■2024年1月 ブログ

お雛めぐり

数年前から毎年出かけている「陶のまち瀬戸のお雛めぐり」のチラシを見ていると、妻が「私も行きたい」というので、今回は女雛男雛のように揃って瀬戸の町を巡りました。

先ずは、「瀬戸市新世紀工芸館」の交流棟企画展「節句を祝う置物とうつわ」を見ます。陶芸やガラスによる雛人形や節句を祝う小物な展示販売され、作家ごとに表現する雛人形の違いに感心しながら、「桃の節句の雰囲気を味わえる作品が我が家にもあるといいもかな。」などと思ってみるのでした。

一階のカフェでは、コーヒーと三色のスノーボールがセットになった「雛せっと」(400円)が注文でき、店内に置かれてある作家さんのコーヒーカップを選んで飲むことが出来ます。どうせならと、どう考えても使いにくいカップを選び、古民家の太い梁の天井を見ながら非日常を味わうのでした。

そこから歩いて数分の場所にある、メイン会場となる「瀬戸蔵」へ向かいます。高さ4mのピラミッド型巨大ひな壇「ひなミッド」に並んだ約800体の陶磁器・ガラスの創作雛の上には、46本のつるし飾りを眺めながら、一体ごとに異なるお雛様を見て回ります。その横には変り雛も並んでおり、今年は瀬戸市に住む藤井八冠にちなんだ「将棋八冠雛」や、「ペッパーミル快進撃雛」、「生成AI雛」、「行楽地大渋滞雛」など、ご時世に合った内容の作品となっています。そこから橋を渡って銀座商店街を散策して帰ったのですが、平日とあって観光客も少なく、シャッター通りとなっている商店街を歩いてみると、「お雛めぐり」の旗が虚しく見えます。

 ちなみに、「ひな祭り」は旧暦の33日前後に桃の花が満開になることから、「桃の節句」と呼ばれています。起源については諸説あるものの、平安時代(7941185年)までさかのぼるともいわれ、当時は幸運を祈願する日として祝われていました。このお祭りでは、紙や藁でできた人形をいかだにのせて川に流す儀式が行われ、これにより罪が洗い流され、悪霊や災難を追い払うと信じられていたようです。

 そんな「流しびな」の風習が今でも続いているのが、鳥取市用瀬(もちがせ)町です。ここでは、男女一対の紙雛を桟俵にのせ、桃の小枝と椿の花や菜の花を添えて、災厄を託して千代川(せんだいがわ)に流しています。無病息災で1年間幸せに生活できますように願う情緒豊かな民俗行事です。用瀬町では、時代の変遷と共に形を変えながらも、“もちがせの流しびな”として受け継がれているそうです。

「源氏物語」には、源氏の君が祓いをして人形(ひとがた)を舟に乗せ、須磨の海へ流すという著述があり、雛流しそのものの原型は、遠く平安時代にさかのぼるといわれていますが、用瀬町のように川に流すのではなく、須磨の海(神戸の海)ではない、和歌山の海に本物の雛人形を流すのが、和歌山市加太にある淡島神社です。全国各地から奉納された雛人形と願い事を書いた形代を3隻の白木の小舟に乗せ、宮司のお祓いののちに海に流す神事です。 

そんな人形に罪や悪霊を川や海に流すことが由来の一つとされて知るも、千年もの年月を経て今でも、人は罪深い行いを繰り返し、悪霊が絶えない世の中であることを考えると、平和の世界はやってこないように思えてならないのです。

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ホタル

パトカーがサイレンを鳴らさず、赤色灯(パトランプ)のみを点灯させて走行している光景を見たことがあると思います。この場合の「赤色灯のみを点灯」して走行しているパトカーは、「緊急車両(緊急自動車)」に該当しません。

 交通安全週間の期間中などに、周囲に安全運転を促す意味で赤色灯を点灯させて走行していることから、確かに運転中「ドキッ!」とすることもあるため、それなりに注意喚起の効果はあるのでしょう。また、道路交通法施行令第14条に定められた、スピード違反のクルマに追従して速度測定を行う際に赤色灯のみを点灯させて走行します。追従されている方は意外に気付かないもので、私も若い頃には苦い経験をしたものです。

 パトカーが緊急時に緊急車両として走行する際は、必ず赤色の警告灯を点灯させ、サイレンを鳴らして走行しなければいけないと、道路交通法第39条および同法施行令第14条の規定により定められています。そして、道路運送車両法に基づく告示で、パトカーの赤色灯は300メートル手前から光が見え、赤色であることと定められており、その光り方には決まりがありません。

