■2022年12月 ブログ

今年も有難うございました

 今日で今年最後の営業日が終了しました。そこで、レジシステムからデータを取り出し、この一年間を振り返ってみたいと思います。(時々チェックはしているんですが)年間の総売上額は微増ながらも、今年も前年を上回ることが出来ました。個人的には、微増ってところが気に入っており、開業以来、僅かながらも売上額が増えている状況に満足しています。

 とはいうものの、珈琲屋を名乗っておきながら、コーヒー豆の売上は昨年よりも減少しており、売り上げに占めるコーヒー豆の割合は昨年の49.0%から43.3%に落ち込んでしまいました。そのため、売上総額を増やすことができたのがカップでのコーヒー提供と、スイーツやクッキーということになります。

 コーヒー豆の売り上げ減少の要因は、原材料となるコーヒー生豆の価格高騰による値上げであったり、コロナ禍での一時的な巣篭り需要が低下した、そもそもコーヒーがそこまで好きではなかったとか、まめ蔵のコーヒーに飽きた等々、様々なものがあるのでしょう。しかし、売上額ではなくて販売数量を見てみると2020年よりも多いため、一歩進んで二歩下がりといった感じなんだろうと呑気に構えております。

 コロナ禍で来店客数が減少してきたものが、今年は新型コロナウイルス感染拡大前の2019年の来店客数を超えてきました。ただ、感染者数の急増が来店客数に影響を与える状況は現在も続いており、今年はこうだからといった予測が立つ訳ではありません。むしろ、物価の高騰が来年も予想されている中、所得が増える見込みもないことから、消費の落ち込みが懸念されます。まあ、そんな事を心配しても仕方がないのかもしれませんが。

 それよりも、まめ蔵を始めて「生まめを まめに焙煎し 楽しく まめに暮らす」という目標が、今年も達成できたことが一番の収穫です。多くのお客様が新型コロナウイルスに感染された状況でも、私は感染することなく店を開け続けることが出来、楽しい日々を過ごせました。もちろん、新しい出会いもあれば別れもありますが、別れ以上に「お久しぶり!」といった再会や、不思議な繋がりも知る経験もあり、「生きている」といった実感を噛みしめる事もありました。 

 売上額が増えても原価が高くなったから、利益率は悪いんじゃないかという考え方もありますが、まめ蔵がお客様に利用される店であることには変わりなく、この町に「まだ存在しても構わないよ。」と言われているから、まあ、それでも良いのです。多くの出会いや別れがあった一年でしたが、こんな経験が来年も続くよう、日々精進しながら新年を迎えたいと思います。一年間、本当にありがとうございました。

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今年も門松

お店の入り口に門松を飾りました。お正月には年神様がやってくるといわれ、年神様は特定の宗教の神様ではなく、その年の福や徳をつかさどる歳徳神や穀物の神、先祖の霊などの複数の神様が一つにまとめられて信仰されているものです。その神様が家へ訪ねてくるための目印が門松の役割だそうです。また、神様の安息所として神様が宿る場所とも考えられています。

そんな訳で、我が家では毎年鉢植えを利用した門松を作っており、ここ数年は次女の旦那が年末にやってきては作っておりました。しかし、今年は長女夫婦が帰省したこともあり、夫婦で初めての門松作りをしてくれました。そして、自宅の玄関前に並べた様子が画像のとおりです。まあ、初めてにしては門松らしくなっております。 

この門松が年神様が訪ねてくれる目印になって、来年もまめ蔵がお客様の安息所になればと願っております。

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年末のルーティン

今日は、今年最後の定休日ですが、事前に準備したケーキを箱に詰めるために店へやってきました。毎年、市内にあるNPO法人地域活動支援センター「土岐やまびこ作業所」の最終日に合わせ、代表の方からケーキを頼まれているからです。10人分を箱に入れ、作業所へ向かう途中に立ち寄ってもらうことになっています。

