては、これまで自己流で行ってきた以上にしなくてはいけないようで、ほぼ分解状態までパーツを外して細かく説明してもらい、将来、交換しなければいけない部品についても理解できたことは有意義でした。上手にメンテナンスすれば三世代利用できるとのことでしたが、長く相棒として利用できるように手入れをしたいものです。

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「駅」から「道」へ

 今日の午後は、焙煎機メーカーの富士珈機大阪本社で行われる、1kg焙煎機のメンテナンス講習会です。これまで、マニュアル片手に自己流でメンテナンスを行っていましたが、一度きちんと教えてもらおうと思っていたので、久しぶりに最寄駅のなんば駅までやってきました。
 せっかく大阪まで行くので、少し早めに出かけて自家焙煎店を巡ってみようと、なんば駅を起点として行ける店を探して電車に乗り込みます。迷子にならないよう、乗り換えを必要としない一つの路線に限定し、千日前線・野田阪神行に乗車りこみました。
 最初に向かった店はCAFÉ BAHNHOF(カフェ バーンホーフ)福島本店です。「カフェ・バッハの創設者、田口護が設計した世界に2台しかない職人技の焙煎機(マイスター)が最高のコーヒーを作り出します。」という謳い文句に導かれて玉川駅を降り、大阪環状線の高架下を高速道路が見える方へ歩くと、コーヒーを焙煎する心地よい香りが漂います。少し歩くと周囲のテナントとは雰囲気の異なるお店が見えてきました。店内に入るとテイクアウト専門のようですが、窓側にカウンターが設けられて飲むことができるようです。
 2年ほど前までは喫茶スペースがあったようですが、梅田・三番街店のケーキが好評のため、店内の半分以上を製菓用に改装したそうで、立ち飲みスタイルでパナマのドンパチ・ゲイシャとコーヒーのシフォンケーキをいただくことにしました。自分が焼くノンオイルのシフォンケーキのような柔らかさはないものの、細かく挽いたコーヒーが練りこまれた生地から、香りが鼻に抜けていきます。一度作ってみようかと思ったしだいです。
 そんな事を考えていると、上の方から「ガタンゴトン、ガタンゴトン」と電車が通過する音が聞こえます。電車の高架橋の下にある店だと思い出しながら、「なるほど!店名がドイツ語で駅だった。」と納得したしだいです。
 次に向かった先は、なんば駅に二駅戻った西長堀駅で降り、歩いて数分の所にあるCafé Weg(カフェ ヴェーク)です。ヴェークって言いにくい名前なんですが、ドイツ語らしいです。ホームページによれば、“「Weg」はドイツ語で「道」という意味です。ドイツのことわざに“Wo ein Wille ist、ist auch ein Weg”(意志あるところに道もある)というものがあります。これまで歩いてきた人生の道のりを振り返りますと、たくさんの人たちと出会い、助けられ多くのことを学ばさせていただきました。その人達との出会いに感謝し、これからもずっと大切にしていきたいとの思いを込め名付けました。 人の輪・縁が生まれ、つながりが広がっていくカフェにしたいと思っています。”とあります。
 なるほど、人生経験を踏んだ人が始めた店だと思いきや、意外にも若くて綺麗な女性が店主でした。店内はカウンターとテーブル席が一つという小さくまとまった作りで、窓際には5kgの焙煎機が設置されています。カウンターに座るとクラッシックの音楽流れ、落ち着いた雰囲気の中で、卵サンドとペールーのコーヒーをいただきました。コーヒーを飲みながら店主の動きを見ていると、業務用の小型オーブンを使ってケーキを焼いているようです。一人で焙煎から接客にお菓子作りと、何か自分と似ているようで、容姿の全く異なる部分に気づいて、笑みがこぼれてしまいました。
 「駅」から「道」へと自家焙煎店を巡りましたが、偶然にも両方ともカフェ・バッハで修行されたようで、ドイツ語の店名を付けられているものの、規模や雰囲気の異なる店づくりをされているのでした。

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43回目の総会

 昨晩は、土岐手話サークル竹の子の総会が行なわれました。43回目となる総会ですが、地域の小さなボランティア団体というか、グループが長きに渡り、こうやって区切りとなる総会が出来ることは素晴らしいと思っています。

