■ 2020年9月 ブログ

虫の音とコーヒーを挽く音を楽しむ

 風呂上がりに書斎に行って涼んでいると、窓の外から様々な虫の音が聞こえてきます。鈴虫:「り~ん、り~ん」、コオロギ:「ピリリリリー」、マツムシ:「チンチロリン」、ウマオイ:「ジージー」、くつわ虫:「がちゃがちゃ がちゃがちゃ」、キリギリス:「ギッチョン、ギリリリー」、比較的草むらの多い場所なので、賑やかな虫の音を楽しめます。 

 火照った体も涼しくなり、ポットの水を沸かしてコーヒーを淹れる準備をします。コーヒー袋に入っている残量を確かめる「シャカシャカ」する豆の音、メジャースプーンですくう時の「ザクザク」と奏でる音、そして、電動ミルに投入すると「カラカラ」と豆が踊り、スイッチを入れた途端に豆が砕かれる「ガリガリ」と擦り潰されたような音。少し騒がしい音ではあるものの、その瞬間に香りが一気に広がります。 

 『珈琲店タレーランの事件簿』(著:岡崎琢磨)のように、クラシックなモデルの手回し式のコーヒーミルならば、「コリコリコリコリ」と豆を挽くのだろうが、普段は電動ミルを使ってしまうので、切間美星のように「その謎、たいへんよく挽けました」とはなりません。ですから、賑やかな虫の音を聞きながら、夜のコーヒーを楽しむのでした。 

 ところで、窓の外で鳴いている虫の音は「虫の声」とも言います。日本的な風流なものですが、西洋では虫の声をノイズととらえるといわれ、虫の声を認識しても季節感を感じることはないようです。 また、昆虫に関して日本ほど細かく分類していないこともあり、秋に虫が鳴いても、それがどの虫であるのか意識しないようです。ましてや、虫カゴに入れて鳴き声を楽しむという発想は欧米には無いんだとか。 

 その理由について、以前、東京医科歯科大学の名誉教授・角田忠信氏が説明しており、日本人とポリネシア人の脳の働きには、他の多くの民族と比べて大きな違いがみられるといいます。人間の脳は右脳と左脳とに分かれており、一般に右脳は感性や感覚を司り、左脳は言語や論理性を司ると考えられています。そして、ほとんどの民族は虫の声を右脳で認識しますが、日本人とポリネシア人だけは左脳で認識しているというのです。そのため、多くの民族には虫の声は「雑音」にしか聞こえない一方、日本人とポリネシア人には「言語」として認識されるということです。 

 また、日本語研究家の藤澤和斉氏によると、日本語とポリネシア語の特徴は、母音を中心としている母音部族のため、母音も子音も区別せず言語脳である左脳で処理しますが、それ以外の言語圏の人々は、まず母音を右脳で雑音として受け止めてから、子音を左脳で言語として処理しているといいます。さらに、そうした脳の使い方は、育ってきた言語環境によって変化するので、欧米人であっても日本語環境で育つと日本人同様の感覚になるといいます。 

 全く意識しないで虫の音を聞いていましたが、世界には同じように聞こえていない人がいると思うと、何だか不思議な気分です。ということは、先日書いた絵手紙の「虫の音と豆を挽く音を楽しむ」は、楽しめない人がいるんだ! 

0 コメント

赤いそばの花

 秋には彼岸花をはじめ、色とりどりのコスモスが咲き誇ります。定休日の今日は、珍しい赤い花が咲くそば「高嶺ルビー」を見に、八百津町の福地地区まで行ってきました。 

 岐阜新聞Web版(927日)によると、「岐阜県八百津町福地の体験型施設『福地いろどりむら』の棚田で、赤いソバの花が見頃を迎えている。『高嶺ルビー』と呼ばれる品種で、緑豊かな山里の一角を鮮やかに染めている。町内外の住民でつくる福地そばの会が、地域を花で彩ろうと耕作放棄地を活用して育てており、10年目。ソバは一般的に白い花だが、高嶺ルビーは品種改良によって赤い花を咲かせる。棚田では、約1ヘクタールにわたって咲き誇る珍しい赤いソバを、観光客や登山者らが写真に収めていた。開花のピークは10月初旬まで。」とありました。 

 この「高嶺ルビー」という品種は、1987年にヒマラヤの標高3800mのところから、赤い花の咲くそばを日本に持ち帰り、信州大学の故氏原暉男名誉教授がタカノ株式会社(宮田村)と共同で開発して真紅の花を作り、高嶺ルビーと名付けたものです。その後、長期にわたり品種改良をかさね、2011年にさらに赤みを増した「高嶺ルビー2011」が誕生しています。 

 そんなことから、長野県上伊那郡箕輪町では、「中箕輪そば組合」が1997年から農地の遊休化防止のために耕作を始め、「赤そばの里」と名付けられ、2006年には、上古田地区の有志による「古田の里 赤そばの会」が耕作を引き継ぎ、遊歩道・駐車場・トイレ・休憩所等の整備された、東京ドームほどの広さ約4.2haの広大な畑で栽培されています。 

