伊達政宗の五常訓

 我が家では、夕食後に録画した朝ドラを観ているのですが、今週から始まった「おかえりモネ」の中で、モネが下宿している新田サヤカの家の壁に掲げられていたのが「貞山政宗公遺訓」(ていざんまさむねこういくん)でした。毎朝朝食前に唱和しているようですが、いわゆる伊達正宗の五常訓(処世術)というものです。

仁に過ぐれば弱くなる。 

義に過ぐれば固くなる。

禮(れい)に過ぐれば諂(へつらい)となる。 

智に過ぐれば嘘をつく。

信に過ぐれば損をする。

 儒教の基本的な”五つの徳目「五常」”をさし、孔子が「仁と礼」を説いた後、孟子が「仁義礼智」の四つを説きます。その後、漢の蕫仲舒(とうちゅうじょ)が、これに「信」を加えて、「五常」になったといわれます。この伊達正宗の五常訓を現代風に言えば、

・人を大切に思うことは大事だが、行き過ぎると他人の為にも、自分為にもならない。

・正義や筋を通すことは大切だが、そればかりに縛られると、物事に柔軟に対応できず、融通がきかなくなる。

・礼を尽くすことは大事だが、礼ばかりに気を使うこと、また行き過ぎた礼は、相手に対して逆に失礼で、嫌味になる。

・頭でっかちになり、机上の浅知恵を信じていると、結果として嘘をついたり、策に溺れることになる。

・何でもかんでも、他人の言うことを信じ、それに振り回されていると、損をしてしまうことになる。

 個人的には、「仁義礼智信」という言葉を見ると、1973(昭和48)年4月から1975(昭和50)年3月まで、全464話が放送された、NHKの連続人形劇『新八犬伝』の「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の珠(たま)を持つ八犬士を思い出してしまいます。そんなことを言うと仙台市民から怒られてしまうかもしれません。なにせ、正宗公は市民から敬愛されており、この「貞山政宗公遺訓」が観光地の多くで手に入り、部屋に飾ってある家が多いと聞きます。

 ちなみに、伊達政宗公を貞山政宗公としているのは、昔の人がおおやけには慎むこととされ、政宗公の山号である「貞山」を使用したようです。また、「貞山政宗公遺訓」には続きがあります

氣長く心穏かにして、萬(よろず)に儉約を用て金銭を備ふべし。

儉約の仕方は不自由を忍ぶにあり。

此の世に客に來たと思へば何の苦もなし。

朝夕の食事うまからずともほめて食ふべし。

元來客の身なれば好嫌は申されまじ。

今日の行をおくり、子孫兄弟によく挨拶をして、娑婆の御暇申すがよし。

 とあります。これも現代風に言えば、『もっと気分を楽にして、素直になって、穏やかにし、この世に”お客さん”になって生まれて来たと考えれば、何も苦しいことはない。人は生まれることで初めて、この世に生きているのであり、死ぬことでこの世とは別れて、再び旅立つのだから・・ つまり、この世にお客さんとして生まれて来たことにする・・。毎日食べる食事は、粗末であっても、おいしくなくても、この世に客として招かれているのだから、そもそも文句など言えるはずがない。感謝の気持ちを持って、ありがたくいただくべきである。間もなく、私はこの世を離れていくが、子や孫や兄弟に「ありがとう・・おまえたちも頑張れよ」と声をかけて、旅立っていくのが幸せである』と、なるそうです。

 本当に「貞山政宗公遺訓」のごとく、そんな気持ちや行動で生きていきたいものです。コロナ禍で殺伐とした世の中になっている今だからこそ。しばらく朝ドラで登場しそうですから、その度に肝に銘じておきたいものです。この伊達政宗公の遺訓は、日本三大遺訓の一つとされており、あとの2つは徳川家康公遺訓・水戸光圀公遺訓だそうですよ。

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コメント: 1
  • #1

    (水曜日, 01 11月 2023 10:15)

    あはは