 今回も、市役所と社会福祉協議会から来賓を迎え、会員34名が集まっての総会となり、準備に関わってきた自分にとっても無地に終えることができて一安心といったところです。何より、こうして年に一度の機会に集まってくれるサークルのメンバーに感謝したいものです。

 来賓の方から、ボランティア団体で構成員が若いとの話がありましたが、20代の頃から続けているメンバーも多く、正直、若いとは言いにくい思いはあるものの、他のボランティア団体の多くが高齢化が進んできるだけに、それなりに若いのかもしれません。

 さあ、また一年がスタートしたって感じです。

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泣けるのか?

 ネットニュースを見ていたら、女優の有村架純が、自身のインスタグラムで主演映画『コーヒーが冷めないうちに』のクランクアップを報告したとありました。「そうか、映画化になるんだった。」と思い出しながら、映画になったら一回くらいは泣けるのかな?なんて考えています。なにせ、「本屋大賞2017」にノミネートされ、SNS上では「4回泣ける!」と評判の感涙小説だったのに、結局一度も泣けなかったのですから。
 この『コーヒーが冷めないうちに』は、川口俊和氏が主催する劇団で舞台として上演されたのち、川口氏自身により書籍化され作品です。物語の舞台は店内のある席に座ると望んだ時間に戻れるという都市伝説のある喫茶店「フニクリフニクラ」です。ただし、時間を遡るには次のような条件付きです。
・「過去に戻って何をしても現在は変わらない」
・「過去に戻る席には先客がいて、席に座れるのは先客が席を立った時だけ」
・「過去に戻れるのは、コーヒーをカップに注いでからそのコーヒーが冷めるまで。コーヒーが冷めないうちに飲み干さなくてはいけない」
・「過去に戻っても喫茶店を出ることができない」
・「過去に戻っても喫茶店を訪れたことのない人には会うことができない」
 などといったルールがあり、ストーリーを面白くするため次々とルールが加わったように思え、登場人物の人間模様が手薄になっていると感じました。
 元々舞台での作品なので、映像になれば楽しめる作品になるのではと、ちょっと期待しています。なぜなら、監督がTBS系連続ドラマ『アンナチュラル』や『リバース』(17年)など、人気ドラマの演出を手掛けてきた塚原あゆ子氏ですから。9月21日から全国東宝系で公開される日を待つことにしましょう。
 若い頃は過去に戻りたいと思ったこともありましたが、良くも悪くも自分が生きてきた時間を受け入れることの出来る年齢になったのか、過去に決断したことに対して後悔をすることがあっても、それを含めて今の自分があると考えられています。全ては現在と未来だと理解すれば、限りのある時間を生きているのだから、伝えたい想いは相手がいる間に伝えておきたいと実践しています。結局、何をやっても後悔するのかもしれませんが、気休めにはなるでしょうからね。

 私の店は過去にタイムスリップすることは出来ませんが、ちょっと美味しいコーヒーが幸せな気分にさせることぐらいでしょうか。パッとしないマスターですが、笑顔だけは飛び切りのもを提供します。

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美濃のカップ&ソーサー

 昨日から、多治見市虎渓山町にある「とうしん美濃陶芸美術館」で、『喫茶文化美濃 カップ&ソーサーの歴史』という企画展が始まりました。多くの美術館がそうであるように、休館日が月曜日なので直ぐに見に行くことが出来ません。7月1日(日)までの期間中の月曜祝日を利用し、なんとか見に行きたいと思っています。
 そんな好奇心を駆り立てられたのも、明治・大正時代に作られ欧米に輸出された椀皿から、昭和の終戦後、高度成長期から現在まで、国内向けとして作られた美濃焼の椀皿が展示され、特に明治・大正期に作られた素晴らしい意匠や製造技術に興味を持ったからです。
 しばらくの間は美術館へ行くことが出来ないので、パンフレットを眺めながら綺麗なカップ&ソーサーを眺めていると、聞いたことななかった作者やブランド名があります。「西浦焼」、「加藤重輔」、「春田春山」、「大洋商工会社」といった名前が登場し、気になって調べてみることにしました。

