古墳散歩

 今日は母親と共に掛り付け医に行きましたが、思いのほか時間がかかってしまいました。そこで、残った時間で土岐市内を散策しようと、泉中学校の西に位置する乙塚古墳周辺を散歩します。

 乙塚古墳は市内最大の古墳で、一辺が約27メートル、高さ約6メートルの方墳です。石室の形態等から7世紀前葉から中葉にかけての築造であると考えられています。また、乙塚古墳の西北西約50メートルに位置する円墳の段尻巻古墳もあります。いずれも、昭和131214日に国の史跡に指定されました。

 両古墳は長らく発掘調査が行われていませんでしたが、平成14年から27年にかけて古墳の現状を確認する調査が行われ、平成30年度から保存整備事業に向けた追加調査が行われました。現在は、古墳の見学者用の広場やトイレ、駐車場を整備する史跡整備工事が行われています。

 方墳の乙塚古墳は、郡の主のような特別な地位にある人のみに許された形で、乙塚古墳の存在が7世紀初めに土岐郡が成立していたことを示す証拠になっています。当時の土岐郡とは現在の多治見市から中津川市全域に及ぶ広い行政区だったと言われているので、改めて強い権力を持った者がいたことが分かります。

 石棺に使用されている岩は、木製の修(しゅら)と呼ばれソリを使用して運ばれたと推測され、土岐市の北側には鬼岩公園など花崗岩の岩が容易に手に入る地域であったことから、この地に作られたのかもしれません。また、墓の埋葬品を作るため、都近くの窯業地から職人を呼び寄せて須恵器を作らせたことから、東海地方にしかみられない須恵器の鳥紐蓋などが出土しています。近くには隠居山須恵器窯跡が残されており、これが須恵器始まりの窯とされており、美濃焼に繋がっていていると言われています。

 段尻巻古墳は円墳であり、同じく7世紀前葉から中葉に築造されたと考えられています。乙塚古墳よりも下級の墓とされていますが、須恵器や土師器(はじき)のつぼや茶わんなどの埋葬品も見つかっていることから、一族や有力な家臣の中でも、かなり力のあった人物が埋葬されたのではないかということです。 

 古墳のある丘陵地から市内を眺め、古の景色を想像するも、何も見てこないので帰路に着くのでありました。