 本来なら、一面赤いそばの花が広がる「赤そばの里」に行きたかったのですが、今年はコロナ禍ということもあり、赤そば関連の一切の事業・行事は行なわれておらず、そばの花も咲いていないそうです。それならばと、今回、八百津町に向かったものの、標高100mにも満たない場所から、標高650mの福地地区までの道のりは想像以上に長く感じました。登れども集落は見えないので、「いったいこんな所で本当に暮らしているのか?」(失礼しました)と、テレビ番組の「ポツンと一軒家」のロケにダブって車を走らせたのです。行ってみたいと思った方は、こころして出かけてください。 

 ちなみに、そばの花は赤いですが、そばの実は普通のそばと変わらない色のようです。 

0 コメント

店主肥ゆる秋

 10月1日の「コーヒーの日」用イベント葉書を発送しました。毎回ギリギリになって準備する状態が続いています。でも、こうした準備をしながら、お客様の顔を思い出したり、コーヒーの事を考えたりする大切な時間になっているのです。拙い絵手紙を見ながら、秋を感じてコーヒーを飲んでもらえたら幸いです。 

 そんな週末、お客様から差し入れをいただきました。一人は関銘菓「小瀬の若鮎」、もう一人は春日井の洋菓子店エンペラーの「ファンシー」です。一度に和菓子と洋菓子が楽しめるのはうれしいけれど、二人とも関や春日井には住んでいないのに「何で、これなの?」といった疑問が残ります。 

 まあ、それは気分でしょ?ってことにして、コロンビアを少し濃く淹れて美味しくいただきました。有難い!有難い!そうやってパクパク食べているために、夏場に微増(?)となった体重は元に戻ることなく、「馬肥ゆる秋」のように「店主肥ゆる秋」になってしまいそうです。そんな訳でして、くれぐれも差し入れはお控えください。食欲をコントロールできない店主が糖尿病になってしまいます! 

0 コメント

総務省統計局のデータを見ていたら

 先週、我が家に国勢調査の調査票が届きました。今朝、ブラウニーを焼いている時間を利用して、国勢調査オンラインからチョチョっと入力しておきました。でも、このデータがどれほど活かされるんでしょうか?その国勢調査を行っている総務省統計局のデータを見ていたら、面白い物が見つかります。 

 ちょっとデータが古いのですが、「喫茶店のいま」という資料があります。珈琲屋なので関連する検索をしてみたのですが、総数が少ないこともあってか、喫茶店のデータしか見つかりませんでした。改めてデータを見ると幾つかの気付きがあります。 

まずは、名古屋市の喫茶店文化について、「喫茶店のモーニングサービスで有名な愛知県名古屋市は、喫茶店の事業所数、従業者数、人口当たり従業者数など様々な項目で上位になっています。一説では、競争相手が多いため独自の進化を遂げたと言われています。家計調査では県庁所在市及び政令指定都市別に1世帯当たりの「喫茶代」の支出金額を集計しており、愛知県名古屋市は14,301 円と、全国平均5,770 円を大きく上回る金額で全国第1 位となっています。」(2013 年~2015 年平均)と、まとめているものの、名古屋市の喫茶店文化を競争相手が多いためという認識はどうかと思います。 

意外だったのは、人口1千人当たり喫茶店数が最も多いのは高知県だということ。人口1千人当たり喫茶店数をみると、高知県が1.56 事業所と最も多く、次いで岐阜県が1.43 事業所、愛知県及び和歌山県が共に1.13 事業所などとなっており、西日本が多くなっています。(平成26年)ちなみに、その後には大阪、兵庫、香川、京都と続きます。京都はコーヒーのイメージが強いですが、やはり京都市内だけなんでじょうか。 

続いて、人口1千人当たり喫茶店従業者数が最も多いのは愛知県で、5.38 人と最も多く、次いで東京都が5.09 人、岐阜県が4.94 人などとなっており、愛知県、東京都、大阪府など、大都市が多くなっています。(平成26年)人口の多い東京では接客数が多くなるので当然でしょうが、そうなると、愛知県や岐阜県は手厚い接客を行っていることになるかも。

 また、その喫茶店を経営組織別にみると、平成26年は24 年に比べて「法人」は8.8%の増加、「個人経営」は3.3%の減少となっており、総数ではまだまだ個人経営が多いものの、現在も法人のFC店や直営店が増加する傾向は変わっていません。そして、喫茶店の「法人」及び「個人経営」の別の割合を都道府県別にみると、「法人」は東京都が53.3%と最も高く、次いで神奈川県が47.5%、宮城県が38.6%などとなっています。「個人経営」は和歌山県が92.3%と最も高く、次いで高知県が91.9%、沖縄県が87.7%などとなっています。早い話、都市部は市場があるから法人が攻めて、市場の少ない田舎には攻めてこないだけなのです。 

そうしたデータを見る限り、市場規模の小さな田舎には法人の攻め入る価値は無いようです。ただ、まめ蔵が営業している町には「コメダ珈琲店」があることを考えると、さほど田舎ではないのかもと思ってしまいます。それとも、人口1千人当たり喫茶店数の多い土地柄かも知れませんね。考え方を変えれば、まだまだ生き残れる市場だともいえる訳ですから、生き残るための工夫が求められます。 

ただ、収益が見込まれないとみるや、素早く撤退するのも法人の特徴です。もともと生まれ育った町で開業することが前提の私としては、撤退する選択肢が無いだけに、より厳しい状況に追い込まれることも覚悟しなければなりません。総務省統計局のデータを見ていたら、ちょっと厳しい現実に気付かされました。 