「西浦焼」
 江戸時代後期から代々多治見村の庄屋を勤める西浦家は初代圓治から5代まで圓治を襲名し、文政11年(1824)より陶器仲買人を始めます。幕末、2代圓治が美濃焼物取締所初代取締役を勤め、明治時代に入り3代から5代圓治が美濃焼の貿易・販売会社や製造会社を設立し、陶磁器製造、欧米諸国への輸出を行い、美濃焼の品質向上及び販路拡大を推進しました。この3代から5代までが明治時代に製造した陶磁器を「西浦焼」というそうです。
「加藤重輔」
 西浦焼が作られていた多治見市の市之倉で、染付職人として活躍していた人のようです。染付とは白地の素地にコバルト顔料(呉須絵具)による絵付けを施し、その上に釉薬をかけて焼成したものです。

「春田春山」
 現在の土岐市妻木町で生まれた春田春山は、多治見町平野で下絵職人をしていた頃に西浦焼の吹き絵に出会い、下絵吹付の研究を始めます。吹き絵とは、絵具を霧状に吹き付けて彩色する陶磁器の技法ですが、当時の吹き絵は一色を全面に吹き付けただけのものや、簡単な型を貼り付け吹き付けたものなど、単純な手法のものが多くて、技法としては軽視されていました。そんな中、春山が行った吹き絵は、富士山や鯉など日本画のように絵を描くもので、その方法が誰にも分からなかったといわれていました。

「大洋商工会社」
 西浦焼を世界に売り込むために作られた会社のようです。ニューヨークなどに店を構えるなど、名古屋でも有力な貿易会社として発展しました。現在も名古屋市東区代官町の名古屋陶磁器センター隣に、レトロな5階建の太洋商工ビルとして残されています。

 こうした素晴らしい焼き物を世に出したのが、西浦焼の名前ににもなっている5代西浦圓治でした。明治5年(1872)に窯株・仲買株制度が廃止となって生産・販売が自由化されます。多治見は美濃焼の集散地として活気にあふれますが、当時の美濃焼は日用雑器がほとんどで、粗製乱造との汚名がつくような品物が多かったようです。そんな中、美濃焼の質の向上に努め、国内外の販売に尽力したのが陶器商の5代西浦圓治だったのです。

 この5代西浦圓治は、岐阜県立多治見工業高校の前身となる「岐阜県陶磁器講習所」を開校するなど、将来の美濃焼の発展を見据え、後継者の育成に力を注いだ人であり、そのあたりを多治見工業高校の卒業生に聞いてみると、「何?・・・俺に聞くなよ。」と言われるしまつです。

 その後、何名かの製陶業の方に西浦焼について聞いてみると、「昔は素晴らしく、世界に通用する焼き物を焼いていたんだ。けれど、大量生産ばかりやって、そうした職人技がなくなってしまった。」と言う方や、特にコメントをされない大量生産している会社の方、そもそも西浦焼すら知らない方など、反応は様々でした。

 陶磁器生産日本一といわれる美濃焼の産地に暮らす自分にも、まだまだ知らないことが多いと知りました。業界とは異なる仕事をしていたものの、少しは地元の事を知ったうえで、今回の企画展を見てみようと思います。入場料が無料ですから。

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yama5ya(ヤマゴヤ)へ

 観光施設に置いてあったフリーマガジン「a un」(あうん)2018年春号に掲載されていた、恵那市美郷町佐々木にある、畑の中の食堂「yama5ya(ヤマゴヤ)」へ行ってきました。

 今回の「a un」の記事は岐阜県に移住した人たちを特集しており、三郷町という比較的近くであって、記事に掲載された写真が素敵だったこともあり、ちょっとミーハーなノリで出かけてしまったのです。そんな気分にさせたのも、記事を見たのがお昼で、お腹が空いていたからなのかもしれません。

 場所は道の駅「らっせい三郷」から恵那市中心部へ向かう途中、三郷小学校の脇の細い道へ曲がります。駐在所、診療所を過ぎると小さな木製プレートに「yama5yaココ!」と書かれた路地へ行くと、畑の先に、白くてかわいい居住スペースの建物とログハウスのカフェが見えてきます。

