曽良山から古関裕而まで

 お客様の中には色々な趣味を持つ方があり、先日、県内の各市町村の一番高い山を登るのが趣味だという方が来店されました。その方の話を聞くと意外な事実を知ることが出来ます。例えば、岐阜市で一番高い山は岐阜城のある金華山(標高329m)だと思っていましたが、長良川の挟んだ対岸の百々ヶ峰(標高417.9m)という山であったり。そして、今回は土岐市で一番高い山に登るため下見に来たといいます。 

 カウンターに座って見せて頂いたのが、バーデンパーク曽木で見つけたという「曽良山登山」というチラシです。曽良山?初耳!三国山じゃないの?土岐市で山と言えば三国山だし。だって、土岐市民の歌には♪♪三国の山よ 美濃の空 ひろがる野辺に 咲きかおる ひとつばたごの 白い花♪♪ってあるじゃないか。中学生の時に土岐市民の歌が出来たって何度も歌わされ、そのフレーズだけは覚えているし。 

 そう疑問に思い調べてみると、三国山は標高701mで、曽良山はチラシに記載されているとおり標高712.4mなのです。豊田市の旧小原村と岐阜県土岐市の県境に位置する山で、曽良山という呼び名の他に、鶴岡山や西山という三つの名前を持つ山でした。土岐市内にある山の中では最高峰で、古い文献によると、山頂には弘法大師が鳳来山方面からここを行脚した際に足跡をつけた「師岩」という岩があったとの伝説も残っているようです。 

 意外や意外と感心し、来店されるお客様何人かに「土岐市で一番高山は?」と質問すると、ほとんどの方が三国山だと答えます。自分だけではなかったんだ安堵していると、土岐市民の歌に登場する♪♪三国の山よ 美濃の空♪♪から、今、NHKの朝ドラで放映されている「エール」のモデルとなった作曲家の古関裕而が作った土岐市民の歌があるという話を聞きます。 

 この土岐市民の歌は、1971年の土岐青年会議所(JC)設立5周年記念事業として「土岐市民歌」の製作が企画されました。その際、自治体歌の多くで一般的に行われる歌詞の懸賞公募でなく、JCから日本コロムビアへの依頼によりいずれも同社専属の藤浦洸が作詞、古関裕而が作曲を手掛けて1970年に完成したそうです。ところが、完成した曲に対して作成に市民が参加していないことや「歌詞に地域の情景が乏しい」などの批判がJC内部から相次ぎ、発表される機会の無いまま「幻の曲」となったそうです。 

 そして、2年後の1972年、JCは「仕切り直し」の形で市民を対象に歌詞の一般公募を実施し、土岐少年少女合唱団創立者の松尾隆夫氏の作曲により新たに「土岐市民の歌」が作成・発表されました。さらに、1990年に市制35周年を記念して制定告示が行われ、正式な市民歌となったのです。 

 そんな経緯があるとは知らず、毎日のように見ている朝ドラのモデルが関わっているとはと思ったのは私だけではなかったようで、未発表になっていた土岐市民歌が、8月1日に土岐少年少女合唱団の約30人によって土岐市文化プラザで初披露されようです。その時の模様が土岐市公式YouTubeチャンネルにアップされていたので聴いてみましたが、今の土岐市民の歌の方がいいなというのが正直な感想です。 

 今回は曽良山から古関裕而に繋がる、ちょっと面白い話でした。