0 コメント

彼岸に美術館へ

 彼岸となった朝、自宅の庭に彼岸花が咲き始めました。まったく、彼岸花とよく言ったものです。そして、あらかじめお墓の掃除をしてくれた妻を残し、一人で墓参りに向かいます。妻は寛解となっていた病が再び悪さをしたため、自宅療養中の身とあって、細かく指示を出してくれます。今は、その指示に素直に従うばかりという訳です。しかし、気持ちのよい朝に、一人お墓参りに行くのも悪くはない。肌に当たる空気が清々しい。 

 午後からは岐阜県現代陶芸美術館へ行き、開催中の「神業ニッポン 明治のやきもの 幻の横浜焼・東京焼」(9月5日~11月3日)を見ます。明治時代に作られた、華やかで精緻を極めたモチーフによって装飾された輸出陶磁器「横浜焼・東京焼」を幻というらしい。これまで地元美濃焼の街で見てきた「西浦焼」や「根本焼」も幻といわれてきたけれど、「横浜焼・東京焼」とはいかがなものか確かめるべく館内を歩きます。 

 神業ともいうべき超絶技巧を凝らし、外国の人々の好みを反映して製作されたというだけあって、日本人受けしないデザインながら、職人技が光る作品、いや、商品が並んでいる。商品と表現したのは、明治政府の殖産興業政策を機に、生糸貿易や日本の伝統工芸品の輸出が盛んに行われるようになったことから、伝統工芸品である日本の焼き物は欧米諸国で非常に高い評価を受け、貿易の中心地であった横浜に生産の拠点を移したことがうかがえた。 

 けれども、「横浜焼・東京焼」というよりも、そこに並んでいるのは九谷、京都、有田、瀬戸といった日本各地の職人技の商品であり、「横浜・東京の絵付職人展」といった感想を持ちました。廃藩置県により藩窯として製作しできなくなった職人達が職を求めて横浜に移す者もいたというから、素地も各地よりとりよせたという。何だか輸出用商品の生産基地という印象です。 

 そもそも、「神業ニッポン」ってのもテレビのタイトルみたいで、「横浜焼」や「東京焼」という言葉ありきで構成されているかのように思えてきました。現在、横浜焼として運営しているのは数少なく、個人で活動している数はわかっていないというが、一時期は数百名もの横浜焼に携わる人が居たと言われているならば、そうした人から過去を追いかけるルポルタージュが見てみたいものです。 

 彼岸の時期しか咲き誇らない彼岸花のように、美術館での企画展でしか花咲かせることのない「横浜焼・東京焼」よりも、いまに生きる「横浜焼・東京焼」を見つけることも意味のあることだと思ってみたりします。 

0 コメント

コーヒーについてぼくと詩が語ること

 先日、ある方から「コーヒーに関する、こんな本があるよ。」と、紹介していただいたのが、『コーヒーについてぼくと詩が語ること』(著者:小山伸二 出版社:書肆梓)です。それならば、Amazonでポッチと注文しようと検索しても出てきません。「それ、小さな出版社だから、直接、出版社のサイトから注文してください。」と言われ、後から注文することに。

 さて、注文してみるかと出版社名を見ると、何と読んだらよいのか分かりません。「しょ・し・し」、それとも「しょし・あずさ」、はっきり分からないけれど、「書肆(しょし)=本屋、書店」で、「梓(あずさ)=版木、出版」という意味があるようで、「しょしあずさ」が正しい読み方のような気がします。 

 紹介者が「自分の詩集の私家版を作ろうと思ったのがきっかけで作った出版社で、小山伸二氏が代表だから。」言われたとおり、手作り感ある出版社で、自分の本だけではなく、詩人仲間の詩集も出版しているようです。でも、「なぜ、詩集とコーヒー本?」という疑問が湧いてきます。 

 そんな疑問は、本が届いて著者の経歴で直ぐに納得します。そして、詩人の書いたコーヒー本「コーヒーについてぼくと詩が語ること」を読み進めると、意外にも、これまで読んできたコーヒー本よりも、史実や歴史的背景が飲みこみやすいことに気付きます。著者がインタビューで「そもそも、古代において詩は、単なる文学を超えて、歴史書であり、公式文書でもあったのですね。」と言っていたのも納得できます。 

 西欧化と日本のコーヒー受容について、「中東のコーヒーと極東の茶の湯の文化、まったく異質のふたつの文化のなかで、『喫茶』が同時代性を持っていた」とういうのも興味深いことでしたし、「世界のことを考え、戦争や文学を、そしてコーヒーを語ることは、決して高踏的な趣味ではない。もっと切実な問題として、いまのぼくたちに課されたものだと思う。」、さらに、「ローカルに行動し、グローバルに思考すること。」という言葉には共感しました。 

 小山(おやま)氏は編集者のインタビューの中で、「コーヒーは、さまざまな年代の人に愛されている飲料です。そして、若い世代にも、昭和時代の喫茶店文化、コーヒー文化が、単なるノスタルジーを超えて、関心を持たれているのだと思います。そんななか、まだまだ語られていないコーヒーやカフェの魅力、とくに文化的な魅力があるのではないか。それをぼくは、『コーヒーの光と影』という視点で語っていますが、そういう話を、若い世代のコーヒーやカフェの愛好家、そしてコーヒー業界で働いている方々に読んでもらえたら、と思っています。」と言っており、コーヒー業界の片隅で商いをしている私にも「コーヒーの光と影」を垣間見ることができました。 