 本当に畑の中の食堂というだけあって、周辺には色々な作物が植えられ、そうした色とりどりの野菜を中心とした食材を使ったスープ・プレートランチ(1500円)を注文しました。待っている間、フリー・マガジンの書かれた御夫婦が移住してきた馴れ初めを読んでいると、温かな「きのこと野菜のスープ」とプレートに盛られた美味しそうな食事が運ばれます。

 店主から個々の料理の説明を受けますが、いっぱい種類があって覚えられません。唯一覚えているのが、「エビフライのような物に付けてお召し上がりください。」と言われた、プレートの中心に横たわっているフライです。食べてみると甘いニンジンで、その奥に盛られたサラダの中には、コゴミとツクシが隠れていました。目の前の小窓から見えるの畑から、採れたての野菜が盛り付けられたことを実感しながら、三郷の丘からの景色とともに食事を楽しんだのです。

 栃木のフレンチベジタリアンで経験を積んだ料理を堪能した後には、小さなカップのコーヒーとデザートが出てきます。「となりの棚に本がありますよ!」と声をかけていただいたので覗いてみると、いくつかの雑誌や本の中に「百姓かるた」が目にとまります。読み札を見ていると楽しい言葉がいくつもあり、それに合う絵札を並べて遊んでみます。

 今日は、一人でゆったりとした時間を過ごした昼食になりました。

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「日本昭和村」改め「ぎふ清流里山公園」

 美濃加茂市の平成記念公園「日本昭和村」が8日(日)に、「ぎふ清流里山公園」としてリニューアルオープンしたため、妻から「どんな感じになった見に行ってや~。」との指令を受け、過去に何度か訪れている場所がどのように変わったのか確かめるべく、早速出かけてきました。
 この公園は、岐阜県が平成15年に丘陵地約84ヘクタールを整備し、民間事業者が運営していくという公設民営方式の公園で、この頃全国各地で同様の方式が増えたため、岐阜県では初めての試で作られました。ところが、各地の農業公園の運営を手がけていた株式会社ファームから手が離れ、平成25年には日本昭和村の運営管理を、株式会社名鉄インプレス、株式会社岐阜グランドホテル、株式会社名鉄レストラン、中央コンサルタンツ株式会社、名鉄環境造園株式会社の5社による「昭和村MCグループ」が行うこととなり、それぞれの得意分野を活かして運営管理業務を行っていたのです。
 当初はそこそこ人気を集めていましたが、近年は来場者が激減してしまい、県は「昭和に郷愁を感じる世代が減っている」などと分析し、「昭和」ではなく、「里山」の魅力をPRすることで復活を目指そうと、名称も改め再スタートしたって訳です。昭和に哀愁を感じるのは団塊の世代くらいのものですから、若い世代に受けないのは当然といえば当然なんです。
 今回のリニューアルに伴って、シダックス大新東ヒューマンサービス(東京)と、同市周辺の若手農業者らでつくる「みのかもファーマーズ倶楽部」が指定管理者として運営しているので、実際に現地の様子を見てみると、さすがに入園無料ということで人では多く、入場門前に和風のカフェやテラス席、足湯コーナーなど雰囲気が良くなった気がします。けれど、旧施設で利用されていない建物が廃墟のように点在し、売店での商品棚は以前より少なく、店員さんも以前のような活気が見られません。無料なんだから仕方がないのかなと思いつつ、今度どのように変わっていくか楽しみではあります。

 公園内に設けられた施設について色々書こうと思ったものの、これがイイって物が見当たらなかったこともあり、説明ばかりの内容になってしまいました。正直、リピーターとして観光客が定着するような施設ではないように思ったしだいです。

 

