コーヒーについてぼくと詩が語ること

 先日、ある方から「コーヒーに関する、こんな本があるよ。」と、紹介していただいたのが、『コーヒーについてぼくと詩が語ること』(著者:小山伸二 出版社:書肆梓)です。それならば、Amazonでポッチと注文しようと検索しても出てきません。「それ、小さな出版社だから、直接、出版社のサイトから注文してください。」と言われ、後から注文することに。

 さて、注文してみるかと出版社名を見ると、何と読んだらよいのか分かりません。「しょ・し・し」、それとも「しょし・あずさ」、はっきり分からないけれど、「書肆(しょし)=本屋、書店」で、「梓(あずさ)=版木、出版」という意味があるようで、「しょしあずさ」が正しい読み方のような気がします。 

 紹介者が「自分の詩集の私家版を作ろうと思ったのがきっかけで作った出版社で、小山伸二氏が代表だから。」言われたとおり、手作り感ある出版社で、自分の本だけではなく、詩人仲間の詩集も出版しているようです。でも、「なぜ、詩集とコーヒー本?」という疑問が湧いてきます。 

 そんな疑問は、本が届いて著者の経歴で直ぐに納得します。そして、詩人の書いたコーヒー本「コーヒーについてぼくと詩が語ること」を読み進めると、意外にも、これまで読んできたコーヒー本よりも、史実や歴史的背景が飲みこみやすいことに気付きます。著者がインタビューで「そもそも、古代において詩は、単なる文学を超えて、歴史書であり、公式文書でもあったのですね。」と言っていたのも納得できます。 

 西欧化と日本のコーヒー受容について、「中東のコーヒーと極東の茶の湯の文化、まったく異質のふたつの文化のなかで、『喫茶』が同時代性を持っていた」とういうのも興味深いことでしたし、「世界のことを考え、戦争や文学を、そしてコーヒーを語ることは、決して高踏的な趣味ではない。もっと切実な問題として、いまのぼくたちに課されたものだと思う。」、さらに、「ローカルに行動し、グローバルに思考すること。」という言葉には共感しました。 

 小山(おやま)氏は編集者のインタビューの中で、「コーヒーは、さまざまな年代の人に愛されている飲料です。そして、若い世代にも、昭和時代の喫茶店文化、コーヒー文化が、単なるノスタルジーを超えて、関心を持たれているのだと思います。そんななか、まだまだ語られていないコーヒーやカフェの魅力、とくに文化的な魅力があるのではないか。それをぼくは、『コーヒーの光と影』という視点で語っていますが、そういう話を、若い世代のコーヒーやカフェの愛好家、そしてコーヒー業界で働いている方々に読んでもらえたら、と思っています。」と言っており、コーヒー業界の片隅で商いをしている私にも「コーヒーの光と影」を垣間見ることができました。 

 「コーヒーに異常なまでの情熱を傾けてきたこの国の先人たちの思いが連綿として伝えられたのだ。」という、そのコーヒーに携わる「まめ蔵」は、お客様にとって「いざ、コーヒーハウスへ」のごとく、「いざ、まめ蔵へ」となるように精進したいものです。 

 詩はおもしろい!また、ゆっくり読み返してみよう!さて、頂いた一杯分のペルー深煎りを、松屋式ネルで淹れて飲むとしましょうか。 

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コメント: 2
  • #1

    書肆梓 (日曜日, 22 11月 2020 12:09)

    まめ蔵さま。

    こちらの記事、今日、拝見いたしました。
    素晴らしいコメント、ほんとうにありがとうございます!

    はい、「しょし・あずさ」でございます。
    これからも、いい本作りに精進して参ります。

  • #2

    まめ蔵 (日曜日, 22 11月 2020 12:47)

    世にコーヒー関連本は山ほどあれど、詩を通してコーヒーに触れることができた体験でした。コメントありがとうございます。