■ 2018年11月 ブログ

参考になりませんが

 稀なことですが、同業他社の方が来店されることがあります。どうも何だか様子を伺いに来たのではないか?と思われるような人から、「〇〇〇です。」と挨拶される人まで、正直、人の態度を客観的に見るのは面白いものです。

 そうやって挨拶される人に答えているのが、「参考になりませんが、」、「わざわざ来るような店でもないですよ。」という言葉です。別に謙遜になって言っている訳ではなく、市場規模も小さく、有名でもない田舎の珈琲屋には、見るべきものは無いと思うからです。

 それに、地元で楽しんじゃおう!ってのが目標でやっている私では、商売を大きくしようとか、大きな夢を抱いている人にとっては至極つまらない珈琲屋なのです。儲かるか儲からないかより、楽しそうかどうかを選択基準にしており、その状態が長く続くような工夫も楽しんじゃう訳です。

 ですから、「焙煎とはこうあるべき。」とか、「目指すべき珈琲屋の姿は。」なんてものもなく、師匠や先生と呼ぶような人もいません。全て自己責任で、「ためしてガッテン」を実践する日々ですから、職人とは言えないレベルです。恥ずかしくて「焙煎人」とか「焙煎士」なんて言えなません。そして、聞かれたら何でも話しちゃう非秘密主義です。

 そんな店に、昨日も自家焙煎店の店主の方が立ち寄っていただきました。いつものごとく、「参考になりませんが、」で始まる会話でしたが、レジシステムについての話題で多少盛り上がり、わざわざ足を運んでいただいた意味があったのではないかと思います。

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延長営業

 昨晩は延長営業を行い、手話サークルの交流会会場として、仲間たちにお店を利用してもらいました。座席数が15名分しかないのに24人が利用するため、折りたたみ椅子で対応したり、あらかじめポットにコーヒーやドリンクをドリンクバーのように準備して対応します。

 また、夜7時から開始というともあり、町内の仕出し屋さんで弁当を注文し、前もって作ったサラダやレンジで調理できる簡単な物でもてなしました。家族的なサークルの仲間たちには、こんな程度で楽しんでもらえるので助かります。

 普段は9時から5時までの営業時間で、その前後に焙煎やケーキ作りなどを行い一日を過ごしているものの、年に一度ではあっても簡単な食事の準備をすることの大変さが分かります。ランチ営業をされている方の苦労が理解できると同時に、今のような一人で営業している状況では現実的に不可能だと痛感させられます。これも、やってみて初めて理解できる事であり、何事も経験してみることは大切なのです。

 明るくなったら起き、暗くなったら寝る生活が当たり前になっている自分には、こうした延長営業は馴染まないのですが、たま~に訪問される方と、コーヒー談義で7時過ぎまで会話が弾んでしまうことは許容の範囲です。

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桜・紅葉・牡丹

 お客様からの情報で、豊田市小原町で11月1日から30日まで開催されている、「小原四季桜まつり」の桜が見頃になったと聞き、隣町から国道363号へ上がります。紅葉のライトアップの終わった曽木公園の横を通って、瑞浪市陶町の八王子神社の横から国道419号を走り、小原町で一番の見頃だと言っていた「川見四季桜の里」に到着しました。確かに、ここ数年で一番見事だと言われるくらい、斜面全体が桜色に染まり、所々に紅葉が散りばめられて不思議な季節感を味わうことができます。
 この小原の四季桜は、豊田市小原北町の藤本玄碩という医師が文政年間(1818~1829)の始めに名古屋方面から苗を求めて、植えたのが親木となって広まったものと言われており、現在では地区内の四季桜の本数は、現在約10,000本もあると言います。ですから、国道を走っていれば随所に桜を見ることができ、桜は春のものだと思っている感覚では、何か別世界に紛れ込んだかのような気分にです。特に、瑞浪市から上がってくる途中には長いトンネルがあるため、「トンネルを抜けると、そこは桜だった。」といった感じなのです。
 桜を楽しだ後は、そのまま下って香嵐渓まで車を走らせます。香嵐渓でも「もみじまつり」が11月1日~30日まで行われており、先日、カウンターに座った若いお客さんがデートに行ったと聞いていたので、見頃となったこともあって足を伸ばしました。できれば、期間中ライトアップが行われているので夜がいいのですが、大渋滞となることが分かっているため、日中の時間帯を選んでみたものの、平日にも関わらず近くまで来たけれど中々前には進めません。仕方なく1km程手前の駐車場に車を留め、少し長めの散策となりました。
 香嵐渓のもみじは約380年程前に香積寺11世住職の三栄和尚によって植えられたのが始まりで、長い間、香積寺のもみじと呼ばれ、親しまれていました。その後、昭和5年に「香嵐渓」と命名され、多くの人に愛され続けており、今日も待月橋までの道には出店が連なり、多くの人たちが歩いていました。紅葉を見ているのか人を見ているのか分からないほどの人混みで、足早に散策して別の場所へ向かいます。
 その別の場所とは、足助の古い町並み沿いにある老舗和食処「井筒亀(いづかめ)」です。ここで、ぼたん鍋(猪鍋)を食べることで、「桜」、「紅葉」、「牡丹」と花札のようになるわけです。しかし、ルールを知らない私には点数が有るのか無いのか分からないのですが、イノシシを参った最後には、イノシシを食べて締めくくり、来年年男となる自分への区切りとしました。

