デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士(少しネタバレ)

昨日、東京へ向かう途中に読んだのが『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』(著:丸山正樹)です。2015年に単行本が発売されたこの作品を読むに至った理由は、草彅剛主演ドラマとして、NHK総合・BS4Kにて今年の冬に放送予定が決まったからでした。

 本書の紹介文には次のように書かれています。『仕事と結婚に失敗した中年男・荒井尚人。今の恋人にも半ば心を閉ざしているが、やがて唯一つの技能を活かして手話通訳士となる。ろう者の法廷通訳を務めていたら若いボランティア女性が接近してきた。現在と過去、二つの事件の謎が交錯を始め…。マイノリティーの静かな叫びが胸を打つ。衝撃のラスト!』といったもので、感動の社会派ミステリーとなっています。
 荒井尚人は元警察署の事務員であり、両親と兄の全員がろう者で、自分ひとりが聴者という家庭で育った環境であったことから自然に手話を習得しました。事務員時代にたまたま殺人事件の取り調べで手話通訳をし、手話通訳士として活動する中で偶然にも同じ関係者と出会い、17年前の事件に対して疑問を持ち始めます・・・・。

 警察での取り調べや裁判所でのやり取りは、1965年に東京上野の蛇の目寿司という寿司屋で起きた「蛇の目寿司事件」を、荒井が警察署を辞めた理由が、2003年の「北海道警裏金事件」をイメージさせます。何よりも、手話を文章で表現するところや、日本手話、日本語対応手話、ろう者どうしの繋がりや、中途失聴者、難聴者との関係等、日頃からろう者と接していないと理解できないのではないかと思う反面、聞こえないという障がいの本質を理解してもらう機会となる作品だと感じました。

通訳を担当した、ろう者の益岡が「あんたは俺たちの仲間だってね」と、拘留された門奈の娘からは「おじさんは、私たちの味方?それとも敵?」と手話で投げかけられます。両親は自分たちと同じろう者の兄を溺愛し、荒井は世間とのいわゆる橋渡し的な役割を期待されていた子供。一方で聴者からはろう者の子どもとして扱われ、どちらの世界にも属すことが出来ない自分は何者なのかを自問自答します。そして事件を調べる中で自分は「コーダ」(聴こえる子)として自覚していきます。

同時に、17年前の事件の真犯人も自分と同じ「コーダ」であることを知ることとなり、今回の犯人が思わぬ形で判明していくことになります。終盤の展開が怒涛のように進み、全ての出来事が繋がっていくところがミステリー小説らしく楽しめました。

作者は、ある対談の中で、タイトルとしての「デフ・ヴォイス」には3つの意味があると言っています。一つは、そのまま「ろう者の声」、もう一つは、ろう者にとっての言語である「手話」、そして最後の一つは、ろう者に限らず、言いたいことがあっても圧倒的な多数の前にはあっては声が社会に届きにくい「社会的少数派の声」だそうです。 

この小説を読みながら、自分が生きていく中で耳を傾けるべき“声”について考えさせられました。また、自分の“声”をどうやって伝えるかも。