要はサイレンを鳴らすかどうかによって「緊急車両」を周知している訳ですが、サイレンンの音が聞こえない又は聞こえにくい人にとっては、「緊急車両」と誤解して車を道路脇に車を停めてしまうことがあるのです。そんなこともあって、聴覚障害者の団体である「全日本ろうあ連盟」は、2012年以降に赤色灯の見た目で状況が判別できるよう警察庁に改善を要望してきた。

 そして、20235月には、パトカーのパトロールと緊急走行時の違いを判別できるよう、埼玉県警が新しい赤色灯(警光灯)を搭載したパトカーの試験運転を始めたのです。その際に導入されたパトロール用の光り方のパターンは、赤色灯が2秒周期で、ホタルのように穏やかにゆっくりと光るのが特徴で、緊急走行の場合はこれまで同様にサイレンとともに赤色灯が05秒間隔で光るものでした。 

 そうした試験運転を経て、新型のパトカー赤色灯が、来年度から各地で導入されることが決まったそうで、新型の赤色灯がYoutubeにアップされています。新型赤色灯の呼び名は「ホタル」らしいのですが、パトカーが可愛らしいホタルには思えず、訳もなくドキッとする存在には変わりません。

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ぶらり自家焙煎店(瀬戸)

以前、瀬戸市からコーヒー豆を買いにみえるお客様から、「新しい珈琲屋さんが何軒かできたけど、なかなか自分の好きな豆がないの。」と言われていました。その時は余り気にも留めていませんでしたが、ちょうど、藤井聡太八冠が王将戦第二局で勝利したというニュースを見たので、久しぶりに瀬戸市へぶらりと出かけ、自家焙煎店を巡ることにしたのです。

 先ず、最初に向かった店は、瀬戸赤津ICから東拝戸町へ入った場所にある①「七○ コーヒー ロースター」(瀬戸市東拝戸町75)です。2019年の春にオープンようですが、以前は日進市の方でお店を構えていたようです。倉庫の一角を改装して店舗にされていますが、一歩中に入ると、Avantgarde DUOスピーカーが目に留まります。店内で流れる音楽はジャズのコンピュレーションアルバムCDを普通のスピーカーで流していましたが、壁にはジャズのLPレコードが並んでいたので、きっとレコード再生の時にはすっごいスピーカーから曲が流れるんでしょうね。ちなみに、ここではエチピア・イルガチャフのナチュラルを飲みました。

 そこから瀬戸市の中心街へ向かい、「せと銀座通り商店街」に20224月にオープンした②「little flower coffee」へ行きます。寂れた商店街には似つかわしくない明るい店内では、奥に立派なプロバット社の「Probat PIII」が鎮座しております。いかにも今風な店は、TRUNK COFFEEで働いていた方が始めたそうです。ここではケニアを飲みました。ここの商店街は藤井総太八冠でいつも話題になる場所で、商店街の中には将棋の駒を模した商品もいくつか並んでいます。

 そこから歩いて向かった先は、「せと末広町商店街」に20222月にオープンした③「Seto Coffee」です。ここではエチオピア・イルガチャフ・ドゥメルソのナチュラルを飲みます。七○ コーヒー ロースター」と同様のハイローストです。店主が瀬戸市内の珈琲屋さんの話をしてくれ、「瀬戸市がコーヒーの街になればいい。」と夢を語ってくれます。瀬戸市出身らしく、瀬戸焼きそばの話で盛り上がり、焼きそば「一笑」の移転先を教えてもらって、久しぶりに瀬戸焼きそばを頬張りました。

 最後に、最近オープンした店ではないのですが、Seto Coffee」の店主が勧めてくれた④「Vousho Coffee factory(ボウショコーヒーファクトリー)」(瀬戸市銀杏木町1)へ行きます。珈琲の香りに包まれながら自分の時間をのんびりと過ごせるスペースをコンセプトに、店主お気に入りのサブカル系コレクションを展示している自家焙煎珈琲&ギャラリーです。もっとも、外観が店舗に見えないので入るのに勇気が必要。2階のギャラリースペースでは、絵画、やきもの、写真などの展示会が毎月行われているようですが、店主の座る椅子の近くには周りに似つかわしくないリュックが吊るしてあります。不思議に思って尋ねると、「アメリカにバッグパッカーとして行っていたから。」とのこと。ユニークな雰囲気の店でしたが、ここで飲んだブレンドが一番美味しく感じました。