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五平餅

 昨日は手話サークル竹の子の花見会でしたが、残念ながら葉桜の下での開催となったようです。毎回残った手作り五平餅の差し入れを楽しみにしていましたが、今回は好評だったようで「無くなっちゃった。」といって、帰りに店へ立ち寄ってくれました。
 この五平餅とは、島崎藤村の『夜明け前』にも登場し、「おまんは隣家の子息にお民を引き合わせて、串差しにした御幣餅をその膳に載せてすすめた。こんがりと狐色に焼けた胡桃醤油のうまそうなやつは、新夫婦の膳にも上った。吉左衛門夫婦はこの質素な、しかし心のこもった山家料理で、半蔵やお民の前途を祝福した。」とあるように、「御幣餅」と表記されています。
 五平餅の由来は島崎藤村が書いたように、神主が神事の際に左右にお払いする、あの白い紙の付いた棒のような物の御幣の形態から名が付いた説と、五平あるいは五兵衛という人物(樵であったり猟師であったり、また大工とするものもある)が飯を潰して味噌をつけて焼いて食べたのが始まりとする説があるようです。いずれにせよ、江戸時代中期頃に木曽・伊那地方の山に暮らす人々によって作られていたものが起源というのが濃厚で、米が貴重であった時代、ハレの日の食べ物として祭りや祝いの場で捧げられ、食べられていたようです。
 今では木曽・伊那地方のみならず、岐阜、三河の辺りに広く伝わって、子供の頃からの郷土料理となって親しみ、ドライブインや道の駅、峠の茶屋、高速道路のサービスエリア、スーパーのフードコート内ファストフード店でも、お好み焼きやみたらし団子、大判焼きなどとともに販売されています。豊田市においては、「豊田五平餅学会」なるものまで設立され、まちおこしに利用されてる所もあるようです。
 そんな訳で、食べられなかったことで無性に食べたくなり、道の駅へ立ち寄って五平餅を食べることにすると、偶然にも2種類の形の五平餅を販売しています。東濃地方では、五平餅の形は大きく「団子型」と「わらじ型」に分かれており、「団子型」が多くみられる地域は、中津川市を中心とした蛭川から落合、福岡、坂下、川上ときて、北は付知まで。一方の「わらじ型」は、恵那市に多くみられまれ、岩村、山岡、明智、串原、上矢作といったところはわらじ型が基本です。

 今回は贅沢にも2種類の五平餅を同時に食べることができましが、タレが思ったほど美味しくありません。サークルの仲間が作った美味しいタレの印象が強く、「五平餅を食べたぞ!」っていう満足感がないのです。仕方がないので、次回に行われる夏のバーベキューを期待して、しばらく待つことにしましょうか。

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エッグコーヒー

 昨晩、ラジオを聞いていると、『エッグコーヒーで有名な「CAFE GIANG(カフェ ジャン)」が2号店として、横浜に日本初上陸します。』とパーソナリティーが言っています。エッグコーヒー?何じゃ?ウインナーを添えたコーヒーがウインナー・コーヒーだと勘違いしていた頃のように、コーヒーの中に卵が入っているのか?はたまた、卵の中にコーヒーが入っているのか?などと想像してしまいます。
 続けて内容を聞いていると、CAFE GIANGは、ベトナムの首都・ハノイの旧市街にあるカフェの中でも古い「エッグコーヒー」発祥のカフェだそうで、1946年の牛乳が手に入りにくい時代に、現在のオーナーの父が牛乳の代わりに泡立てた鶏卵の黄身部分を使うことを考案し、エッグコーヒーが生まれたそうです。
 カフェ文化が華やかなベトナムのハノイ発祥であるこのコーヒー、現在では、卵とコンデンスミルクでカスタードクリーム状に泡立てたものをコーヒーの上にのせ、よく混ぜてから飲むそうです。クリームは濃厚でなめらかであり、まるでカスタードクリームやティラミスを飲んでいるような感覚なるんだとか。
  本当か?ってことで、早速お店に入ってからエッグコーヒーにチャレンジしてみることに。ベトナムのロブスタを挽いて、ベトナムコーヒー器具で淹れます。事前に準備した卵黄と練乳を混ぜて泡立てたものを、コーヒーの上にそっとのせ、何となくネットの画像と同じになりました。スプーンでしっかり掻き混ぜ口に含むと、普通のベトナムコーヒーが卵黄で少しなめらかになった感じです。でも、ロブスタの香りがいつまでも口の中に残ります。

