ただの再利用です

先日、ハンドピック後の欠点豆を使用した「芳香・消臭袋」を手に取ったお客様が、「これ、SDGsやね。」と言われました。でも、私は速攻で「ただの再利用です。」と答えます。一度だけ再利用でお客様に良い香りを提供できるものの、いずれはゴミとなって焼却処分される運命なのです。一部は堆肥として土に帰るようですが、大半はゴミになるのですから、SDGsの活動などと言えるものではありません。

 最近はメディアでSDGsという言葉が何度も取り上げられ、企業も「SDGsとしてこんな取り組みをしています。」なんてのをPRしていますが、やっているのは17にも細分化されたSDGsの目標の一部をやってますというだけで、SDGsのゴールである「誰一人取り残さない」、持続可能で多様性と包摂性のある社会の実現を目指している訳ではないように思えてなりません。

 SDGs2016年から2030年までの15年間の行動計画ですが、それ以前にはMDGsMillennium Development Goals)といって、21世紀の国際社会の貧困削減などを目指す行動計画がありました。押し並べて言えば、MDGsの発想の起点は、発展途上国に対して先進国が支援するというものでした。先進国からしてみれば、他人様である発展途上国の問題に対して、先進国の自分たちが支援するという構造であるため、当然、達成されなかったのです。

 そこで、先進国の人達に自分たちの問題として取り組んでもらおうというのがSDGsなのです。MDGsが「他人様と自分たち」だったものから、SDGsによって「私たち」へ課題を共有することになります。でも、本当に「私たち」という感覚になって取り組んでいるのでしょうか。「私はこう取り組んでいる。」「我が社はこんなことをしている。」とはいうものの、これまで取り組んできた内容をSDGsという名前に塗り替えただけで、「誰一人取り残さない」意識があるとは思えません。

 今、起きているミャンマーでのクーデターによって多くの人々が苦しんでいることや、ウクライナへのロシア侵攻を見れば、SDGsの掲げる目標がいかに虚しいものかと感じてしまいます。そもそも、戦争よりもひどい環境破壊はこの世に存在しないのだから。 

SDGsと言われる度に、「自分ごと」として捉え、SDGsについて学んだものの、大きな世界の出来事に対して何もできない自分を知り、恥じる自分がいるのです。だから、「ただの再利用です。」としか言えません。