いつもの食事

今日、11日は鏡開きの日です。早速、妻が鏡餅を開いて餅を取り出し、あらかじめ用意した「ぜんざい」に加えます。昔は我が家でも年末に餅つきを行い、鏡餅や伸し餅を作っていたのですが、今ではサトウ食品のサトウの鏡餅が定番となり、本当にパックの底を開いて切り餅を取り出すので、妙に「鏡開き」という言い方に納得してしまうのであります。「包丁で切ってはいけない。」とか「木槌で叩いて割る。」なんて風習や、「餅はカビが生えるから早く食べてね。」なんてことも、知らない人ばかりなんでしょうか。

 そんな鏡開きで、我が家の新年1月に行ういつもの食事は幕を閉じます。

元旦:雑煮とお節料理

2日:この地方で「二日とろろ」と呼ばれる、とろろ飯

7日:七草粥

11日:鏡開きのぜんざい

こんな新年1月の食事が我が家では長年続いており、これも、妻があたりまえのように続けていてくれるからです。お客様に尋ねても、こうした昔ながらの食事をする人は意外と少なく、「餅が嫌いだから。」、「七草粥を食べるほど贅沢な食事をしていないから。」なんて言葉が聞かれました。年を取ると時が過ぎるのが早いと言いますが、だからこそ、日々の筋目となる各行事に合わせた食事をすることは、時を噛みしめる行為になるのかもしれません。

いつもの食事で思い出したのが、「いつもの。」っていうフレーズ。お客様の中に、時々、「いつもの。」と注文時に言われるのですが、いつもって程来店されていないので、毎回「ブレンドですか?」と確認しています。9割以上の方が「本日のコーヒー」を注文されるため、そんなお客様は大方ブレンドで良いのです。 

人それぞれの「いつもの」食事や暮らしがあり、どれが正しいってことはなく、「いつも」が続いていくことに満足を感じていればいいのかもしれません。我が家では、来年もこんな食事が繰り返されます。