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イノシシを参る

 来年の干支が猪という訳で、今日は名古屋市名東区の神社まで行ってきました。猪にまつわる神社としては、京都の護王神社が「いのしし神社」という別名で親しまれており、足腰の神様として人気です。猪は山の守り神、霊獣としている地域は数多くあり、古事記には、ヤマトタケルを滅ぼした、伊吹山の神である白猪が登場して、もののけ姫の「おっことぬし」のモデルとも言われているくらいです。また、猪の毛、たてがみや牙などが魔除けになるとか、猪の目をかたどった「猪目模様」(ハート型)にも魔除けの力があるといわれ、神社や仏閣はじめ、城などにも意外な場所にハート型を見つけることができます。
 そんな猪にまつわる神社の中でも、猪の文字がつく名古屋市名東区にある猪子石(いのこいし)神明社と周辺にある猪子石神社、そして関連する大石神社が今回の目的地です。猪子石(いのこいし)神明社は、平安時代初期の承和年間(834~848)に創建され、鎌倉時代後期には猪子石字水汲坂に鎮座され、その後に香流川氾濫のため、江戸時代初期に現在地へ遷座されたようです。
 実は、私が社会人になって最初に通った地が名東区で、懐かしい地名が多くあり、その頃は「いのこいし」ではなく「いのこし」と呼んでいました。猪子石の読み方は、「いのこし」と「いのこいし」が混在していて、どちらが正しくてどちらが間違いとも言えない状態になっており、一般的に地元の人間は「いのこし」と言っているようです。けれど、猪子石神明社近くにある郵便局は名古屋猪子石郵便局「なごやいのこいしゆうびんきょく」が正式な名称だったりします。
 この猪子石神明社は、猪に因んで足腰や、五穀豊穣・子孫繁栄のご利益があるとされ、境内にある末社の龍耳社は耳の神様として信仰されています。今まで干支にちなんだ参拝者が多くなかったのか、社務所に立ち寄ってお守りを受けた際、「忙しくなるんじゃないですか?」というと、「皆さんから言われますが前回の亥年はそうでもなかったんですよ。」、逆に、今年の戌神社(名古屋市西区)のフィーバーぶりや、マスコミからの照会が多くなったことから、「どうなんでしょうね?」と訊かれてしまいました。そのため、ホームページで急遽、駐車場が少ないことの周知を行ったり、来年の参拝者向けに猪に因んだ「御守」「授与品」の準備もしているようです。
 そんな猪子石神明社から西に600m程行ったところには、猪子石神社(香坂515番地)があります。そこには「牡石」と呼ばれる猪に似た石が祀られており、さらに、猪子石神社から南に600m程先には大石神社(山の手1丁目707番地)があり、やはり猪に似た「牝石」が祀られています。昔からこの二つの石はセットとして捉えられており、猪子石神社にある牡石は花崗岩で、半分埋まり、半分が露出して、大石神社にある牝石は、礫岩(れきがん)と呼ばれる火山岩で、牡石同様に半分埋まっています。牝石は噴火によって流れ出した溶岩が溶けて固まったもので、小さな石が集まってごつごつした姿から、「子持ち石」とも呼ばれ安産のご利益があるそうです。
 年末年始が混み合うことを予想し早めの参拝となりました。半分埋まった「牡石」や「牝石」のように、半分だけご利益があるのかもしれませんが、それくらいが丁度良いのかもしれません。欲張り過ぎないのが良いのです。ちなみに、「牝石」のほうは安産祈願で触れても良いのですが、「牡石」のほうは触ると祟りがあるそうですよ。
 なお、猪は足腰にご利益があるというのでお守りを受けたのですが、宮司の奥さんから「私も腰痛持ちなんです。」と言われてしまい、お守りのご利益の方は???ということかもしれません。まあ、信じるものは救われるということですかね。

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珍事か?