 今回、瀬戸市内の珈琲屋4店舗を巡りましたが、どこも個性的な店とあって、まめ蔵が特徴のない店だと気付かせてくれます。でも、それが良いんだと思っている私です。

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ある輸出業者の破綻

定期的にニカラグアのコーヒー豆を購入されるお客様のため、再度購入されるタイミングを見計らって焙煎をしました。このコーヒー豆は、ニカラグア北部でアラビカ豆の栽培が盛んなヒノテガ県のものですが、今後、ニカラグアのコーヒー豆がこれまで通り入手できるのか、少々気になる情報が入っています。

それは、昨年の126日にメルコン・コーヒー・グループの破綻を報じられ、その傘下であるニカラグア最大手の輸出業者であるCISA社(CISA Exportadora)が閉鎖状態であるからです。メルコン・コーヒー・グループは、ニカラグア人のホセ・アントニオ・バルトダノ氏が率いる国際的なコーヒー関連企業で、本社をオランダに置き、ニカラグアのみならず、ブラジル、グアテマラ、ホンジュラス、パナマ、スペイン、米国、ベトナムに拠点を設け、世界60ヵ国に顧客を有しているとされています。

 ニカラグアのCISA社は、ニカラグアが輸出するコーヒー豆の約半分を担っているともいわれ、全生産者の約1割がコーヒー豆の集荷、加工そして輸出のプロセスをCISA社に委託しているとされています。また、資金繰りに問題を抱えているニカラグア国内の小規模生産者の経済的な支援を行うため、金融サービスである「メルカピタル」や、サステイナブルで生産性の高い農業を進めるための「リフト」というプロジェクトなども実施していました。そうしたものが、今回の破綻によって先行き不透明になってしまいます。

 破綻に至った原因として、パンデミック時の物流の中断、ブラジルの霜と干ばつ、持続的な価格変動、金利の上昇などの近年の問題が相まって会社の財政状況を悪化させ、オランダの銀行ラボバンクとの取引業務の与信枠を延長できなかったことがあげられています。

 ニカラグアでのコーヒー豆の収穫は12月が最盛期です。手摘みされたコーヒーチェリーは、農園に併設されたウエット・ミルで果肉を除去し、発酵させ水洗処理した後、CISA社のような大手が運営するドライ・ミルで乾燥や輸出準備の工程が行われます。CISA社が閉鎖された状態では、現金に替えられないコーヒー豆を安く買いたたく業者が現れ、コーヒー生産者は今後もコーヒー生産から他の農産物へ切り替えてしまうかもしれません。一時的には安いコーヒー豆が入手できるかもしれませんが、中長期的な影響が必ずあると想像されます。 

 そんなことを思いながら、お客様へ準備したコーヒー豆のパッケージを見ておりました。

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被災地の情報

令和6年能登半島地震が発生し、まもなく2週間が経過しようとしています。この間、新聞やネットニュースなど多くの媒体を通じて被災地の現状を見てきました。普段どおりの生活ができる自分たちに感謝しながら、何かできることはないかと考え、夫婦で日本赤十字社へ「令和6年能登半島地震災害義援金」に送金する事にし、先日、郵便局へ行って来ました。

 震災の現状を取り上げる媒体は多くあるものの、映像として人を引き付けるものであったり、多くの人が関心を持つ内容に限られてきます。当然、決められた時間内に映像を流し、限られた誌面に載せるため、情報の選択が行われてしまうのは仕方のないことです。

 私のように、ろう者と関わりを持つもの者として最初に目にしたのは、石川県聴覚障害者センター(金沢市)の動画でした。以下は発信された情報の概略です。

1月1日

珠洲市で大きな地震が発生し、今後も揺れる可能性があります。高いところへ逃げてください。怪我や助けて欲しい事があれば、公式LINEに送ってください。

1月1日

自分の地域のろう協に安否の連絡をお願いします。

1月1日

安否確認の連絡のない人がおり心配しています。被害を受けた人が何人かいるようです。必要なことがあれば連絡をください。

1月2日

石川県聴覚障害者協会災害救済対策本部を立ち上げました。ろう協会員の安否確認をしているところです。被害のひどい奥能登地域では家屋の倒壊や輪島の火災など被災があります。被災地への継続的な支援の方法について検討、相談をしております。

