コーヒー豆の増産?

ミャンマー軍事政権が、向こう5年間でコーヒー豆を増産するというニュースを見ました。アジア経済ニュースによれば、『国軍の最高意思決定機関「国家統治評議会(SAC)」の議長を務めるミンアウンフライン総司令官が明らかにした。24年にコーヒー栽培地を2万7,900エーカー(約1万1,290ヘクタール)拡大し、5年後の生産量増加を目指す計画だという。国内の総栽培面積は30万エーカーに達する見込みだ。同氏は投資家に向け、コーヒー産業への資金投下を呼びかけた。』というものです。

これを見て、国連に「アヘン大国」と指摘されたミャンマー軍事政権が、薬物大量焼却で健全化アピールした7月頃を思い出しました。国際薬物乱用・不正取引防止デーに合わせて、国内で押収された違法薬物の廃棄イベントをヤンゴン郊外で大々的に行われたのですが、そのイベントの発端となったのは、その年の1月に国連薬物犯罪事務所(UNODC)が公表した報告書にありました。

「ミャンマーにおけるアヘン調査2022年、耕作・生産とその影響」と題する報告書の中で、ミャンマーでは2021年から2022年にかけてケシを栽培する耕地面積が約410ヘクタールとそれ以前に比べて33%拡大したと指摘するものでした。また、潜在的な生産高も前年比90%増の790トンとなるなど、ミャンマーのアヘン経済は「大幅な拡大」を示していると断じたからです。

 今回も、国連薬物犯罪事務所UNODCがミャンマーの国内情勢の不安定化と、アヘンの原料となるケシのアフガニスタンでの栽培減少が影響し、ミャンマーは世界最大のアヘン供給国となったと報告書を出したタイミングとあって、ケシ畑からコーヒー栽培へ移行しようとするパフォーマンスに見えてしまうのです。

ミャンマーは1948年にビルマ連邦として英国からの独立をはたします。しかし、1962年には軍事クーデターによる社会主義政権が成立し、1988年の全国的な民主化デモにより社会主義政権が崩壊、デモを鎮圧した国軍がクーデターにより政権を掌握しました。その後、民主化運動の弾圧やその指導者アウン・サン・スー・チー氏の拘束・自宅軟禁、そして自宅軟禁解除を経て、民主化へ向かってめまぐるしく変わっている国です。 

そんな混乱期の1989年に、ミャンマー政府は反政府少数派グループとの停戦・和平合意交渉を行い、同時に麻薬撲滅に対する同意を取り付け、1999年から「麻薬撲滅15ヵ年計画」(1999年〜2014年)を開始しました。ミャンマー政府や国連薬物犯罪事務所(UNODC)、独立行政法人国際協力機構(JICA)などが協力し、ケシ栽培撲滅と代替作物導入に取り組んできた経緯がありました。

 コーヒーの栽培を勧めているのは、主に国連薬物犯罪事務所(UNODC)でした。アヘンの原料となるケシは、標高13001800メートルの高地で育ことから、高級コーヒーの産地と同じという立地だからです。また、アジアではお茶からコーヒーへとニーズが変わっていることから、将来性が見込める産業になりうると考えています。ケシは山の斜面で焼畑農業により育てており、雨期になると雨が土中の養分をすべて洗い流すため、23回収穫をすると同じ畑で栽培は難しく、また別の畑を求めて移動しなければなりませんでした。コーヒーならその場にとどまり、畑を子や孫へと引き継いでいくことができ持続可能な産業になるのという利点もあります。 

 そんなケシ栽培撲滅と代替作物導入も、20212月のクーデターで誕生した軍事政権によって、国際社会からの制裁もあり経済活動が低迷し、農民の中には手っ取り早い換金作物であるケシの栽培に“転作”する者が増えていきます。そもそも、軍事政権がアヘン栽培を事実上奨励し、隣国タイや中国などへ密輸して外貨を獲得しているのです。また、軍の配下である民兵組織が、戦闘員の食糧や給与を賄うためにアヘン製造に関与していたり、民族武装組織もまた、活動のための資金源として違法薬物を生産している実態もある、ミャンマーのアヘンへの依存はとても根が深いのです。 

 だからこそ、ミャンマー軍事政権が、向こう5年間でコーヒー豆を増産するというニュースを見ても、何も響かないという訳です。一時しのぎで、アヘン大国と言う汚名を隠すような行動に呆れてしまいます。もっとも、軍事政権ではない日本でも、似たようなことをやってますがね。