 一年の締めくくり方は人それぞれで、様々なルーティンがあると思うのですが、私はまめ蔵を開業してから毎年、このケーキ作りが終わると「一年が終わるんだ。」と感じます。1230日まで残り数日ありますが、この期間は自宅での大掃除から逃れるためであり、頭のスイッチはOFF状態となっているのかも?この間、来店された皆様「申し訳ございません!」。

 私が「一年が終わった」気分でいる中、家では妻が大掃除の真っ最中です。着々と家中のフローリングを全て水拭き・ワックス掛けを進めております。これが妻の年末のルーティンなので、大いに一年を締めくくってもらいましょうか。(慰労はしますよ) 

 そんな事を思いながら、白いケーキの箱に、イチゴのロールケーキ、ガトーショコラ、ドライフルーツのパウンドケーキを詰めております。

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大雪・積雪注意報

 今日は、日本海側で引き続き大雪や猛ふぶきに警戒らしく、太平洋側でも山沿いを中心に大雪となり、平地でもさらに積雪が増加するという予報です。名古屋市内でも、明け方から断続的に雪が降り、午前8時の積雪が10センチと8年ぶりに10センチ以上を観測したニュースを見ましたが、土岐市でも雪は降り続いており、大雪・積雪注意報が出ております。

この雪は午前中まで続く見込みらしく、まめ蔵に篭っている私は、年末に向けての焙煎を行っています。一応、雪の中を掻き分けて来店される方のために、道路から入口までのスロープは雪かきしておきましたが、降り続く雪の為に意味をなさなくなるでしょう。まあ、気休めです。こんな日もありますから。 

あまりにも寒くて、雪だるまを作る元気も出ない店主でした。

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リベリカの話

Nature plantsという投稿サイトに、リベリカコーヒーについて論文が投稿されていると知り、翻訳機能を利用して読んでみました。タイトルは「The re-emergence of Liberica coffee as a major crop plant」、翻訳すると「リベリカコーヒーの主要作物としての再出発」となるようです。

コーヒー豆の品種は、アラビカ種とカネフォラ種(ロブスタ)で商業的生産量の99%までを占めているといわれ、残りの1%未満のほとんどがリベリカ種とその変種とされるエクセルサ種です。そのリベリカ種は、西アフリカのリベリア共和国付近で発見され、他の種と同じように植民地支配の拡大に合わせて世界中で栽培されていましたが、アラビカ種より香味が劣り、カネフォラ種より病気や環境に弱いという中途半端な存在となって、名前もあまり知られていないコーヒーとなっています。

そんなリベリカコーヒーでしたが、2021 年と 2022 年にアラビカ種とカネフォラ種(ロブスタ)のコーヒーが世界的な在庫不足となり、価格の劇的な上昇を招きます。生産不足のうえにCOVID-19 の流行重なり、ブラジルの霜害といった複合的な影響もありました。さらには、長期的な持続可能性は、人為的な気候変動の時代において大きな懸念材料となっており、リベリカコーヒーが見直されているというのです。

個人的には、フィリピン産のリベリカ種を取り寄せ焙煎してみたり、お客様からいただいたシンガポールで親しまれているリベリカ・ブレンドのコーヒーを飲んだ経験上、アラビカ種に代わりえるコーヒーになるとは思えリカ種のないのです。ところが、原稿を読む限り、精選処理が適切に行われていれば、高い自然な甘み(コーヒーの品質にとって好ましい特性)、豊かで大胆な口当たり、低い酸味、チョコレートやジャックフルーツなどの熱帯・非熱帯果実の風味を持つといいます。マレーシアとフィリピンのリベリカは、ヨーロッパ、アメリカ、アジアでより広く販売され始めているそうです。

 

将来、アラビカ種の生産が需要を賄えなくなった時、カネフォラ種(ロブスタ)を飲むのか、リベリカ種を飲むのか、それとも諦めてチコリの代用コーヒーを飲むのか、どんな未来がやってくるのでしょうか?