 「コーヒーに異常なまでの情熱を傾けてきたこの国の先人たちの思いが連綿として伝えられたのだ。」という、そのコーヒーに携わる「まめ蔵」は、お客様にとって「いざ、コーヒーハウスへ」のごとく、「いざ、まめ蔵へ」となるように精進したいものです。 

 詩はおもしろい!また、ゆっくり読み返してみよう!さて、頂いた一杯分のペルー深煎りを、松屋式ネルで淹れて飲むとしましょうか。 

2 コメント

思いがけない花火

 土岐市内を中心とした20代~50代の30名ほどのメンバーでボランンティア活動している「優志の会」が、9月19日(土)の2000より、市内6箇所で打ち上げ花火を3分間程度行いました。密集を避けるため、打ち上げ会場はシークレットとなっていましたが、幸いにも我が家の二階ベランダから花火を鑑賞することができたのです。 

 新聞折込に入っていたポスターによれば、『今年は、新型コロナウイルス感染症の拡大により全国各地で様々なイベント行事が中止となりました。私たちの住む土岐市も例外ではありません。しかし、「こんな時だからこそ何かできることはないだろうか?」「こういった状況だからこそ前を向くべきではないだろうか?」そう考え、市内6地区において打ち上げ花火の開催を企画しました。』とあります。 

 ポスターには、「コロナに負けるな土岐!!」「未来ある子供たちに!希望ある未来を!!」など、願いの言葉やコロナに負けない強いメッセージが誌面いっぱいに書き込まれています。3分という短い時間でしたが、妻と共に夜空を眺めながら、そんな思いが夜空高く天まで届くことを願っていたのでした。 

 でも、せっかくの花火も画像が悪く残念! 

0 コメント

500回記念ブレンドを飲む

 最近、「読書の秋」を実践し、毎朝お店の開店準備ができると、最初のお客様が来店されるまで本を読んでいます。そんな朝、宅配便の車が停まりました。「何も注文していなかったはずだけど?」と、疑問に思いながら届いた包みを見ると、差出人は西尾市のフレーバーコーヒーです。中身は「週刊フレーバー500回記念ブレンド 深い初恋」でした。なるほど、お祝いに贈った花のお返しなんだ!早速、まだ誰もいない店内でコーヒーを淹れて楽しむことにします。 

 週刊フレーバーを通じて色々なことを知り、それが縁で、今まで出会ったことのない人と関わりを持つことになったことに感謝し、ありがたく記念のブレンドを飲み干します。でも、「なんで、記念のブレンド名が深い初恋なの?」初恋とは縁遠くなった還暦過ぎの私には、初恋も、さらに深い初恋も想像すらできません。だから、美味しく飲んだものの、ブレンド名の意味するところも分からずにいたのでした。 

 午後になって二杯目の記念ブレンドを飲んだ際、「とりあえずググってみるか。」と、「深い初恋」で検索してみます。すると、「二度目の初恋は、激しく深く。」というコミックが出てきます。確かにこれなら、「深い初恋」の意味としては感覚的に理解できそうです。じゃあ、誰が二度目の初恋をしたの?・・・何だかどんどん横道に逸れていくので、それ以上ブレンド名の由来について拘ることを止めます。コーヒーは美味しく飲めればいいんですから。 

 ちなみに、まめ蔵のブレンドは「まめ蔵ブレンド」一種類のみです。季節に合わせたり、情緒に訴えるような商品名ではありません。ですから、ネーミングの意味等、何も考えずお飲みいただけます。でも、気になるな~。 

2 コメント

初めてのWebセミナー

 生豆商社から、917()Web上にてセミナーを開催するというので、「面白そう!」と思って申し込みました。ただ、セミナー開催時間が14:0015:30頃までというので、カウンターの中にタブレットを置いて、接客しながらという忙しい受講となります。 

講師は石光商事(株)杉本氏で、テーマは「with コロナ ~グアテマラ~」です。新型コロナウイルスとグアテマラの現在の状況、考えられる弊害について、新型コロナウイルスを含めた、産地との関わり合いとして、生産者とのつながり、共にワークすることの重要性についてです。また、グアテマラの農園について、エリア担当がそれぞれの商品に関わる「人」について語り、生産者たちの努力と、現在の進捗を伝えるといった内容です。 

そもそも、テレワークで使われるようになったZOOM(ズーム)も初めてなので、その使い方が分かりません。とりあえず、ZOOMへのサインアップまでたどり着きながら、準備を整えて開始時間を待ちます。まあ、なんとかなるだろうと構えていたら、開始時間になってサインインすると音声が出ません!! 