 ラジオのパーソナリティーは原稿を読み上げるだけなんでしょうが、一度飲んでもらいたいものです。もっと練乳を入れれば飲みやすくなるものの、とてもカスタードクリームやティラミスを飲んでいるような感覚にはなりませんでした。「エッグコーヒー」ならぬ、「えっぐいコーヒー」というのが感想です。

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「半分、青い。」が丁度良い

 昨日の夕方来店されたお客様が、「今日は飲んでいきます。」とカウンターに座られました。普段はコーヒー豆を購入して一言二言声を交わすだけなのですが、今日はじっくり座って話ができます。(もちろん座るのはお客様で、私は立ったまま)コーヒーを淹れながら何気ない会話を始めると、意外にユニークな経験の持ち主であることが分かります。
 バッグパッカーとして世界を放浪したり、キー局の海外リポート番組のADとして世界中を巡った経験を聞きながら、コーヒーの話題を絡めて中米、南米、そしてアジアにアフリカ、さらにはヨーロッパまでの食文化や内戦にいたるまで、幅広くて楽しい話ができたのです。人は見かけによらないなんていいますが、毎日様々な方とカウンター越しに話をすることができ、申し訳ないくらい楽しんでいます。

 珈琲屋としての持続可能性を考えれば、自分が楽しむことばかり考えないで収益性や効率性も意識しなければなりません。けれど、青臭いと言われても、お客様との接点を大切にしたいと思っています。開業してから3年程の経営者としては青二才であっても、コーヒー豆という物を売るだけが仕事ではないのではないか、そう考えています。

 ところで、年が若いとか未熟という意味で使われる「青二才」。この"青"はどこから来ているのかというと、どうも、幕末にまで遡るようで、幕末になるまで男性は一人前になると前髪を剃り上げており、これを月代(さかやき)というそうです。(私は自然にそうなっています。)その剃り跡が青く見えるのは未熟である証拠だったのだということです。現在でも、熟れる前の果実を「まだ青い」といったり、未熟な瓢箪を「青瓢箪」といったりと、"青"は「未熟な」という意味で使われていますね。
 さらに、『目からうろこ!知っているようで知らない日本語』(宮腰賢著 評論社)によれば、古い日本語において、色は"赤"と"青"しかなく、緑色も"青"だったんだとか。虹の七色でいうと、赤、橙、黄色、そして紫色は"赤"、緑色、青、藍色は"青"であり、"青"はブルーだけでなく、グリーンやインジゴブルーを含むものだったのだそうです。

 自分もそこそこの年齢になったので、「半分、青い。」くらいが丁度良いし、そもそも、色の半分が青色なんだからって思えば、しばらくは今のようなスタンスで生きていきたいものです。 

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東濃弁

 『東濃地方が舞台のNHK朝の連続テレビ小説「半分、青い。」は2日、放送が始まった。「あの橋だ」「あの店だ」。女優永野芽郁さん演じるヒロイン楡野鈴愛(すずめ)の生まれ故郷「東美濃市梟(ふくろう)町」という設定でロケ撮影も行われた岐阜県恵那市岩村町では、普段見慣れた景色がドラマの舞台として映し出されるたびに住民たちが沸いた。』(岐阜新聞web版2018.4.3)

 このドラマが土岐市を含む東濃地域を舞台に撮影されたこともあって、この土岐市に関わる場所もあるようで、「あの学校は〇〇高校やて。」などの会話も店内で聞かれます。または、ドラマの中で登場した美濃タクシーについて、「美濃なんて名前やと違和感覚えるわ。美濃と東美濃は大違いやて。」といったクレームまで。さらに、方言指導している地元出身の俳優までも気に入らないようで、「同じ町の酒井敏也の方がいい。」だとか、「何なら神無月(芸人)でもええ、二人とも土岐市の観光大使やっとるから。」とかなり脱線気味です。

 確かに、「東濃」といえば中央線沿線の多治見から中津川までを意味し、「東美濃」となると、可児市や下呂市手前の加茂郡白川町まで範囲が広がるため、言葉の表現方法によっては、「どっちなの?」と思ってしまうかもしれません。でも、あくまでもドラマの設定上の話であり、リアルな再現ドラマではないのですから、多少現実と異なることがあっても気にする必要はないように思います。