それよりも、リベリカについての情報を知ることができて面白かったな。

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ポストに入ったコーヒー豆

小雪が舞い散る朝、自宅を出て店に向かうと、ポストにコーヒー豆の袋が入っています。見ると、「田島珈琲店」と書かれた袋で、袋の裏には「親父さんと話したいなぁ 代わりに豆が話します」とメモ書きされていました。

 田島珈琲店というのは、店主の田島章吉さんが201811月に愛知県稲沢市祖父江町にオープンしたお店です。開業前には時々まめ蔵に立ち寄ってくださり、「私も珈琲屋を始めたい」といった話を聞いたものです。定休日が同じ月曜日ということもあって互いに訪問する機会は少ないのですが、今回は、留守を承知で訪ねていただいたようです。

 実は、定休日の昨日も午前中に二度ほど店に立ち寄っていたので、運悪くお会いできなくて残念でした。そこで、開店前に頂いたコーヒーを淹れて一息入れます。深煎りのコーヒー豆をネルドリップで抽出する田島珈琲店のスタイルとは異なりますが、少し低温でゆっくりのお湯を落として淹れたコーヒーを飲みながら、ホームページを閲覧して古民家を移築した田島珈琲店を思い出しているのでした。 

 毎年、銀杏が実るころには祖父江町へ行ってみたいと思うのですが、なかなか行けません。「ごちそうさまです!」

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普通のお店

土岐市の広報に「ようこそ手話の世界へ」のコーナーが掲載され、手話の説明や聞こえない世界についてのコラムが始まったのが20204月でした。平成26年に市議会で「手話言語法」制定を求める意見書が出された経緯などもあって、手話を身近に感じてもらいながら、聴覚障害への理解を深めてもらうのがキッカケだと聞いています。

 当初は、簡単な日常会話で使う手話表現が取り上げられていましたが、今年度は「土岐市民の歌」の歌詞を1年分に分割して掲載されており、私も手話モデルを一部担当させていただきました。そして、今月号はコラムの原稿も依頼されていたため、ここに紹介しておきます。

「手話で会話できる喫茶店」

 『東京都には、聴覚障がい者と聴者がともに働き、主なコミュニケーション手段として手話を用いているコーヒーショップがあります。働く人もお客さんも、誰もが自分の居場所として感じられるようなそのお店は、聴覚に障がいのある方だけでなく、さまざまな方が利用されているそうです。いわゆる、ダイバーシティ(多様性)やインクルージョン(包括)をあえて強調せず、文化として根付かせようとする姿勢がとても素晴らしいと思います。私は小さな喫茶店を経営しています。若い頃に手話サークルに加入し、聴覚に障がいがある方のみではなく、さまざまな障がいを持つ方との交流を経験することで、その人の立場を想像できるようになったような気がします。だから、障がいの有無だけでなく、年齢や性別、人種や国籍、宗教や趣味など、どのような違いがあっても、気軽に利用できる店づくりを心掛けています。』

 題名や原稿内容については一部校正されてはいるものの、概ね自分の意図する事が書かれています。主なコミュニケーション手段として手話を用いているコーヒーショップについては、いろいろと意見はあるものの、あのように形態で実現できるのは大手企業だからこそだと思います。ダイバーシティ(多様性)やインクルージョン(包括)を強調するかどうかは別にして、何よりも形にしていることが素晴らしいことです。 

 私の店は、小さな町の小さな珈琲屋です。一人で何もかも全て行っているため、一人で出来ることに限りがあります。けれど、一人だからこそ可能なこともあると思っています。普通のコーヒーを普通の価格で普通に飲める普通の珈琲屋。それが、普通に存在し続けることに意味があり、どんな人も気軽に利用できる状態があたりまえになること。そして、この小さな町にとって必要な珈琲屋になることが私の目標です。

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光彫り

昨日は、神奈川県へ出かけたついでに、新横浜駅から横浜駅に寄り道をし、気になっていた、そごう横浜店のそごう美術館で開催中の「光の芸術家 ゆるかわふうの世界 宇宙の記憶」を見に行きました。

 ゆるかわふうさんは、湯河原町にある元幼稚園をアトリエとして活動しており、建築物の内側に使われる発泡断熱材(スタイロフォーム)の背後からLED照明を当て、表面を金属ブラシで削ったり、半田ごてやシンナーで溶かしたりして凹凸をつけ、その彫り具合で濃淡を作って光と陰影を表現するという、世界初のオリジナル技法「光彫り」の作家です。