??どこに原因があるのか分からず焦りまくります。画面のボタンを手探りで押して、どれが何のボタンかを確かめながら、ほどなくして音声が出ました。けれど、内臓のスピーカーでは音量は低くて聞き取れないため、イヤホンが欠かせないことに気付きます。「あ~、家を出るときにBluetoothのイヤホン持ってくるんだった!」、後悔しても既に遅し、イヤホンのコードをブラブラさせながら、タブレットを持ちながら、お客様から見たら何やってんだろ?って思われたんだろうな~。 

そんなこともあって、肝心な内容が頭に入ってこない。事前にグアテマラでのコロナ禍の状況については、アンティグアに住む日本人のブログで把握していたものの、公共交通機関の閉鎖や移動の禁止によって、農場のメンテナンス不足、収穫作業の人手不足、不充分な品質管理、さらには、ロジスティックの遅延といった課題があるようです。また、コロナ禍によって経済が落ち込み、収入減のためにアメリカへの移民の増加も問題になっているようです。 

最近では、COEやオークションが天井知らずのように高値で取引されています。適切な価格で安定的に取引できる産地との関係が重要になってきており、末端の珈琲屋の端くれではありますが、今後、どのように関わっていけるのか考えさせられました。 

それよりも、初めてのおつかいではないですが、初めてのZOOMを使ったWebセミナーに、ただただ翻弄された時間でした。この経験を次回に活かさねば! 

0 コメント

祝500回

 「まめ蔵」を始める前、どんなお店にしようか?どんな仕組みにしようか?かなり長い時間をかけて考えてきました。同時に、自分がこれまで経験したことのない分野であるため、何でも見て、経験してやろうと、あらゆる機会を通じてコーヒーやお店づくりを学ぶ場へ足を運びました。

 そもそもコーヒーについての知識もないことから、一からコーヒーの歴史や産地ついて学び、抽出方法もエスプレッソ、サイフォン、ペーパードリップと学べるところを必死に探し、東京、大阪、神戸、名古屋と週末を使って出かけたものです。そこで同じ夢を持っている人から新たな情報を得ながら、さらに時間を見つけてはコーヒーに関するイベントにも行くことになります。 

 そうやって、抽出方法をペーパードリップに決めてから、さらに台形ドリッパー、円錐形ドリッパー、ウェーブドリッパー、金枠ドリッパーと、それぞれ本家本元といわれる場所に赴き、実際に話を聞きながら体験します。そんな中で出会ったのが、西尾市の珈琲屋さん「フレーバーコーヒー」でした。といっても、実店舗ではなくYouTubeという動画の中で、「週刊フレーバー」という動画チャンネルです。 

 201118日に「まじめな珈琲教室」から開始され、珈琲の焙煎や松屋式抽出方法の解説、時には哲学を語り、数々の実験を通してコーヒーの魅力を発信してくれています。その楽しさに魅了され、過去の動画を全て見ながら、実際に同じ実験をして検証をしてみたものです。結果的に現在、お店で抽出する方法も松屋式にしている訳で、特定の師匠や先生といったものを持たない私ですが、大変大きな影響を受けた存在です。 

 そんな「週刊フレーバー」が放送500回を迎えるのが昨日の夜でした。もっとも厳密には500回以上も放送されており、500回というのも曖昧な部分もありますが、私にとっては記念となる放送回であったのです。でも、どうやら特別な企画もなく、いつもどおりグダグダとやり過ごそうとしているようだったため、放送500回を意識して花を贈っときました。なにはともあれ「おめでとうございます!」

 ひとつだけ残念なのは、フレーバーのホームページに「お気楽珈琲稼業」と付してきたのを、「こだわり珈琲稼業」に替えてしまったことです。私もお気楽に珈琲屋をやろうと思ったのに、何か梯子を外されたようで、とまどっております。 

 とりあえず、お祝いの気持ちで、いつもどおり翌朝に録画を見ながら開店準備をしております。

0 コメント

喫茶の一族

 京都市中京区河原町には、昭和25年創業、京都の老舗喫茶店「六曜社珈琲店」があります。入口には清水焼のタイルが貼られ、1階の店舗と地下の店舗と別れており、メニューも入口も独立し、地下の店舗は夜にはバーになります。そんな老舗の珈琲店が親子3代に渡って、継ぐ・続けるに向き合った、店と家族のドキュメントが『京都・六曜社三代記 喫茶の一族』(京阪神エルマガジン社)です。 

 本の帯には「100年続く店は どうつくる?」と、なんだか田口護氏の「カフェを100年、続けるために」かぶってしまう気もしないではないですが、こちらの方は、どこかの書評によれば、「終戦後の満州、混沌の中に突如表れた屋台の喫茶店に始まり、運命の出会いと引き揚げ、京都での喫茶店開業に試行錯誤、家族経営のすれ違いと困難、1960年代末の混沌を東京で過ごした名物マスターの青春時代、河原町通の変遷に三代目の苦悩まで、まるで朝ドラを地で行くような個性豊かなキャラクターとドラマの連続。喫茶店という場が生み出す磁場と文化が描かれた傑作評伝。」という訳で、だいぶ趣が違います。 

昭和・平成・令和と長きに渡り喫茶店を続ける間には、まあ色々な出来事があるものだと思い知らされます。たがだか開業から5年しか経っていない若輩者(年齢は還暦過ぎ)の私には、全く思いも及ばないことばかりです。サラリーマン時代に管理者として人を使い、事業所を回していく苦労が多少分かっているだけに、一人で何もかも行う今のスタイルにした私にとって、さらに、家族だからこその難しさは想像を超えるものです。 