 今日は普段とどこか違い、朝からコーヒー豆を購入される方が何人も来店されます。気づいてみれば、何とコーヒーカップに注いだ数よりも、販売したコーヒー豆袋の数の方が多いという、これまでになかった結果となりました。

 今日が祝日ということもり、土日の分まで集中しただけなのか、そもそもコーヒーを飲みにくる方が少なかっただけなのか、正直なところ何とも言えません。むしろ、予想していなかった展開に、在庫の少なくなった生豆を慌てて注文したものの、今日が祝日であることを忘れていたので、入荷する日が火曜日となってしまいました。

 そんな訳で、急遽お客様に在庫が無い事をお詫びするPOPを作ったのですが、「このイラスト、フサフサの髪の毛あるじゃん!マスターじゃないから気持ちが伝わらない!」などど突っこまれてしまう事態になります。「そこにツッコミをいれるのか?」などと思いながらも、こんな失態を演じたことが初めてなので、今日は「珍事か?」といった一日でした。

 さて、明日と明後日はお詫びの連続となることを覚悟し、在庫のある生豆を焙煎するとしましょうか。

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コピー紙の中に写る人々

 先日、珈琲狂がお店に立ち寄られた際に頂いたのが、1975年(昭和50年)に発刊された、月刊喫茶店経営別冊 『たのしい珈琲』No.2(柴田書店)の「美濃焼 妻木町染付銅板」という記事のコピーでした。

 その記事は、1354年(文和3年)初代妻木城主土岐頼重が菩提寺として開山したといわれる祟禅寺の写真が最初に目に入り、次のページの出だしは、「妻木の町にとってコーヒーは、ハイカラな飲み物でもなければ、仕事のあいまに欠かせぬ相棒というのでもない。上野黒門町に可否茶館ができるよりも早く、コーヒーは妻木の男たちの生活の糧であった。このコーヒーカップの肉の薄さを見るがいい。精緻で、それでいて暖かいこの線を見るがいい。彼らは焼いたのだ、この山深い美濃の町で、一つ一つのカップに家族の暮らしと職人の誇りをかけて・・・」といったドラマチックな書き出しで始まります。

 実際、作っていたコーヒーカップでコーヒーを飲むこともなく、麦茶あたりを飲んでいたであろうし、家内工業の工場(こうば)では一家総出で男たちや女たちが土埃の中を、朝から晩まで働きづめであったことが地元に住む私には容易に想像できます。

 染付銅板についても同様で、共働きの両親のもとでは工場(こうば)が遊び場でもあり、小遣いをもらいに行く場所でもあり、そうした環境の中で転写(銅版転写法とよばれることから単に転写といっていた)を貼る光景は日常の中にありました。

 そもそも染付銅版とは、陶磁器用絵具を用いて銅版印刷し、紙に刷られた文様を器面に転写する絵付けのことで銅版絵付けと言います。名前からして銅版を直接あてて絵付けをすると思いがちですが、銅版によって印刷するのは紙の方で、器面へはその紙をあてて転写絵付けするのです。

  現在はシルク印刷が多くなり、銅版印刷に関わる人も少なくなってきましたが、コーヒー豆を購入されている方の中にも、原板となる銅版彫刻をされる方がいます。銅版彫刻はロウで被膜した銅板に鉄筆で文様を描き酸で腐食する、いわゆるエッチングの手法により行われます。この場合、文様の濃淡がすべて斜線で表されることに特色があり、焼成された状態を想像しながら職人技で仕上げていきます。

 そうして作られた銅版に顔料を塗り、余分な顔料を拭き取って和紙を乗せプレス機にかけます。こうして和紙に顔料が印刷されたものが「銅版転写紙」になります。この転写紙を素焼き又は生地に、あらかじめ少量の水を含ませた刷毛、またはスポンジで軽く生地を湿らせ、転写紙生地にあてて刷毛(またはスポンジ)で押さえながら、全体的に張り付くまで数回繰り返し、転写紙をゆっくりとはがすと絵付けができる仕組みです。

 この月刊喫茶店経営別冊 『たのしい珈琲』No.2が発刊された1975年には、日本ではすでにインスタント・コーヒーが輸入され、1960年に森永製菓によって発売された国産初の商品も大ブームを巻き起こした後なのですが、コーヒーに関心を持つよりも、生活の糧であるコーヒー椀にしか興味が湧かなかった時代であったことを思い出しながら、白黒写真のコピー紙に写る人々を見つめていたのでした。