 映像でしか見たことがなかったため、実際に見たくて開館時間に合わせて入館したこともあり、ほぼ独り占め状態で鑑賞することができました。題材自体は珍しいものではないものの、自分が水中の中にいるような感覚になるほどの新鮮さがあったり、アフリカの大地に立っているような気分にさせられます。

 絵の具ではできない透明感のある奥行きが表現できる画材と唯一無二の技法ですが、さらに昨年からは、「光彫り」を不透明なアクリルでカバーし、その光のトーンを霞がかかったようにぼかした新シリーズを発表されています。個人的には、浮かび上がった美しく鮮やかな「青」が好きなんですが。 

 ゆるかわふうさんの作品は、湯河原温泉にある源泉上野屋が今年オープンした、一棟貸しの温泉宿「上野屋別邸」に常設展示され、「泊まれる美術館」をコンセプトとして、光の陰影が生み出す現代アートを誰にも邪魔されることなく眺めながら、のんびりと過ごせるんだとか。一度泊まってみたいものです。

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初顔合わせ

今日は店を臨時休業にし、神奈川県相模原市に住む娘の所へ行ってきました。今週の日曜日に未熟児で生まれた孫が退院することになり、退院に合わせて妻が先乗りしているところへ、遅ればせながら初顔合わせをしに向かったのです。

 日帰りでの訪問となり、短時間でのご対面となりましたが、お爺ちゃんとしては役目が限られているため、この程度で構わないのかもしれません。でも、抱っこやミルクを与えるくらいの最小限度の触れ合いはしております。

 1450g程しかなかった体重も、現在では3000g程に増えており、順調に成長しているようです。離れて暮らす娘家族のため、遠くから見守るくらいしかできませんが、健康に育ってくれることを願うのみです。気が早いですが、酒を酌み交わすことはできませんが、美味しいコーヒーを淹れてやる時がくれば嬉しいと夢見ているしだいです。 

 風貌だけはお爺ちゃんでしたが、本当にお爺ちゃんになった私です。

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うさぎ岩へ

 『今のお月様にゃあ餅つきうさぎは2匹しかおらんけどの~、大昔にはの~、月の神様にお仕えするど~ら~ぎょうさんのうさぎがおったそうな。月の神様はど~ら~きれい好きでの~、ほんだもんで地球から見えるお月様はきれいなんよ。しかもお恵み深ぁ神様での~、お月様の国で餅をついちゃあ他の星の神様にも分けてあげとったそうな。

お月様の国をきれいにしたり、餅をついたりすんのはうさぎんたぁの仕事なんだけんど、神様に背いて掃除も餅つきもやらへんうさぎんたあもおっての~、お月様の神様はそういう怠けうさぎんたぁを次から次へと俺らの地球に下ろ~てしまや~たそうや。最後まで残ったウサギは3匹で、2匹のうさぎで餅をつき、もう1匹は手返しをしよ~たげな。

お月様では、いっつもかも餅をついとるんやけど、どんだけついても足らへん。だって、ど~ら~数の星の神様たぁに分けてあげるんやから。そのうち、手返しウサギは先に地球に下ろされたうさぎんたぁと同じように、だだをこねて時々手返しを怠けるようになってしまったそうや。月の神様は、手返しウサギに餅つきの大切さを話ししたんやけんど、そのうち全くやらへんくなってしまった。だもんで、他のウサギんたぁと同じように、ついに地球に追いやってしまわれたんや。そんやから、残った2匹だけで餅をつくようになったんよ。

先にお月様の国を追われたウサギんたぁは、昼は寝て、お月様が出るがさあと、お月様に向って急に踊り出して月を懐かしむのや。そのうち、ウサギんたぁは野ウサギとなり山うさぎとなっちゃって、夜しか行動ができへん体になっちゃったそうや。最後に下ろされた手返しウサギも、他のウサギと同様に月を懐かしみ、お月様のもとへ帰りたくなり、近くの一番高い山に登って月の神様にお願いしようと山に登りかけたんやけんど、昼間はキツネや犬にぼいかけられてなかなか登れやせん。やっと8合目まで登った時、太陽が出てきて昼間となり、ついに動けんなくなって岩となってしまったのや。これが現在のウサギ岩や。』

