なが餅しますように

 お客様から「なが餅」をいただきました。正確には、お客様の彼女から頂いたもので、「ありがとう!安永餅ね。」とパッケージを見ると「なが餅」と記載されており、なんとなくお礼を言って別れた後に改めてじっくり見てしまいました。 

 どうやら、四日市の名物が「なが餅」で、四日市の隣、桑名市の名物が「安永餅」ということらしいのです。両方とも、つぶあんの入った細長くの伸ばした餅を焼いた餅菓子で、ほんのり焦げ目の香ばしさがおいしいお土産にはかわりありません。「なが餅」を作っているのが四日市の笹井屋で、桑名市の「安永餅」は永餅屋老舗なのです。 

 なんだか「赤福VSお福餅」のような感じがしますが、両方とも老舗の和菓子屋さんであり、それぞれの由来があるようです。なが餅笹井屋さんは、天文十九年(1550年)戦国時代の頃、街道をにぎわす評判の銘菓があり、「なが餅」と呼ばれるその名物餅は、初代彦兵衛氏がここ勢州日永の里に因んで創ったそうです。三十六万石の太守、藤堂高虎も足軽の頃、永餅の美味しさに感動し、武運のながき餅を食うは幸先よしと大いに喜んだそうです。名称も日永(ひなが)の餅、長餅、笹餅、などと称せられ、「なが餅」となったそうです。 

 一方、桑名の永餅屋老舗は、東海道五十三次随一の宿場として栄えた桑名宿、安永の地で安永屋として寛永十一年(1634年)に創業し、「やすながもち」はこの地の名物として、諸大名の 参勤交代や、お伊勢参りの旅人などに広く親しまれ、以来ずっと桑名の代表的な銘菓として多くの人々に親しまれています。当時は「ともち」「牛の舌もち」とも称されていたそうです。 

 「赤福」といい、「なが餅」や「安永餅」とった餅菓子が多い地方について、桑名市は201811月号の広報「くわな」で、「餅街道と安永餅」というタイトルの特集記事を掲載しています。その中で、「江戸時代になると街道が整備され、一生に一度は行きたいと伊勢神宮をめざす旅人が大勢あらわれました。旅人にとって餅菓子は、手早く食べられて腹持ちがよく、ぜいたく感もあって大人気。街道には餅を売る茶店が多くあり、東海道から続く伊勢街道や合流する街道、伊勢神宮のおひざ元などで、桑名の安永餅をはじめとする名物餅が生まれました。」とまとめています。 

 まあ、四日市の人は「なが餅だ!」、桑名市の人は「やっぱり安永餅!」と言われるかもしれませんが、とにかく若いカップルが仲良く、なが餅(もち)するよう願うばかりです。 

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コメント: 2
  • #1

    帰山人 (月曜日, 12 10月 2020 22:04)

    桑名が「安永餅」で、四日市が「なが餅」であれば、鈴鹿は「立石餅」ですね。永餅屋老舗vs笹井屋と言われると、瑞浪T珈琲店vs各務原珈琲Hみたいな感じですが、土岐M蔵は柏屋みたいな存在でしょうか? 柏屋の店頭で1個単位で注文すると、奥から出来立ての安永餅を経木に包んで渡してくれます。そういう店が私は好きです。

  • #2

    まめ蔵 (火曜日, 13 10月 2020 06:39)

    瑞浪T珈琲店vs各務原珈琲Hという構図は意識していませんでした。お互いに関心なしではないかと感じていましたが。土岐M蔵は柏屋みたいな存在?土岐M蔵は、土岐M蔵だけでいいのですよ。だいたい、世間に知られるような存在ではないのですから。