 この本は、今年の91日に発行されていますが、京都がもっと好きになるメディアKyotopi828日付記事で、「六曜社」三代目店主、奥野薫平さんのインタビューが掲載されています。そこには「ありがたいことにコロナがあっても、常連さんはやってきてくれたんですよ。嬉しかったですね。毎朝、この席にはあの人が座っているという見慣れた風景があって、店を閉めてしまうとその人の日常がなくなってしまう。だから定休日以外は一度も店を閉めなかったというのもあります。」といったコロナ禍での様子や、「日常を奪わないという意味では、感染からお客さんやスタッフを守るのも大事なこと。空調管理やソーシャルディスタンスの保持、消毒などの対策をきっちりとして、お客さんにも協力してもらって、営業時間も変えずにいた。『六曜社はずっと居場所を作っていてくれた』というイメージがあるから、自粛していた人たちが戻ってきてくれるのも早かったような気がします。」と、「六曜社」に対するお客様と自分の想いも語っています。 

 また、「最近、ある企業とコラボをしてネルドリップのためのコーヒー豆を焙煎&ブレンドされています。ある企業というのが、岐阜県に窯を持ち、陶磁器の製造・販売する「suzugama」さん。」とあるように、コーヒー豆とネルドリップ抽出器具とのセット販売を企画されています。三代目にとっては、創業者や二代目と違って継ぐ・続けるに向き合う時間が重くのしかかるため、変化に躊躇なく対応することも必要になるようです。こりゃ大変だ。 

 そんな事を考えながら、100年はおろか体力の続く限り「まめ蔵」を続けることを目標にしている呑気な私は、珈琲遊戯の「プロビデンシアどす」を呑み、旭軒製菓輔の「くりこ餅」を食べ、「京都にも行ってみたいな~」などと思っているのでした。 

 ちなみに、陶磁器の製造・販売する「suzugama」は隣町にあったので、ちょっと覗いてきました。若者が丁寧に作っている素敵な工房です。 

2 コメント

拙い絵手紙

 人は自分の進んでいる道に迷ったり、自信がなくなってしまうと、ついつい人と比べてしまいがちです。そして、「あの人より前だから、いや少し後ろだから」とか、「ちょっと高い場所にいるから、でも、思ったより低いかも」などと、自分を納得させたり、さらに奮い立たせたり、安心したり、不安になったりするものです。でも、本当は自分の進む道と他の人が進む道とは違うはずなのに、他人と比べることに一喜一憂してしまいます。 

 私がそんな矛盾に気付いたのは40歳を過ぎた頃でした。それ以降は「比べるのは 昨日の自分と 今日の自分と 明日の自分」を常に意識し、自分に問いかける日々が続いています。だから、他人と比べるときは、自分の進むべき道が考えている方向で間違いがないかを確認するときであり、けっして自分が上だとか下だとか、前なのか後ろだとかを確かめるためではありません。大切なのは、自分が進もうとしている道が見えているかどうかであって、他人の道と比べることではないのです。 

 時々、同業他社の店を覗くことがあります。それは自分の店と比べることが目的ではなく、自分以外の店や人など全てが学ぶ場所だと考えているからです。特定の人を師匠や先生として師事したこともないので、手探りで、実際に自分の目や体験で確かめながら進んでいます。不安ではありますが、自分の進むべき道は自分で決断しながら進むしかないのです。 

 昨日、新しい道へスタートする方へ、拙い絵手紙を一枚手渡しました。そこには、「比べるのは 昨日の自分と 今日の自分と 明日の自分」と書きました。どこまで私の思いが伝わったか分かりませんが、その方が自分自身に問いかけながら、自分の進むべき道をゆっくりと確実に歩まれることを願っています。遠方へ旅立つため、再び会うことはないと思いますが、コーヒーを飲んだ時に「まめ蔵」のことを思い出してくれるかな? 

0 コメント

「渦」と「禍」

  「岐阜県は10日、新たに土岐市の40代女性の新型コロナウイルス感染を確認したと発表した。県内での感染者の確認は3日連続で、感染者数は累計569人となった。」(910日岐阜新聞Web) 

「岐阜県は11日、新たに土岐市と可児市で計5人の新型コロナウイルス感染を確認したと発表した。いずれも陽性が確認された土岐市の40代女性の家族や職場の同僚で、関連する感染者は6人となり県は新たなクラスター(感染者集団)と認定した。県内で7月以降に確認されたクラスターは16件目。」(911日岐阜新聞Web) 

「岐阜県は12日、新たに土岐市など4市で計6人の新型コロナウイルス感染を確認したと発表した。うち5人が11日に認定された土岐市でのクラスター(感染者集団)の関連で、一連の感染者は11人になった。県内で感染者が確認されたのは5日連続で、感染者数は累計580人となった。」(912日岐阜新聞Web) 

このように、連日「土岐市」がコロナ感染で取り上げられています。そのため、市内の小中学校で保健所によるPCR検査が行われたり、濃厚接触者のPCR検査が行われるなど、町の雰囲気は暗く、まさにコロナの渦(うず)の中に入ったかのような様相です。 

同時に、これまで土岐市が県内の中でも感染者が少なかったこともあり、新型コロナウイルスに対する警戒感が緩んでいたため、今回のような連日して感染者が急増する結果となり、町の人達も疑心暗鬼になっているかのようです。「どこでも、だれでも感染の可能性がある。」といった当たり前の認識があれば良いのですが、どこか他人事のように考えていた雰囲気が漂っていただけに、必要以上に警戒感を持って過ごす人が増えたように思えます。 

今回は子供たちの感染もあったことから、小中学校でPCR検査が多数行われたことも影響し、発生源を禍(わざわい)の元のように知りたがる人もいたりして、正直「またか。」と感じる時もあります。ただ、第1波といわれる時期と比べれば、少しだけ冷静に捉える人が増えたのも確かです。これからインフルエンザの流行も控えており、犯人探しや誹謗中傷が無くなればと願うばかりです。 

お店の方はというと、お客様の多くが町内以外から来店される方が多く、今回の事象で大きな影響は出ていないのですが、やはり、普段なら来店される方が外出を自粛していると思われケースもあって、いつもと違って静かな週末となっています。 

追伸:これまでブログでは「コロナ禍」を「コロナ渦」と誤って入力していました。一か月分遡って訂正しましたが、それ以前については笑って見過ごしてください。 

0 コメント

農産物だから?