 こんな話が、瑞浪市陶町の公民館で発行する「もっと知ろう 方言昔話(5)うさぎ岩」の中に登場します。そこで、来年の干支である、うさぎに見える大岩「うさぎ岩」を実際に見るため、陶町大川の八王子神社の駐車場に車を止めて、「うさぎ岩登山道入り口」を徒歩で進むことにしました。

八王子神社のある場所は、世界一の狛犬や世界一の茶壷近くにあり、うさぎ岩への登山道は陶町の街づくりの方たちによって整備されているのですが、普段から運動していない私にとっては大変キツイ運動となりました。事前調べでは約 20 分で登ることができるとあったのですが、実際には30分程かかってしまい、途中で登るのを諦めたくなるくらいでした。

登山道の傍らには何度か「うさぎ岩」を示す看板があるものの、残り○○mといった表示があると、頑張れるのになどとボヤキながら登って行くと、雑木林の先にうさぎ岩のビュースポット(展望台)に到着します。そこには70代と思われる男性が先に到着しており、「年賀状の写真に使いたいと思って。」といって、うさぎ岩の写真を撮っておられました。振り向くと、陶町の町並みが小さく見え、ここが標高525メートルの丘にあることを実感しました。 

うさぎ岩は、高さは約6メートルで、周囲は約30メートル。大きな岩の上に、亀裂が入った別の岩が載っており、角度次第で、ウサギの胴体・頭・耳に見えることから、先ほどのような昔話が生まれたのでしょう。諦めずに登り切った私は石にならず、人間として12分程で下山したしだいです。疲れた。

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飲食店の廃業

お客様から、「今年1月、町内に開店したカフェが12月で閉店になるって知ってた?」と尋ねられました。調べてみると、確かに古民家をリノベーションしたオシャレなカフェが、instagramで閉店を知らせています。

飲食店経営は難易度が高く、1年以内に30%2年以内に50%3年以内に70%5年で80%以上が廃業してしまうといわれています。廃業する主な理由は、初期投資の大きさ、一度始めたらやり直しがきかない、運転資金不足、準備不足・計画・戦略が不十分、自分好みにこだわり過ぎる等々、ケースバイケースではあるものの、特に「喫茶店」という業種で見ると、そもそも儲からない分野なのです。

それが分かるのが総務省統計局のデータで、事業所数の最も多い「一般飲食店」の内訳を産業小分類別にみると、事業所数の構成比では、「喫茶店」が19.9%と最も多いにも関わらず、収入額の構成比では、「一般食堂」が17.3%と最も多く、次いで「日本料理店」が15.6 %、「中華料理店」が14.0%となっており、「喫茶店」は何と8.1%と低いのです。喫茶店の店舗数が多く、競争相手がいて収入額が少ないというのではなく、そもそも客単価が低いために儲かたない業種なのです。

コーヒー豆の豆売りを主とする珈琲屋についても同様で、過去のブログにも記しましたが、生豆商社のセミナーにおいて、大卒並みの収入のある人は全体の一割という話があります。実際に生豆を卸している商社の担当者としては、どれだけ売れば採算が取れるのか分かっているので、「なるほどな~」と感心しだいです。 

 飲食店経営は難易度が高いからこそ、事前準備が大切であり、ブームといった一過性の流れに乗るのではなく、長く続けられる仕組みづくりが必要になります。などど、いっている私と言えば、まめ蔵が8年経過を迎えようかといったところであり、いつ廃業の危機に陥るかも知れません。先ずは、精進!精進!なのです。

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CARTE NOIRE (カルト・ノワール)

