コロナ禍のお盆休み

 今年のお盆休みの期間は、コロナ禍とあって少し違った雰囲気を感じます。来店客数は例年の2/3くらいで、帰省でこられた方が家族で来店される光景も無くなり、日々静かな時間を過ごさせてもらっています。とりあえず、お店の中だけは平和なのです。少し違った雰囲気を感じるというのも、グループで食事に出かけた帰りに立ち寄る方などが減り、ここを目的として来店される方が中心となったことから、私自身が心地よくいられるからでしょうか。 

 コロナ禍で見えてきたもの、それは、「それでも来たい。」、「だから来たい。」といったお客様の存在が鮮明になったことです。出来るだけ外出を控えるべきである時期だけど、やっぱり「まめ蔵」でコーヒーを飲みたいという方や、他店でもコーヒー豆は買えるけれど、ここのコーヒー豆がいいと言ってもらえると、お店の存在意義を感じるというものです。ましてや、感染防止を意識して席数を減らすなどの制限を行っている中にあっても、真面目に取り組んでいるから安心できると言ってもらえると、とても心強くなれます。 

 そうしたお客様の声を直接聞けるのも、自分自身で接客や対面販売をしているからで、ストレートにお客様の反応を感じ、嘘のない意見を聞ける立場にあるからでしょう。今朝も、「時々もらう絵手紙のハガキを実家の母が玄関に飾っています。これからも送ってください。」なんて言われて、早速、次回の絵手紙の構想を練ったりしているのです。 

 ところが、「知人が〇〇の喫茶店が美味しいといって連れて行かれたけど、ここが一番美味しい!」なんていう言葉には、実のところ全くワクワクしないのです。正直、「嗜好品のコーヒーなんだから好みはいろいろ。」ってな気持ちになるし、そもそも、一番になりたい訳でもないので、「あなたの好みに合うだけでいいじゃないの。」と思うのです。まめ蔵に好みの豆が無ければ、躊躇なく他店をいくつかお勧め出来るのも、お客様の好みに合うコーヒーを飲んでもらいたいだけですから。 

 他店と比べてどうだとかより、比べるのは昨日の自分と今日の自分、そして明日の自分だけだと思っているし、興味のあるコーヒーを飲んでみたいという好奇心だけを優先しています。ですから、「お客様に、こんなコーヒーをお勧めしたい。」といった建前で様々なコーヒーを仕入れてはいますが、本音は「自分が飲んでみたい!」という至極単純なものです。 

 いわゆる「顧客満足」というよりは、「店主満足」を行っているため、マネジメント的にはありえない状態です。ところが、組織で行う経営管理として機能しないものでも、個人事業として店主の個性が重視される場合は、時として顧客の心をつかむことになり、「顧客を創造すること」になるから不思議です。5年間継続して珈琲屋をやってみて、「こんなんでもいいんだ。」と感じることがしばしばあり、好き勝手やって「顧客を創造すること」ができるなら、ドラッカーのいうやり方とは異なるけれど、結局、通じるものがあるんだと思えてくるのです。世の中には、蓼食う人もいるのです。 

 のんびり店内で過ごすお盆休み期間に、テキトーな店主がドラッカーを持ち出し、自分自身を言いくるめているのでした。