1月3日

奥能登地域(珠洲、輪島、能登、穴水)数人の確認が取れていません。今朝、株式会社プラスヴォイスの三浦社長が珠洲市に向かい状況確認されました。結果、自宅が全壊なった珠洲市のろう者と無事会うことが出来たということです。また、珠洲市総合病院に同行されるなど色々と情報をいただきました。奥能登のほぼ全域で停電、断水です。生活が困難なうえ、スマホのバッテリーが無くなると充電できない状況です。

1月4日

奥能登(珠洲、輪島、能登、穴水)は道が遮断されるなど通行が困難な状況で、救援物資が届いていない避難所もあります。そのうえ、聞こえないために情報を取得できず、孤立しているろう者が多数います。それらの人において、情報保障の支援、そして救援物資を届けることを考え、石川県聴覚障害者センターに届いている救援物資を奥能登へ届ける人を募集しております。

1月4日

能登地区においては、ほぼ避難所や車中生活となっています。食事もおにぎり一つと空腹状態の人もいます。水は2Lのペットボトル(箱)、お菓子類、カイロ(箱)の三つを今後も引き続きご協力いただきたいと思います。

1月7日

全国の皆さんにいただいた支援物資を車5台に詰め込み、輪島市曽々木、能登町藤波、能登町松浪、珠洲市、穴水の5ヶ所へ朝9時に出発して向かいました。ろう者が避難所にいる地域になります。目的地に着くまでに6時間、長くて8時間かかりました。ろう者どうしが手話言語で話せたこと、心の思いを手話言語で吐き出せたこと、手話言語で話せることで顔が明るくなり嬉しそうな様子でした。やはり対面での会話は大切であると改めて感じた、被災地支援の一日でした。

1月8日

支援物資を車5台に詰め込み6日朝9時に出発して向かいました。6日(土)の夜のうちに3組が戻り、7日(日)の朝に2組がようやく帰還、地震や雨等による陥没や悪路で、車の移動に時間を要しました。避難所か自宅かどこにるか分からない、情報保障の状況も掴めていませんでした。今は自衛隊が支援物資を被災地へ届ける体制が整ったことをうけて、私達は被災者の情報保障を中心に調査していくことに切り替えていきます。

1月9日

震災から一週間が経過しました。情報提供を行います。能登地域で補聴器の電池が無く困っている、聞こえにくい、聞こえない方いませんか?補聴器の電池が欲しい方はご連絡ください。障害者手帳をお持ちでなくても、必要な方にお届けします。連絡をお待ちしております。

1月11日

被災者へ継続的な支援を行うための支援金と、被災者へ直接お渡しする義援金の募集を開始します。

 

高齢者のろう者が多い地方では、スマホが使いこなせない方や停電でFAXが利用できないなど、情報保障が得られない状況に置かれてしまいます。何より手話による会話が出来ない状態が孤立を生み出し、精神的に被災者を追い込むことになります。

そんな中にあって、遠隔通訳サービスなどを行う株式会社プラスヴォイスや、認定NPO法人 障害者放送通信機構が行う「目で聴くテレビ」では、災害発生直後から被災地での苦しむろう者の状況を動画で配信しています。自宅でなんとか生活している人、避難所で不自由な生活をする人の情報から、被災者へ向けた様々な情報提供を行う様子が見てとれます。本当に貴重な存在だと思います。ただし、その情報を受け取れる手段のある人が対象なのですが。 

 災害支援は始まったばかりです。様々な情報を得ながら自分が出来ることを考えてみる店主でした。

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甘くて苦いルワンダ

先日から、生豆商社が数量限定で販売している、ルワンダ西部のニャマシェケ郡にある、カレンゲラ(KARENGERA)ウォッシングステーションのナチュラルを焙煎しました。

 これまで常時販売しているコプロカ(COPROCA)ウォッシングステーションのウオッシュドの他に、昨年からルチロ郡のムササ(MUSASA)ウォッシングステーションのハニー、ニャマガベ郡のキビリジ(KIBIRIZI)ウォッシングステーションのハニーと、コーヒーの栽培されている標高が1,500mから1,900mまでというコーヒー豆を使用してきましたが、それぞれ個性があって楽しむことが出来ました。
 ルワンダのコーヒーといえば、2016108日にJICAなごや地球ひろばで開催されたコーヒーサロンで、川島良彰さんによる「ルワンダコーヒーの課題と日本の支援」の講演を思い出します。JICAプロジェクトによる栽培からカップまでの取り組みが説明され、栽培技術の向上や焙煎・包装技術の向上、品質規格の見直しや国内需要と品質管理について、ルワンダという国の特徴を踏まえて分かりやすく解説されました。