突然、若い女性と思しき方から、「私、誰だか分かる?」と尋ねられ、ドキッとする人もいるかもしれません。私の場合は後ろめたい記憶もないので、ジーッとマスクの上の目を見ていると、その声から長女の同級生だと気付きました。そう、彼女は現在フランスに在住で、3年ぶりに実家へ帰ってきていたのです。そして、フランス家庭で一番飲まれているコーヒー「CARTE NOIRE (カルト・ノワール)」を、お土産だといって手渡してくれたのでした。

フランスでcafé(キャフェ)といったら、いわゆるドリップコーヒーではなくエスプレッソのことです。街中のカフェでも、レストランでも食事の最後に出てくるのはエクスレッソで、ミルクをたっぷり入れて飲んだりしているそうです。そんなフランスの大衆コーヒーが「CARTE NOIRE(カルト・ノワール)」であり、ヨーロッパの各都市のスーパーにはだいたい置いてある市民になじみのあるコーヒーのようです。

この会社は1978年に創立されたフランスの会社でしたが、2016年にイタリアの「LAVAZZA(ラバッツァ)」に買収されています。確かにパッケージを見ると記載がありました。彼女曰く「フランスで買ったコーヒーだけど、実はイタリアなの」とオチも付けてくれます。

お土産に多い極細挽きで、深煎りの濃いコーヒーを飲みながら、「très bienトレビアン)」とまではいきませんでしたが、ちょっとだけフランス気分を味わうのでした。そして、二杯目はカフェオレで。

 久しぶりに会った彼女は二人の子供を育てる「肝っ玉かあちゃん」といった雰囲気で、とても逞しくなったものだと感心した再会でした。

 

 

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伝えるということ

先日、コーヒー産地のセミナーをネットで視聴していると、通訳者の「え~っと」、「あの~」といった言葉が耳に付いて聞き取りにくかったのです。マイクの音量が低いことや、コーヒーの精選方法の説明の際に選んだ言葉が中途半端だったりと、一部の人には正確に伝わったのだろうかと気になりました。

10月にSCAJ2022で行われた産地セミナーにおいても、複数の通訳者の言葉を通して情報を得たのですが、技術的なレベルというより、コーヒーに関連する知識を通訳者がどれほど有しているのか、また、実際に経験しているかのよって通訳者の言葉や抑揚に違いがあり、聴講する側にとって理解度が違っていたことを思い出しました。

こうした時に、自分も他国の言葉がしゃべれたらな~と思うものの、端から学ぼうといった意欲もない私です。しかし、外国語でなないものの、一応、多少なりとも手話通訳に携わっている者としては、言葉を受け取る側であると同時に、相手に言葉を伝える側でもあるため、身につまされることも多いのです。

伝えるべき内容を正しく正確に表現することは当然であっても、相手の年齢や経験値などによる理解度は異なってきます。「自分は間違いなく伝えたんだ」と思っても、実際には理解されていないことは多いものです。その場合、多少の比喩や部分的な省略をしながら情報を伝える技術が必要なのですが、それ以上に、自分自身が言葉の意味を正しく理解しているのか、分かりやすい日本語を持っているのかが重要になります。

以前、EテレのハートネットTV フクチッチ(10)「障害者と選挙 後編」を見た際、政治の取材歴20年以上のベテラン記者が、知的障害のある人たちに向けたわかりやすい参議院選挙の記事づくりに挑戦する内容でした。その記者が「むずかしい言い方をするって、ある意味、楽なんですよ。なんか、分かったような感じになるってね。分かりやすく伝えることは、薄っぺらということでは全くないので、やっていて、自分が本当にニュースの中身を理解できているのか、問いかけみないなものもある。」と話していました。ホント、分かったような気になるって感覚は確かにあります。 

 私は語学力が高い訳でもなく、伝える表現力もあるとは思っていません。だからこそ、ツイッターのような短文でのコメントは苦手なため、業務連絡的な使用しておらず、ブログを使って拙い文章を綴っています。それが、自分には合っていると考えているからです。伝えることは難しいことですが、自分以外の人が存在している世界では、コミュニケーションは必要不可欠なものです。だからこそ、自分自身が学び続けることが大切だと感じたのでした。

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