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もみじ祭りの後

 昨日まで行われた「曽木公園もみじライトアップ」は賑わったようで、実行委員会のホーページには『11月18日(日)、ライトアップ最終日となった本日も、多くのお客さまにお越しいただき、10日間の開催期間としては過去最高となりました。曽木町活性化を目的にスタートしたこの事業は、町民を主とする実行委員会を中心に町内会連合会、町各種団体など地域住民が全てボランティアで参加し実施しているものです。試行錯誤を繰り返しながら回を重ねて20年…曽木公園を通して皆さんに曽木町を知っていただけたこと、皆さんと心通わせたこと…ライトアップ事業がなければできなかったことです。20年分の感謝をこめて…ありがとうございました。』とあり、20年前の手作り感がなつかしい気分になります。
 サラリーマン時代には同僚が関わっていたこともあり、その頃の関係者の努力や経緯、徐々に賑やかになっていく光景を見てきただけに、20年という月日の経過に驚かされると同時に、大きくなっていく町おこしイベントの難しさを感じます。メディアへの露出が増えたことで大渋滞が発生し、逆に足が遠のく地元の人達を見るにつけ、ちょうど良い規模にはいかないものだと思ってしまいます。
 そんな人混みだったイベント最終日の翌朝、曽木公園まで車を走らせて、静まり返った公園を一人、赤や黄色のじゅうたんを踏みしめながら歩いてみました。ライトアップされた公園が化粧を施した状態なら、今朝はスッピンのままのではあるものの、一人で紅葉を楽しむには十分美しい空間となっています。池に映る「逆さ紅葉」は見ることは出来ませんが、それが自然で素朴な小さな公園を取り戻したようで、なんだかホッとします。
 そんな曽木町では、23日(祝・金)10:00〜16:00、24日(土)9:00〜16:00の二日間、2015年3月に統合のために廃校となった旧曽木小学校で、『曽木 くらしのしるべ』というクラフト展が行われるようです。この地域で活動する作家たちが中心となり実行委員会が組織され、陶器、アクセサリー、木工、金工、布などの作品のほか、古道具や本、駄玩具など多彩な出展者が集まるようです。そのほか、各種ワークショップやフードもあるようですから、少し興味が沸いています。
 もちろんお店の営業日となるため見に行くことはできませんので、曽木公園の帰りに会場となる旧曽木小学校を覗いてみます。曽木郵便局の横を曲がると曽木支所があり、その先に校舎が見えてきますが、荒れ果てた状態のままです。こんな状態でイベントが開催できるのかと運動場へ登って行くと、校舎の壁に壊れた時計が10時50分を指したままです。
 実行委員会のホームページには、『曽木に生まれ育った人々に愛されていた学びの場、旧曽木小学校。変わらぬ姿で森とともにひっそりとたたずむこの廃校に、様々なジャンルのつくり手が集います。くらしを豊かにするモノ・コトを集め、新しい価値観と出あえる場をつくる。それが幸せな未来につながることを信じて。「新しい価値観と出会った鮮やかな記憶は いつまでも心の中に残り続け あなたのくらしの道しるべになる」かつて子どもたちで賑わったこの学び舎に、再び沢山の笑顔がこぼれますように。』とあるものの、荒れ果てた校舎の中で、再び時計の針を動かすことが出来るのだろうか?
 出店する人たちの多くが曽木に生まれ育った人々でもなければ、愛されていた学びの場でもない会場で、物販をすることが新しい価値観に出会うきっかけになあるのか?地場産業の人々が毎月のように各地のクラフト展で販売するのと何が違うのか?そうした活動が廃校になった小学校の再活用となるのか?曽木の人たちに笑顔がこぼれるのか?そんなことを思いながら旧曽木小学校を後にしたのでした。

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源内カウヒイ

 青森へ旅行したご縁か、弘前市から陶器の仕入れにやってきた方が来店されたり、土岐市内の兄の元へ来たと言って青森市から訪れた方が続きます。そういえば、春には青森市内のラジオ局でパーソナリティーをしている人も来たりして、何だか不思議な縁があると思っていると、昨日は、東京の実家へ帰った際に「藩士の珈琲」の新聞記事を見つけたと言って、わざわざ記事の切り抜きをいただきました。

 その記事の中には、『江戸の香り コーヒー再現』と題して、「藩士の珈琲」を再現した成田専蔵珈琲店の店主、成田専蔵さんの活動を紹介するものと、秋田県で陶磁器やコーヒー豆などを扱う「南蛮屋あおい」(秋田市)の店主、青井智さんが、現在の仙北市角館を訪れた平賀源内が1773年、解体新書の挿し絵や秋田蘭画などで知られる画家・小田野直武に「南蛮茶(コーヒー)」を振る舞ったとの記録を見つけ、角館ゆかりのコーヒーとして1年ほどかけて再現し商品化した「源内カウヒイ」も紹介されていました。

 「(コーヒーは)焦げくさくして味ふるに堪えず」などの古文書の記述を手掛かりに、炭火焙煎したブラジルやコロンビアなど数種のコーヒー豆をブレンドするなど試行錯誤を重ね、苦みを生かした商品に仕上げられているそうです。クラウドファンディングで資金を調達し、知人の協力を得て平賀源内作の「西洋婦人図」(神戸市立博物館蔵)を商品パッケージに使ったもので、「藩士の珈琲」同様に美味しさを追求したというより、歴史的な背景を利用して町おこしをしようという発想が楽しそうでした。

 平賀源内と南蛮茶(コーヒー)の関係が気になって、「阿仁異人館・伝承館」(北秋田市)や「平賀源内記念館」(さぬき市)の資料を見てみると、確かに平賀源内が秋田へ鉱山開発の指導に招かれていたのは事実のようです。