それまで、ルワンダコーヒーについては何度か講演を聴いていたこともあって、少しずつ産地の様子が変わっていくのが分かり、「あと数年で皆さんのところに届けられる」という言葉が現実味を帯びているのが感じられたものです。そして、こうやって様々な地域のルワンダコーヒーが楽しめているのですから、産地での努力が実を結んでいることを実感します。 

 ルワンダといえば、長年フツ族とツチ族の間に民族対立があり、19944月に起きたフツ系大統領の暗殺をきっかけにフツ族によるツチ族の虐殺がはじまりました。その規模とスピードは並外れており、100日足らずの間に殺された人の数は80万人に上るといわれる「ルワンダの悲劇」が知られています。

 その後、復興政策を推し進め、目覚ましい経済発展に尽力したポール・カガメ大統領の手腕は国際的に高く評価されています。しかし、その一方で政敵を次々と排除し、自身の支配体制を盤石のものにするため、厳しいメディア規制と言論統制を敷いています。体制批判をしたメディアはつぶされ、人権団体も市民グループも社会活動を自由に行う事ができないという、権力に固執する態度は独裁政権そのものといえます。 

 ついつい、甘いナチュラルのコーヒーが苦くなる話になってしまいました。

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フィンランドの空気

フィンランドの首都、ヘルシンキにおける昨日の最低気温は-10℃、最高気温-2℃だそうです。ここ日本の土岐市では、最低気温は-3℃で最高気温6℃と異なるものの、同じ真冬の寒さの中、岐阜県現代陶芸美術館(多治見市)で開催中の、「フィンランド・グラスアート 輝きと彩りのモダンデザイン」と「ムーミンの食卓とコンヴィヴィアル展  ―食べること、共に生きること―」を観てきました。

デザイナーが高い芸術性を志向して手がけたフィンランドの「アートグラス」に着目し、1930年代の台頭期からの「第1章 フィンランド・グラスアートの台頭」50年代に始まる「第2章 黄金期の巨匠たち」そして現在に至るまでの展開を「第3章 フィンランド・グラスアートの今」として、約140件の作品が展示されています。

 ガラス製作所とデザイナー、そして職人との信頼関係の元で生み出されたフィンランドのグラスアートですが、デザイナーばかりが表に出ており、職人が生み出す技術の面が見えなかった残念だった。素人ながら「どうやって作っていくんだろう?」という驚きと疑問が湧いてくる作品ばかりでした。高温の中で変形し続けるガラスを、如何にして思い描くデザインに整形していくのか不思議でならなかった。また、透明な作品の向こうにフィンランドの森や湖が見えるような気がした。

 「コンヴィヴィアル(convivial)」とは、con(共に)+vivial(生きる)を語源とし、「自立共生」と訳されており、自立した存在が共に生きる中で生まれる生き生きとした情動や喜びを意味する言葉として、哲学者のイヴァン・イリイチが使っています。多様な価値観が隣あってせめぎあう現代社会において、各々の「個」をしっかりと保っているのになんとなく共生しているムーミン谷の仲間たちの生き方は「コンヴィヴィアル」という概念があてはまるのかも知れません。

 巷では「インクルージョン(inclusion)」って言葉が使われ、排除されることなく社会の構成員として内包されることを理想としているようだけれど、実際には自己承認欲求ばかりが強くて、周りを気にしてばかりの「個」を持たない人が多いように思います。「自立共生」の「自立」が抜け落ちた歪な社会の中で、子供の頃から変わらないムーミン谷の仲間たちを眺めて帰りました。 

 なんとなくフィンランドの空気を感じながら。

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再びサニーさんファームへ

祝日の定休日、20213月に訪れた可児市大森にある「サニーさんファーム」へ、再度イチゴ狩りに行ってきました。ここは、可児市二野で株式会社横井モールドという、プラスチック射出成形用金型の設計・製造・販売を行う会社の社長さんが、ベトナムのバグザンの市長から「ここで日本の美味しいイチゴを作ってほしい。」と相談されたことから、試験的なビニールハウスを建てて栽培を始めたことがキッカケだと前回の訪問の際に知りました。