 コスタリカ・ガンボア農園のブラックハニーの販売を始めました。当初、7月入荷予定が8月入荷予定に変更となり、最終的には8月下旬になって入荷となりました。そこでサンプルを取り寄せ、販売準備を始めたものの、何だか思っていたイメージと違っています。 

 このガンボア農園のブラックハニーは、201610月に初めて販売をしました。その時のブログには、「赤ワインのような香り、フルーツのような香り(ぶどう、ぶどうの皮、柑橘)。カラメルのような甘味ときれいな酸味が感じられます。」と記しており、とても印象が良かったものです。「赤ワインのような香り」という表現を使うように、これまでには経験したことのなかった香りに魅了され、毎年仕入れることにしたのですが、どうしたことか、年々その特徴が薄らいでいく印象を持っていました。 

 そこへ今回のサンプルを飲んでみると、「赤いワインのような香り」は安全に見当たらず、まったく別物のコーヒーのようです。「コーヒーは農産物だから。」といっても、最初に飲んだイメージと異なるだけに、そんな言葉は通用しないようで、「ブラックハニーは何時から販売するの?」と期待しているお客様へ、「いつものブラックハニーが入荷しました!」なんて言えない気持ちになって、今日まで販売を据え置いていたのです。 

 とはいうものの、同じコスタリカのガンボア農園のウオッシュドと飲み比べれば、明らかに違いがあり、仕入価格も1.4倍するのですから、その違いを楽しむ上でも販売してみようと考え、商品として提供することにしました。しかし、「農産物だから毎年出来が違うのは当然なんだ。」という言葉には引っ掛るんです。商売として商品を消費者に届ける以上は、そこを揃えるのがプロじゃないの?って思ってしまいます。 

 そんなことを割り切って販売できない私もプロじゃないかも? 

0 コメント

よく分からないコロナ禍のコーヒー産地

 コーヒー豆を購入されるお客様から、ときどき、「コロナの影響ありますか?」と聞かれることがあります。正直、今年は各種のコーヒーセミナーが中止になって情報量が少なく、産地の状態が詳しくわかりません。とりあえずは、今年入荷するコーヒー豆の予定には大きな変化は無いようですが、来年以降には何らかの影響が出てくることでしょう。 

 そんな時、9月初旬にテレ朝のニュースで、コーヒーハンターの川島良彰氏の「コロナ禍コーヒー業界に打撃・・・プロが語る」と題したインタビューが放送されていました。その中で、南米については、「コロンビアとかブラジルは、ちょうど収穫期にまさしくコロナの真最中で、いまだにそうですけれど、そういうなかでブラジルなんかだと、貧しい州の季節労働者がコーヒーの産地に移動して収穫するというのが毎年のパターンで。ところが今、州をまたぐ移動が禁止されたために、労働者不足が起きている。だから、ブラジルでも今年、かなり収穫量が多いと見込まれていたが、木に付いたまま乾燥してしまったという農園が結構あったと聞いています」と答えています。 

 また、中米のパナマでは、15年以上にわたって川島さんと一緒にコーヒーを栽培してきた農園が、取引先との契約キャンセルを余儀なくされ、身売りの決断をしたといいます。「僕のすごく親しい農園の一つも、もうやっていけないということで、中国の会社に買われてしまって、もうすごくショックでした。長年一緒にやってきた農園で、技術指導もしてきて彼のコーヒーを一生懸命プロモートしてきたが、残念ながらもうギブアップしてしまって。」と答え、新型コロナウイルスが収束しなければ、この先、身売りを強いられる農園がほかにも出てくる恐れがあると心配していました。 

 コーヒー農園の身売りや農地を売りに出すという事態は、コロナ禍以前から言われていましたが、今年になってからはさらに増えているようです。さらには、コーヒー生産量世界一のブラジルでは、ボルソナロ大統領の暴走が続いており、先行きが見通せない状況です。 

 新型コロナウイルスを「ちょっとした風邪のようなもの」といったり、決まり文句の「人間はいつか死ぬ」を繰り返すブラジルのボルソナロ大統領ですが、ブラジルは連邦制で、実際の感染対策は州知事が責任を持っています。大統領の出る幕はあまりないのですが、国家を挙げて対策に取り組むという形になっていないので、感染対策に反発する国民が多いのは確かなようです。 

 3月中旬からブラジルでは、日本と同様に州政府や地方首長の判断で、商業施設の閉鎖や外出自粛要請を実施しており、コーヒー産地の一つであるサンパウロ州においても、324日(火)から不要不急の商業活動を規制する政令が発令されました。この外出自粛期間の延長は数回行われており、8月30日現時点では、96日(日)まで続く予定でした。 