 『阿仁鉱山(あにこうざん)は、秋田県北秋田市にあった鉱山であり、金、銀、銅が採掘され、とくに銀鉱、銅鉱の産出が多く、1716年(享保元年)には産銅日本一となり、長崎輸出銅の主要部分を占めた。御用鉱山から久保田藩(秋田藩)の藩営となり、明治初年に官営鉱山となったのち、1885年(明治18年)に古河市兵衛に払い下げられた。閉山されたのは、1978年(昭和53年)のことであった。 』という歴史の中で、『1773年(安永2年)、秋田藩は幕府より1万両を借り入れ、幕府直営鉱山の開発に実績のあった平賀源内を招聘し、銅山経営の立て直しを図った。同年、平賀源内は鉱山士の吉田理兵衛とともに阿仁鉱山を訪れた。』とあり、平賀源内の足取りは理解したものの、南蛮茶(コーヒー)を小田野直武に振る舞ったといった記述は見つけることはできませんでした。

 しかし、平賀源内ならありえるし、そうした歴史的な背景の中で飲まれたコーヒーには夢があって面白そうです。ただ、美味しそうかと思って「源内カウヒイ」を取り寄せようとは思いません。きっと苦い経験になりそうですからね。

 コーヒーの売り方には色々あって面白いものです。「〇〇のCOE」だとか「希少品種」、意味も分からないままに「スペシャリティー」とかいって、さも美味しいかのようにPRする売り方や、「藩士の珈琲」や「源内カウヒイ」のように、美味しさよりも楽しさを感じさせる売り方もあります。私は後者の方が楽しくて好きだな。

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のぶ味のおでん

 今夜は妻と二人で少し早めの忘年会をしようと、車で15分程かけて多治見まで向かいます。向かった先は、国道19号沿いにあるテナントの一角に、30年以上前から営業されている昭和感漂う「のぶ味」です。
 テレビで紹介されたこともある「味噌おでん」が名物の小さなお店で、入ってすぐ左にカウンター、右には小上がりの座卓、奥には小グループが宴会のできる部屋があり、中央のカウンターには赤味噌のおでんの大鍋がグツグツと煮えているのが目に入ります。
 のぶ味のおでんには、大根・厚揚げ豆腐・こんにゃく・卵といった定番の品以外に、大きなサイズの角煮が入っています。しっかり味が染み込んで柔らかくなった美味しい角煮は脂身がトロトロで、分厚いだいこんも箸で切ると煮汁が飛び散るほどジューシーで、みそが中心まで染み込んでたまりません。
 味噌おでんになじみのない地域では想像できないかもしれませんが、味噌辛くもなくまろやかで、子供のころ冬になると駄菓子屋の店内に置かれたおでんを思い出させる、なつかしい味でもあります。
 日頃から好き勝手に自由に暮らしている私には、数少ない妻への慰労の意味もあり、運転手兼ホストとしてお供し、カウンターに座って二人で美味しい料理に舌鼓を打つように目を細めたのでした。

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カッピングセミナー(コロンビアCOE)

 今日はUCCコーヒーアカデミー東京校で行われた、『2018年カップ・オブ・エクセレンスのコロンビア オークション落札前ロットのカッピング』へ行ってきました。このカッピングの魅力は何といっても、翌日13日(火)に行われるCOEコロンビア2018オークションの前に、オークションに参加した気分で値踏みするようにカッピングできることです。
 当然、田舎の小さな珈琲屋にはできないオークション参加が、疑似体験のように入賞ロットが楽しめる贅沢な企画な訳です。バラエティーに富んだ、品種、プロセスの違う風味豊かなコーヒーを一つ一つ確かめながら、講師の中平尚己氏(UCC農事調査室室長 兼 UCCコーヒーアカデミー非常勤講師)の解説に耳を傾け、カッピングを行いました。
 従来、コロンビアでは北と南に分かれ行われるオークションが、今年はまとめて実施されるうえ、通常36くらいの入賞ロットが今回は27と少なく、ある意味適正なジャッジが行われたのかもしれません。前回参加したコスタリカの場合はハニーが目立ちましたが、コロンビアではハニーは3つと大半はウオッシュドでした。一つだけ嫌気性発酵がありましたが、コスタリカの場合はシナモンの香りだったのに、お酒の発酵のようでイチゴミルクっぽい香りです。本当にコーヒーの香りは不思議です。
 コロンビアらしさを感じるコクがあってキレのあるコーヒー豆は意外に少なく、上位3位まではゲイシャが占める典型的な順位となっているものの、中米のように奇をてらったものは少なく、オーソドックスな印象を受けました。
 今回のようなカッピングセミナー参加は今年3回目となり、1月にペルー、7月にコスタリカ、そしてコロンビアとなります。私にとっては“百聞は一見にしかず”が実践できる貴重な体験であり、意識して参加した年でもあります。月曜日の定休日という条件ながら、他のイベントを含め東京や大阪に出かけた1年間でしたが、来年はまた異なる目線で様々なものを吸収する活動をしたいと考えています。最終的には、そうした経験が一杯のコーヒーカップに注ぎこめるように。

