一枚の年賀状

正月過ぎに初めて店にやってくると、裏口のポストに一枚の年賀状が入っていました。まめ蔵宛に年賀状が届くことは殆どなく、生豆商社からの年賀状も最近は届かなくなったくらいです。ですから、見慣れない差出人の名前を見ても、いったい誰なのか直ぐに分かりません。それもその筈、もう8か月以上前から来店されなくなったお客様でした。

そのお客様は、お昼前後の来店客が少ない時間帯にカウンターに一人座り、コーヒーを飲みながら、「ほっとする。」と言って穏やかに時間を過ごされます。まめ蔵を開業して1年経過したころからご夫婦で来店されていましたが、奥様の体調が優れずなくなってお亡くなりになり、その後、週に数回来店されていました。ところが、昨年の春から急に来店されなくなったのです。年齢も米寿を超えた高齢ということもあり心配していたのですが、まさか年賀状をいだたくとは思いもよらなかったのです。

年賀状の冒頭には、「美味しいコーヒーが飲みたいよ!」と書かれ、「昨年は滅茶苦茶でした」とあります。いったい何が起きているか飲み込めなく、思いもよらぬ方からの年賀状に驚くばかりです。何だか悲鳴にも似た年賀状が気になって、数日後、朝食後に夫婦二人分のコーヒーを淹れた後に再びコーヒーを淹れ、保温ボトルに詰めて店に行く前に届けることにしたのです。

一人暮らしをされているお宅に着いてインターホンを押すと、「玄関は開いてますよ。」と返事があります。久しぶりにお会いした表情には大きな変化は無く、コーヒーを届けると「申し訳ない。」と何度も頭を下げられました。私は心配事が去って、一安心しながら店へと向ったのでした。

それから数日後、お客様が空になったボトルを持って来店されました。義理の両親の介護が終わった後に奥様の介護、ようやく一人暮らしも慣れた昨年、今度はご兄弟のご不幸や介護の応援と、日中は自宅に居ることも出来ず、寝に帰るだけだったとの事情を話されました。なるほど、葉書の最後に「これが人生でしょうね。」と達観したような文面があったことに納得したのです。

人生の大先輩には気の利いた言葉もかけられませんでしたが、「たまには、息抜きにコーヒーを飲みに来てください。」とだけ伝えました。本当に、介護の課題は身につまされます。 

出していなかった方から年賀状が届いたときは、返事を書かないことが失礼にあたることから、松の内(1月7日まで)に届くのであれば年賀状として返信します。これを「返り年賀といいます。今回は、ボトルに入ったコーヒーが「返り年賀」でしょうか。