適正価格

 「コーヒー豆の市場取引価格は適正か?」と問われても、そもそも何が誰に対して適正なのかは、売る側と買う側の立場や意向によって異なり、市場取引は誰かによって制限されたり、強制されるものではない。だから適正価格を云々いっても取引相手にとっての最善の解決策は見つからないのでは?こんなことを考えているのは、明日行われるJICA四国主催で行われるWebセミナー「協力隊×コーヒーで世界を変える~持続可能なコーヒー市場の構築に向けて~」を視聴する予定にしているからです。 

 そのセミナーの基調講演で、川島良彰氏が「コーヒーで世界を変える~コーヒー豆の市場取引価格は適正か~」と題し、消費増・気候変動への対応が迫られながらも生産者が潤わない構造とはといった問題点を指摘されるようです。珈琲屋として商売をしている立場としては、顧客の立場から見て適正であるかを考え商品価格を決定しています。人口5万人ちょっとという土岐市で、陶磁器という斜陽産業の地場産業の環境下で商売をしていると、顧客が「払える価格」そしてそれは「できるだけ安い価格」を「適正」ととらえるのが一般的です。 

 それでは原材料となるコーヒー豆を安く買いたたいて、安価で提供してくれる商社が良いとなってしまい、これでは生産者が暮らしていける最低限の価格を下回る現実があります。商品自体が天候不順や耕作放置などの理由で少なくなれば、自然に少々粗悪なものであっても高く売れてしまうのが市場取引というものです。品質の良い物を出来るだけ安定して供給する側と、これまでよりも高くても取引が成立する状態が一番難しいことです。 

マーケティングに、Willingness to PayWTP)という言葉があります。商品やサービスに対して消費者が喜んで支払う最大の金額のことをいいます。その「喜ぶ」理由はいくつもあり、単に「安いから」という「喜ぶ」理由もあるでしょうし、仮に1000円しか持っていなかった場合、少し品質の良い1000円の商品と若干劣る800円のものがあれば、800円を購入すれば200円の商品も追加で購入できるお得感が「喜び」もあります。 

また商品価格以外にも、「今日は誕生日だから、いつもと違う特別なコーヒーを飲みたい」といった「喜び」もあるでしょうし、他人に対する見栄を張って、「人と差が付けられる」とか、このコーヒーを飲むことによって「社会貢献ができる」といった自己満足による「喜び」を得る人もいるでしょう。当然そこには商品に対する付加価値となる情報が必要ですし、有名人のコマーシャルによって潜在意識に訴える過程が必要になります。つまり、高くても顧客が喜んで買ってくれる仕組みを作ることで、適正価格は上下することになります。 

以上は、購入する側の考え方ですが、売る側としては「良い物を作っても高く買ってくれない」という現実は、市場から弾き出されてしまうような小規模農家にとって、最初から同じ土俵で評価されない切実な問題です。ましてや存在そのものも知られないまま、どこかのコーヒー豆と混ぜられて市場に出回ることになります。これでは真面目に良いものを作る気持ちになれないというものです。 

小規模であっても市場で取引されるような仕組み、真面目に良いもの作っていることが客観的に確認できる仕組み、嘘や誇張が排除されて大規模農家と同じ評価を受けることができる仕組み、IT技術が想像以上に進歩している今日では、まったく出来ない話ではないと思うのですが。安く買いたたく商人と、良いものだけを買いたい商人が混在する市場が存在し、Willingness to PayWTP)を実践して「喜んで」購入する消費者まで届ける仕組み、そういうものが適正価格を作り出すんだと思ってみるのです。