 ブラジルの大統領と違って、各州知事が責任を持ってコトナ対策をやっているかと思えば、リオデジャネイロでは828日、病院の建設費や医療機器の購入代金の一部を着服した疑いで、裁判所が州知事の職務を6か月間停止する命令を出しました。警察によると、これまでに27の州のうち16の州で合わせて29件の捜査が行われているということですから、いったいどんな国なの?と驚くばかりです。 

 そんな訳で、いまのところ「よく分からない!」というのが実情です。 

0 コメント

タウン誌には載せません

 9月に入ってから、とても気持ちの良い朝を迎えることができています。きっと、彼岸を境に秋らしさが増すのでしょうね。暑さ寒さも彼岸までとは、まったくよく言ったものです。昼の時間帯を利用して焙煎したコーヒー豆をハンドピックしながら、一人静かに季節の移り変わりを感じて作業をしていました。 

 するとそこへ、数年ぶりにタウン誌の営業マンが訪問してきます。岐阜を中心に岐阜・愛知・三重・滋賀・東京に拠点を持つ広告と生活情報誌(フリーペーパー・フリーマガジン)の㈱中広が発行する、土岐・瑞浪の地域みっちゃく生活情報誌「らせる」です。過去にも何度か営業マンの訪問を受けましたが、そのたびに担当者が異なるうえに、セールスする店舗の情報も事前に調べることなく訪問するので、これまで距離を置いて話を聞いてきました。 

 「まめ蔵」を始める際、珈琲屋として営業するには立地や経験が不足していることもあり、飲食店との併用で経営することを決めました。徐々にコーヒー豆の販売を増やし、珈琲屋へスライドさせることが目標ということもあり、タウン誌などの媒体を通じて一時的に来店客数を増やす手法は望んでいません。また、お店で提供する全てを一人で行っているため、現実的に対応できない状態になることを一番恐れていたのです。一度、タウン誌でイベントや割引を行えば、定期的な広告を出すことに依存する経営体質も気になっていました。 

 そうした理由でタウン誌への広告掲載をしなかったのですが、もう一つに「見つけた感のある店」にしたいという狙いもあるからです。あまり知られていない店を自分が見つけたと言う満足感は、ついつい人に教えたくなります。そうした口コミを大切にしながら徐々に顧客を増やすことを考えています。ただし、「見つけた感のある店」にするからには、来店された方の期待を上回る満足や驚きが必要となるため、自分自身でハードルを高く設定しプレッシャーを与えているともいえます。一人で経営すれば楽をすることを考えがちなるため、あらかじめ怠けない仕組みにしているのです。 

 結局、今後もタウン誌へ広告掲載することもないでしょうし、葉書を使うなどの地味なお知らせ活動が続きます。まあ、それが自分に合っていると思うので、それでよいのです。

 

追伸:先日ご案内しましたコロンビア エルパライソ農園のアナエロビックは、用意した34袋が完売しました。ありがとうございました。 

0 コメント

「第2波非常事態」の宣言解除

 毎年訪れていた通称「おちょぼさん」(千代保稲荷神社)ですが、今年はコロナ禍で行くことが出来ないままでした。昨日は定休日の月末ということもあり、これまでお参りすることが出来なかった分を、「月越参り(つきこしまいり)」となる月末に行って少しでもご利益を受けようと出かけました。 

 多くの神社では月次祭(つきなみさい)といって毎月1日にお祭りをしますが、千代保稲荷神社では1日15日・22日に行われます。月次祭では、日々のご加護に感謝し、国の平安と崇敬者の安寧を祈り、この三日間は、拝殿正面の格子戸を開放しているそうです。特に、毎月末日(晦日、みそか)から翌1日にかけては、前月の御礼と翌月のお願いをする「月越参り(つきこしまいり)」となり、境内は夜通し多くの参拝者で賑わい、参道に並ぶお店が潤うのです。 

 コロナ渦ということもあり、参道に並ぶお店には目もくれず、一目散に参拝してきましたが、想像と違って参拝者の数は少なく、参道に数多くある立ち食いの串カツ屋さんには全くといってよいほど人がいません。やはり、人が接触しやすい立ち食いという密集場所は敬遠されているようです。 

 「おちょぼさん」は、岐阜県海津市平田町にありますが、岐阜県の古田肇知事は今日の午後、新型コロナウイルスの県内での感染拡大を受け、7月31日から8月末を期限に独自に発令している「「第2波非常事態」」の宣言を解除する方針を示したそうです。ただ、宣言は解除されますが、クラスターの発生状況を踏まえ、感染リスクの高いとされる締め切った場所での大人数や酒類を伴う飲食の回避、家庭内や集団生活の場での感染防止を呼び掛けるということです。これで、少しは人の流れが変わってくるのでしょうか?期待と不安が交錯する日々はまだまだ続きそうです。 

 「第2波非常事態」の宣言解除ってことは、昨日行った「おちょぼさん」や、先日行った「古井の天狗山」のご利益なんでしょうか?サマージャンボ宝くじは外れたけど!まあ、そんなことはさておいて、店内の「第2波非常事態」といったPOPを外し、ついでに席数も元に戻しましょうか。といいたいところですが、席数を元に戻すのはまだ先にしましょうか。涼しくなればインフルエンザとともに、再び新型コロナウイルスが連呼される日がくるかもしれませんから。

0 コメント