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穴弘法のライトアップ

 土岐市土岐津町高山の穴弘法で、10日から18日までモミジと石仏のライトアップが始まりました。市街地から近く、紅葉狩りの穴場スポットとして年々人気となっており、混雑しないことを願って妻と一緒に出かけてきました。
 このライトアップは、地元住民有志でつくる土岐里山の会が2002年から毎年行っているもので、今年は照明100基を全てLEDライトに替えたということです。夕闇の中、モミジを鮮やかに照らし出す道を歩き、池に映る紅葉眺め、その先を行くと穴弘法と呼ばれる104体の石仏群が現れます。一体一体の前にロウソクが灯され、柔らかな光にぼんやりと照らし出される光景は幻想的です。穴弘法の中心には、昨年に続き、竹製灯籠「竹あかり」が100本設置されており、大きい物で高さ2メートルあります。小さい灯籠は地元の園児や児童らが9月に制作したんだとか。
 高山城高山宿史跡保存会の現地案内板によれば、『穴弘法は戦国時代にこの地で命を落とした人々の霊を弔うため元禄元年に開創された「慈光院梵燈寺」の跡です。梵燈寺は二代の住職が続いたのち廃寺となり、その後荒れていましたが明治時代に地元の人々の力で「古城山遍照閣」として再興され、弘法様として信仰を集め今日に至っています。岩肌に穴を掘り石仏を収める様式は鎌倉時代の「やぐら」に類似し、古くは高山城の武将の墳墓が存在したと推定されます。』とあり、地域の方々によって長く守られてきた歴史があるようです。
 土岐市内には紅葉のライトアップスポットとして、国道363号沿いに位置し、飛騨・美濃紅葉33選にも選ばれた、「曽木公園」もあり、今年も9日~18日までライトアップが行われています。大小八つの池の周辺に約100基のライトがカエデ、イチョウ、ツツジを照らし出され、池に映る「逆さ紅葉」は幻想的で吸い込まれそうな美しさで、この幻想的な風景を楽しみに、期間中は多くの人が訪れています。ただ、マスコミに取り上げられたことで渋滞が発生し、地元の人にとっては行きにくい場所となってしまいました。今日訪れた穴弘法も、地元の人だけの穴場スポットのままでいてほしいと一人願っています。

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一人の焙煎

「焙煎」なぜ豆煎りをつづけるのか 

 

※それは楽しいから、楽しいことを生涯続けられるのなら、これ以上の人生はありません。

 

なぜその魅力にみせられたのだろうか。 

 

※毎回違う条件下で再現する緊張感と、豆の個性を感じながら変化を見ることができます。

 

シャンシャンシャンシャン日々シリンダーの中で豆を鳴らせ

 

※この音を聞くと毎回ワクワクしてしまう。

 

もったりとした独特な匂いに包まれながら視覚、聴覚、触覚、味覚、臭覚 5つの感覚が導き出す答えを探している。

 

※意外に、第6感が思いがけない答えを出すことがあり、結果良しなんてことがあるから面白い。

 

 

一人の焙煎には 哲学なんて難しい考えがある訳もなく

 

一人の焙煎には 道具や焙煎の過程に特別なこともない

 

一人の焙煎には 豆煎りをする人と それを買い求める人たちがいるだけ

 

一人の焙煎には 豆煎りするすべての人が 学びの対象

 

一人の焙煎には 気ままな人生があるだけ

 

  1kg釜で少量焙煎し、なくなったら再び焙煎を繰り返す単純作業、しかし、この単純作業が「仕事」としての喜びを感じる時間となるなら、一人の焙煎には生涯つづける価値があると思う。

 

注)一部「4人の焙煎」から引用

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希少なコーヒー豆?

 昨日の夕方、焙煎を終えて早めに店を閉めようと思った際、「コーヒー飲ませて!」とコーヒー豆を定期的に購入される方が来店されます。そして、コーヒーを飲みながら、「先日行ったお店で、希少なピーベリーという豆を使ったコーヒーを飲んだけど、特に美味しくはなかった。」と言われます。そこで、焙煎したてのコーヒー豆から数粒のピーベリーを抜き取り、こんなやりとりをしました。

 

私:「コーヒー豆は普通、一個の実の中に二個の種子ができるんですが、本来二個できるはずの種子が一個しかできない場合、通常より小さめでこんな丸い豆になります。こうした豆をピーベリー(丸豆)と呼び、普通のコーヒー豆のことをフラットビーン(平豆)と呼んだりします。」

 

客:「なんで、そうした豆になるの?」

 

私:「ピーベリーと言われる豆は、どこの産地やどんな品種の豆でもある程度あり、こうした小さめの豆には比較的多い割合で含まれていると思います。コーヒーの樹の中でも果実の発育が悪い部分に生じることが多いことから、充分な栄養がコーヒーの実に届かないとなると、二個を同時に生かすのではなく、片方の種子のみを生かす自然の仕組みなんでしょうね。」

 

客:「じゃあ、二個分の栄養があって美味しくなるの?」

 

