おこしもの

先日、瀬戸市内の道の駅「瀬戸しなの」へ立ち寄った際、「おこしもの」と書かれた餅のような商品が目に入りました。お・こ・し・も・の?何だこれは?パッケージの後ろには「桃の節句に供えられる和菓子の一種である。昔は子供の成長を願うために家庭ごとにつくられた。そのため木型がその家にそれぞれあった。おこしもの=その家庭の味である。」と書かれています。そこで、店員さんに「瀬戸の名物ですか?」と尋ねると、「いいえ、尾張地区で一般的なものです。この時期は完売する日も多いです。」との回答。

 興味が湧いたので一袋購入し、自宅へ帰って調べてみると、名古屋市博物館に「おこしもんってどんなもん?」というページがあります。そこには、『農家でひな祭りのおそなえものとして、「しいな」と呼ばれるくず米を利用して作られたお菓子です。米粉をお湯でねったものを木型におしつけて「型おこし」するところから、「おこしもの」「おこしもん」と呼ばれるようになりました。木型は、もともとおこしもん専用のものではなく、和菓子の木型を利用して作られていたようです。お供えにしたあと、お下がりをみんなでおやつ代わりに食べました。おこしもんはおやつの少ない時代、またお正月のお餅が底をついてきた時期に、工夫して生み出されたお菓子といえます。』、なるほど、そうなんだ。

 しかし、我が家では毎年雛人形を飾っているものの、この「おこしもの」を見たことも聞いたこともありません。その答えも載っています。『安城市から刈谷など、旧東海道沿いの地域、名古屋市では緑・南・瑞穂・昭和区などで作られることが多かったといわれます。名古屋の西部でも作られていたようです。おこしもんの風習は、むかしの街道ぞいに広まった とも考えられます。』とありました。さらに、『よくは分かっていませんが、おこしもんの型に江戸時代の年号が書かれたものがあります。本来はお菓子用に作られたものかもしれませんが、おこしもんの始まりを考える手がかりになります。』とあり、主に尾張地区を中心に作られていたようで、瀬戸市にも広がったと思われます。

 「おこしもの」には味がついていません。そのため、出来たてには砂糖やきなこをまぶして食べるようですが、購入した物はカッチカチのため、オーブントースターで焼いて砂糖しょうゆを絡めて食べました。原料はみたらし団子と同じということもあって、平らな団子を食べているようです。ただ、「美味しい!」といったレベルではなく、おやつに何もない時には食べてみるかといった程度のものでしょうか。

 この「おこしもの」を来店されるお客様に質問してみると、多くの方が「知らない。」と答える中、「市之倉町や笠原町でも見たことあるよ。」との情報がありました。確かに、笠原町の「御菓子司 陶勝軒」では今も「おもしもの」が販売されています。さらに、「瑞浪市稲津町でも、子供の頃にお雛様に備えているものを貰って食べていた。」との話も聞きます。考えてみれば、瀬戸から陶器の職人が多く多治見に移り住み、陶器の原料である陶土のメーカーが多く存在する稲津町でからこそ、尾張地区の伝統が引き継がれていったのでしょう。 

 初めて見た「おこしもの」で、ちょっとした歴史を知ることになりました。