2年前は「よつぼし」という珍しい品種と「章姫」が食べられましたが、今回はさらに「かおり野」が加わり、3種類を食べ比べることができます。それに、イチゴの栽培棚が2段になって、美味しそうな赤く実ったイチゴに囲まれます。そんな状態ですからついつい食べ進むのが早くなり、10分程でお腹いっぱいになってしまいました。練乳が無料でおかわり自由ですから、イチゴ好きにはたまらない環境です。

スタッフの方と雑談をしていると、株式会社横井モールドの社長さんは前ばかり向いて突き進む方のようで、20198月には、ベトナム バクザン省にREIWA VIETNAM CO.,Ltd.を設立し、軽食店「令和レストラン」を開店したり、2021年には可児市二野の高台に「にののこ保育園」も開園しています。

 ベトナムでのイチゴ栽培についても尋ねると、既に試験栽培を始めているそうで、現地で働くベトナムの方を「サニーさんファーム」で研修も行っているそうです。ただ、栽培環境が日本と随分異なることから、日本のようなイチゴを栽培するのは非常に難しいとのこと。

 イチゴの苗は海外に持ち出せないため、現地で調達しているそうですが、中国や韓国といったルートなどから現地の人が入手しているとかで、元々は日本から違法に持ち出された可能性もあり、グレーな部分もありそうな感じがしました。 

 甘いイチゴを食べながら、ちょっと酸っぱい話を聞いたイチゴ狩りでした。

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七草なずな

明日17日は、七草粥を食べる日です。我が家でも、妻がスーパーで七草セットを買い求めてきており、例年通り七草粥を朝食として食べる予定です。七草は早春にいち早く芽吹くことから、邪気を払う効能があるとされ、無病息災を祈って七草粥を食べると言われています。

セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ。これら七草を6日の夜、まな板の上で包丁の背などでトントンたたいて細かく柔らかくしておき、翌日の朝にお粥に入れて七草粥としていただく風習が残っています。その際、まな板の上で七草をトントン叩いて刻むのに合わせて歌う「七草なずな」という童歌があるそうです。

それが、こちら

♪♪七草 なずな 唐土のとりが 日本の国へ 渡らぬ先に ストトントントン ストトントントン♪♪これを数回繰り返しながら七草を刻むそうです。

 私はまったく記憶にないので、コーヒー豆を買われる70代後半のお客様に尋ねると、「知ってるよ!」といって、一節歌ってくれました。「子供の頃におばあさんが教えてくれたけど、覚えているもんだな~。」と笑顔で話してくれます。地方によっては多少歌詞が異なるようですが、まな板を包丁でトントントンと叩くリズムは同じようです。

童歌に出てくる「唐土(とうど)」とは、昔の中国のことです。この歌には、中国から飛来する渡り鳥である害鳥を追い払う「鳥追い」の意味があるようです。渡り鳥が運んでくる害虫や疫病が農作物に流行しないよう追い払うため、まな板をトントン叩くような「鳥追い」は、信越地方の一部の風習として残っていると聞きます。

 長野や新潟の雪深い地域では、子供達が仲間を集めて雪でかまくらを造り、14日の夜になると拍子木を打ち、鳥追い歌を歌いながら集落中を回り、最後に自分達の雪穴に帰って、餅や菓子や持ち寄ったご馳走を食べて一夜を過ごす風習があるんだとか。子供にとっては貴重な夜遊びの経験で、きっとワクワクするイベントでしょうね。

鳥追い歌はその地域によって異なり、その方法も違っているようで、地域によっては持ち回りで鳥追い宿を提供するところもあるとか。いずれにせよ、雪国の子供達に地域の協働性を育む一つの手段として受け継がれてきたようです。 

そんな「七草なずな」の存在を知ったので、今夜は妻が買ってきた七草セットを童歌でも歌いながら刻むとしましょうか。

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屋久島から

年末に、屋久島から実家へ帰って来たというお客様が来店されました。同席されたご家族によると、屋久島で山岳ガイドをされているとのこと。(確かに山男って感じ)コーヒーを提供した際、「屋久杉をまだ見たことがないんです。」と話すと、「屋久島は屋久杉ばかりが取り上げられますが、」の言葉を皮切りに、屋久島に関する話が矢継ぎ早に飛び出してきました。

