最後の一杯

コーヒーをお客様に提供する際、毎回、「最後の一杯」のつもりで抽出しています。それは、過去に何度もカウンターに座られたお客様が、最後の一杯になったであろうという経験をしてきたからです。コーヒーが好きでまめ蔵に来店され、カウンターに座って何気ない日常会話を続ける光景は、ある日突然に終止符を打ちます。お客様が高齢だからと分かってはいるものの、当たり前にコーヒーを提供する方がいなくなるのは寂しいものです。

昨日も、お客様の訃報を聞くことになりました。ただ、今回は年齢が若いことや経緯を知っているだけに、来店されるたび「これが最後の一杯になるかも」と感じながら淹れていたこともあって、それが現実のものとなると受け入れがたい気持ちで落ち着きません。

普段から世間話をしているお客様が、「どうも調子が悪いから検査を受けに行ってくる。」、そう言った数日後、「検査で専門医にかかった方が良いと言われた。」と不安そうに話してくれました。その後、専門の医療機関で精密検査をすると、「〇〇に腫瘍があるだって、手術すべきか迷っている。」と正直な気持ちを話してくれました。

そんな経緯を辿って手術をし、その後も時々カウンターに座って、コーヒーからカフェオレに代わりながら術後の経過について話をしてくれましたが、数か月後には再発という現実がやってきます。その際にも明るく振る舞ってくれますが、どこか覚悟を決めていたように思いました。

私の妻が医療機関で働いていることもあり、日頃から「死」について話すことが多くあります。二人にとっては「死=今を生きる」という認識であって、必ずいつかやってくる日のために、この瞬間を大切にしたいと考えています。ところが、実際に自分自身が「死」と直面することがないために、死を覚悟した方へどのような言葉を掛けて良いのか分かりませんでした。まったく情けないものです。 

だからこそ、「最後の一杯」のつもりでコーヒーを淹れることが、私に出来ることだと改めて心に刻むのでした。