私:「もともと充分な栄養が届かないというのが原因の一つと言われているので、確かに丸々として栄養たっぷりだと感じるかもしれませんが、コーヒー豆に含まれる成分には違いがないようですよ。」

 

客:「だって、希少なコーヒー豆だって書いてあると、美味しいかなって思うじゃない。」

 

私:「ピーベリーだけの豆は、形が同じなので均一に焙煎しやすいといわれます。けれど、こうして見てもらうと、中には未熟豆もあったりするから、味に影響ないように思います。確かにコーヒーの樹にはピーベリーは少なく、希少と言えるかもしれませんが、こうして目の前に直ぐに見つけられるし、商品として広く流通している訳ですから、それで希少と言えるかなんて正直微妙な気持ちです。生産量の多いブラジルでは、生豆をサイズごとに分別する過程でピーベリーの割合が高いロットのものを、規格上「ピーベリー」と呼んでいる場合が多いらしいですから、あなたが飲んだコーヒーの味のとおりです。美味しいピーベリーもあるでしょうが、そうでないピーベリーもあるのです。」

 

客:「なんか騙されたみたい?」

 

私:「ピーベリーが希少であることには間違いないのですから、騙されたというより勘違いしたというべきですね。」

 

客:「それって屁理屈!」

 

私:「世の中には、そんな言葉遊びがいっぱいあるじゃないですか。広告宣伝やバラエティー番組を観れば似たような事柄がありますよ。でも、それで多くの人が興味を持つ訳ですからね。わたしなんか、新商品という言葉につられて、ついついコンビニで無駄使いしちゃいます。」

 

お客様がかえられた後、辞書で「希少」を調べたら、「少なくて珍しいこと。きわめてまれなこと。また、そのさま。」とありました。さて、世の中は希少が氾濫しているのかな? 

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KAKO 花車本店へ

 先月お客様から、名古屋市天白区にある寄鷺館(きりょうかん)のコーヒー豆をいただき、1978年11月から自家焙煎を開始した大先輩のコーヒーを楽しんだ後、今日は寄鷺館よりも更に早くから自家焙煎を始めたという、KAKO 花車本店に出かけてきました。ホームページには「名古屋で初めて自家焙煎コーヒーを始めたのはこの花車本店です。」とあるように、1972年に開店、名古屋で初めて自家焙煎コーヒーを導入した歴史あるお店のようです。
 お店の場所は名古屋駅の東「柳橋」交差点から北へ約200mほどの場所にひっそりと佇む場所にあり、道路を挟んだ向こうには柳橋商店街の看板が見えます。今はほとんど使われなくなった「花車」というこのあたりの旧地名を冠し、昔ながらの路地裏の雰囲気を漂わせる場所にある喫茶店で、レトロ感が漂う趣のある店内は思った以上に狭く、カウンターとテーブル席が2つだけの小さなお店です。
 しかし、その店内に入ると既に満席状態で、一人で来店した私は運よくカウンターに座れましたが、直ぐに外には何人もの順番待ちの列ができます。なんでこんなレトロ感満載の店が流行るのかは直ぐに分かりました。私の隣にお客さんに出されたトーストには、インスタ映えする盛り付けがなされていたからです。私は朝食を食べたのにも関わらず、思わず「ブレンドとこれと同じものを!」と注文してしまいました。
 このトーストはシャンティールージュスペシャルというそうで、バタートーストに、小倉餡、コンフィチュール(ジャム)、生クリームをトッピングしたもので、食べやすいよう4つに切り分けられており、それぞれ異なるコンフィチュールがトッピングされています。でも、食べてみると生クリームではなくホイップクリームで、それも泡立て過ぎのものを冷蔵庫で冷やして固くなっています。見た目以上に甘く、注文ミスを後悔してしまいました。だけど、このカラフルでボリューム感のあるトーストが若者にウケるんでしょうね。来店者の多くは若者ばかりで、ほとんど人が注文していました。
 少し苦目のコーヒーを飲みながら、シャンティールージュスペシャルとやらを待つ間に店内を眺めていると、接客とレジを行う若い女性、作り置きしたコーヒーを大きなポットから継ぎ足し、温めてカップに注ぐ店主の奥さんと思われる人、その店主といえば、ひたすらシャンティールージュスペシャルを作り続けるといった光景で、何だか延々と続きそうに思えるほど来店者が並びます。
 店主は私と似たような頭であるものの、そこそこの年齢だと思われ、随分繁盛しているのに楽しそうに見えなかったこともあって、「自分には無理だな。」って思いました。楽しむことが優先順位の第一で、カウンターに座るお客様とも会話もできない雰囲気に、都会の繁盛店の現実を見たようで、何だか疲れて帰ってきたのでした。

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お祭り気分

 陶器まつりの二日間が終わりました。晴天だった土曜日の目の回るような忙しさから一転、雨模様で寒い今日は普段と変わらない一日となり、なんとか腰痛も悪化せずにすみました。正直、ホッとしているところです。