そもそも屋久島は、島の中央に九州最高峰の宮之浦岳(1,936m)をはじめ、標高1,800m以上の山岳が10座、1,000m以上の山岳が46座を数える山岳島で、「洋上のアルプス」に例えられるといます。そして、1993年には、島の面積の約21%にあたる107.47km2が世界遺産(自然遺産)として登録されているのですが、世界的な動植物の移行帯に位置する湿潤気候下の高山として特異な環境下にあり、北限・南限が自生している生態系を構成していることが選定された大きな理由だと知ります。

思わぬ平地で屋久島の山岳ガイドを受ける事になりましたが、一応、珈琲屋ということもあり、屋久島でのコーヒー栽培について話をしてみると、「島内の南部でいくつかのコーヒー農園がありますよ。」とのこと。私の知る限り、屋久島でのコーヒー栽培は30数年以上前から始まっており、小規模な農園が存在しているという認識です。

山岳島というだけあって、屋久島は花崗岩で成り立っている島です。そのため作物を育てる畑の土としては痩せている場所が多い。しかも、急勾配の土地が多くて山からの水も流れが早く、土壌の養分が溶けにくいのです。そんな地形の特徴もあって、小規模で手間をかけ丁寧に育てる有機農法を行う農家が多いと言う。

島の南部には平地もあり、麦生地区や平内地区周辺には何軒かのコーヒー農園がありますが、主に屋久島へ移住してきた人達が飲食店を併設しながらコーヒーノキを育てているとのこと。調べてみると、「沖永良部島から取り寄せたアラビカ種の苗150本を約15アールの畑に植えた。」とか、「200本を超えるコーヒーノキいっぱいに実を付け、細い枝をしならせていた。」という地元新聞の記事を目にします。ただし、コーヒーノキ一本で収穫できるコーヒー豆は200g程度なので、現地へ行かなければ飲むことは出来ません。 

今年は少し遠出をして、南の島へ行ってみたくなった出会いでした。

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平和な暮らしに感謝

新年を迎え、元旦には下石公民館主催の「新春歩け歩け大会」へ参加し、約7000歩(妻の万歩計より)の運動をし、二日の朝は「とろろいも」を家族全員で食べました。この地方の伝統として、元旦は亭主が雑煮を作り、二日はとろろ芋を擦って準備をし、主婦が正月くらい家事の負担を減らすことになっていますが、その伝統を僅かに続けている一人です。

 そんな平凡で平和な正月を過ごしていた最中、1月1日の午後4時10分に石川県能登地方で震度7もの地震が発生し、ここ土岐市でも震度4を記録する揺れがあったのです。家族のスマホが鳴り響き、テレビの画面らは緊急地震速報のアラートが表示され、この地方へも大きな揺れがやって来ることが分かり、家族中の緊張感が高まります。

 その後、津波警報が出されて避難を呼びかけるアナウンサーの声が響き、東日本大震災を思い起こさせると思った矢先、輪島市内での大規模火災の映像が映し出されると、神戸淡路大震災の記憶がよみがえりました。SNSに投稿された被害状況を見ると、想像以上に被害が大きいことが分かり、被災された方々の事を考えると正月気分も消えてなくなります。

 さらには、1月2日の午後5時47分、テレビの画面から、日本航空の旅客機が羽田空港に着陸しようとしたところ、機体から火の手が上がる映像が飛び込んできます。どうやら、今回の地震の救援物資を運ぶ海上保安庁の輸送機とぶつかった可能性が高いということです。日本航空の機体には367人の乗客と12人の乗員が乗っていたようですが、全員脱出したという情報があるものの、海上保安庁の乗員には死者があるようです。

 二日連続して災害と事故が続き、正月早々震撼させるニュースばかりとなりました。「地震」の「震」には「辰年」の「辰」という文字が入っているからか?などと一瞬思ってはみたものの、「農」にだって入っているから関係が無いことが直ぐにわかります。実際、『新選漢和辞典』(小学館)によると「辰」の字源は、「辰は、三月、房星の支配する農業の時季になり、草木が芽を出して変化するとき、雷が震(ふる)うことをいう。房星をもさす。他の説に、農具ともいい、貝殻の中から肉が出て動いている形ともいう」

と説明されています。 

 いずれにしても、今年は国内で様々な出来事が起こりそうです。これまで以上に、日々の平和な暮らしに感謝しながら暮らしていきたいものです。

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