 東濃弁についても、土岐市と中津川市では結構イントネーションが違ったりするので、多少の違和感もドラマの世界だと思えばいいのかもしれません。ちなみに、地元下石町で製陶業を行っている「宮公製陶所」のホームページには、以前から東濃弁用語集が掲載されています。「ワシ一人では方言か標準語かわっからへん言葉がぎょうさあるので、近所の母ちゃんらあに聞いて、バージョンアップを試みとります。」といった、緩い感じで朝ドラを楽しみたいものです。

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誘われて

 街の中を車で走っていると、公園や河川の土手には桜が満開です。土岐市には桜が咲く公園はあるものの、桜の名所といわれるような場所は無く、花見といえば多治見市の虎渓山にある「虎渓公園」へ行くといったところでしょうか。

 そんな訳で、買い物ついでに虎渓公園に行ったものの、平日なのに駐車場がいっぱいで留められません。桜を見ながら豆腐田楽でも食べようかと思っていたのですが、残念ながら諦めるしかありませんでした。そこで、思い出したように可児市兼山の『蘭丸ふる里の森』へ向かいます。

 ここは、飛騨木曽川国定公園の美しい渓谷を望む国史跡「美濃金山城跡」の麓にあり、自然林を生かした散歩道を囲むように千本桜が咲き誇っています。この町の人に聞いた覚えでは、町内の人が植樹に参加して「私の桜はこの木です。」といって話してくれた記憶があります。

 この日は桜まつりが行われており、弁当や飲み物が販売されていたものの、暑さのせいか売れ行きが悪いと嘆く声が聞こえます。春休み期間中とあって子供連れが多いのかと思えば、意外にも、高齢者のグループや介護施設のお花見行事らしい団体が目につきました。

 織田信長の小姓として有名な森蘭丸は、この兼山町で生まれ育ち18歳で金山城主になりました。織田・豊臣政権下で東美濃支配拠点としての役割をしたその場所からの眺めは、遠い戦国時代に思いを馳せることもできます。そう思って、町内にある兼山歴史民俗資料館に立ち寄ろうとしたところ、耐震診断で大地震が発生した際に倒壊する可能性が高いと診断されたとかで、一時休館となって覗くことができません。

 せっかくなので、元同僚の墓参りでも久しぶりに行こうかと車を走らせることに。珈琲屋を開業してから一度も来ていませんでしたが、墓標を前にすると十七回忌の真新しい塔婆があります。「もう十七回忌になるんだ!」と思いつつ、桜の咲くころに亡くなった彼に誘われたような気分になりました。素敵な同僚であった彼から「珈琲屋はどうよ?」って聞かれたようで、「ボチボチだよ。」と答えて帰ったしだいです。 

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一応、新年度というわけで

 4月からは一応、新年度というわけで、新入社員や新入学の話題で盛り上がり、「さあ、新しいスタートだ!」といった気分です。サラリーマン時代には毎年繰り返される区切りなのですが、珈琲屋になると必ずしもそんな気分にはなりません。そこで、気持も新たに焙煎しようと考え、定休日を利用して焙煎機のメンテナンスを行うことにしました。

 日頃行っている煙突掃除の他に、攪拌シャフトを外してパンチング穴から落ちる細かなゴミを取り除き、冷却箱の点検口を開いてコーヒーの油やカスを綺麗にします。さらに、冷却ファンをモーターベースごと外してファンを掃除し、排気ダンパーからサイクロンまでのダクトをブラシでゴシゴシと掃除しました。

 一通り掃除をして周りを見渡すと、床には細かなチリやホコリが一杯です。気が付けば着ていたシャツも黒くなっています。おかしなもので、服が汚れたのを見ると急に「掃除したぞ!」って気分になるのが不思議です。ちょっとだけ自己満足して焙煎機の掃除を終えるのでした。

 これからも長く付き合う「相棒」なので、定期的なメンテナンスを怠らないようにしたいものです。今はマニュアルを見ながらの作業ですが、近いうちに焙煎機メーカーで直接指導を受ける予定ですから、もっと細かな部分も手入れしたいと思います。

 ちょっとした新年度のスタートです。

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