 店内いると祭りの雰囲気は味わえないものの、時々外に出ては車の動きや町内を歩く人の様子を伺うのですが、祭りのイベントで行われたミニ盆栽作りを体験した人が「こんなの作った」といって見せてくれたり、祭りの見学に来たといって手土産に柿を頂いたりと雰囲気を味わいます。

 そして今日は、妻から祭り会場で買った五平餅とネギ焼きをもらい、お昼に食べて店内でお祭り気分です。人混みが苦手な私にとっては何よりのご馳走で、見て、触って、食し、さらに来店されたお客さまから祭りの様子を聞きながら、五感を使って楽しめた訳です。

 今日のような雨模様の天気では、テントの下で商売をする人にとっては辛い一日になるだろうなと思っていると、思いがけない方が来店されます。それは、週末になると必ず御夫婦でコーヒーを飲みにこられる方で、二ヶ月程前に脳梗塞で倒れられ、現在はリハビリ専門病院で入院されている筈なのに、外出許可を取ってコーヒーを飲みに来店されたのです。

 「美味しいコーヒーが飲みたい」といつも言っていると聞いていたので気になっていたのですが、元気な足取りでお店に入られる姿を見て一安心しました。帰り際に、「久しぶりに美味しいコーヒーが飲めた。」と言われ、これだけで私はお祭り気分になれたのです。

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今日から陶器祭り

 今日と明日の二日間、下石陶磁器工業組合とその周辺で、第22回どえらええ陶器祭りが開催されます。大駐車場となる徳利会館では「一窯一微展」や、美濃焼の出来るまで等の映像が映し出される「焼物シアター」あり、そこから裏山地区の窯元めぐりをしながら歩いてメイン会場に行くこともできます。

 下石工業組合周辺(本会場)では「もろ板陶器市」「商社ええ品陶器市」「型技展」「ちびっこ粘土広場」等、様々な催しを開催されるようです。また、「うまいもん広場」で、ゆっくりくつろぎ下石グルメを味わいながら、ステージイベントも楽しむことができます。

 そんなイベントが行われることもあり、お店の方も土・日のいずれかの日が大変な混み合いとなり、腰痛の治りきっていない身としては朝から戦々恐々という訳です。もとより陶器祭りに便乗しようなんて気は全くなく、いつもどおりにコーヒー豆を焙煎し、いつもどおりにお客様をお迎えするだけなのです。

 変な欲を出して分不相応な事を行っても、しっぺ返しが必ずくるのは分かっており、せっかく開催される陶器祭りを楽しむくらいのスタンスでいたいのです。けれど、一人で行っていることもあってままならず、いっそ、臨時休業して遊びに出かけたい気分です。 

かといっても、週末はコーヒー豆を買い求める方も多く、結局のところ普段通りの日々を過ごすことになります。商売なのに、余り混まないように願っている、変わり者の店主なのです。 

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過ぎ去ったハロウィン

 テレビではバカ騒ぎのようなハロウィンの仮装行列映像が流れていましたが、私はまったく興味が持てなく、NHKのチコちゃんに叱られるで取り上げた、ハロウィンの仮装に関する歴史と文化の方に興味があり、宗教的な意味合いに文化の違いを感じたものです。現代のアメリカでも宗教的な意味合いは全く無く、子ども達がお化けや魔女のコスプレをして、近所の住宅地にお菓子を貰いに行くのが習慣になっているだとか。日本のように大人がコスプレをして騒いで練り歩く光景に、毎年冷めた目で見ていましたが、世の中はすでにクリスマスモードに入っているようです。

 日本では馴染みがなかったハロウィンを商売に利用したのが、90年代後半からハロウィンイベントを行った東京ディズニーランドです。このイベントをキッカケに全国各地のテーマパクで似たようなイベントが行われ、2010年代には都市部で仮装した若者が報道されるなど、日本でも一大イベントになりました。「これは商売になる!」となれば何でもハロウィン仕様にしてしまい、9月~10月末までの商戦素材として猫も杓子も利用しています。

 けれど、ハロウィン行列で有名になった渋谷では、ハロウィンがエスカレートし過ぎてしまい、危険を感じた地域商店がハロウィン特需で儲けるどころか、早々に店じまいを始めるようになってきたそうです。確かに、駐車した車をひっくり返す映像を見ると、被害者にとっては「ハロウィン・テロ」としかいいようがないですから。元々商売のために始めたイベントであり、商売にとってメリットがなくなれば自然消滅するのが道理かもしれません。

 そもそも、ケルト民族でもなく、ドゥルイド教の信者でもない日本人には、仮装行列に意味合いを持たせるには無理があるというもので、ボーっと生きてる日本人が多い世の中は、作られたブームに乗っかり、ブームが過ぎれば新たに仕組まれたブームに追随していくんでしょうね。ブームに乗っかるのが下手な私は、かぼちゃのケーキは作らず、ハロウィンに絡めた商品の販売もできないまま、今年も過ぎ去っていきました。

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