水野さん、水野を巡る

 私の名前は「水野政明」。水野家で生まれ、「政明」という名をもらいました。特別良い名前でもなく、特別悪い名前でもない、時々、テレビや映画のテロップの中に「政明」という名を見ると親近感が湧く程度です。姓名判断によると、「中年、晩年と確実に豊かになっていきます。」とか、「独創性や奉仕性の高い仕事や職場で成功し、広範囲な交際をすれば、運気が上昇します。お金や物が集まってくる運勢をもっています。」とあるものの、お金や物が集まる気配は微塵もないことから、名前による影響はないようです。 

 今回、自分の名前のルーツともいえる「水野」という姓について、改めて知っておこうと思いました。特に理由はありません。強いて挙げれば、ルーツとなるであろう「水野」という地名を以前から知っており、なんらか関係があるのではないかと思っていたからでしょうか。老い先短くなった人が、過去を振り返るようになることとは関係がありません。(たぶん)

そもそも、日本人が姓を名乗るようになったのは、明治8年2月13日に公布された「平民苗字必唱義務令」によって、すべての国民に苗字(姓)を名乗ることを義務付けたからです。江戸時代まで、日本において公的に苗字を使用したのは、原則として公家及び武士などの支配階層に限られ、一種の特権とされていました。そうした特権意識を利用し、一部の農民や商人にも与えて利用されていたものの、私の先祖がそれらに該当することはなく、明治以降に姓を名乗ったであろうことは容易に想像が出来ます。 

 水野という姓の由来には諸説ありますが、その一つとして、清和源氏の末裔の源満仲の弟の源満政の子孫が、尾張国春日井郡山田壮水野(愛知県瀬戸市)で地名にちなんで名乗ったのが始まりとされており、現に、水野の姓は全国で1位:愛知県2位:岐阜県と瀬戸市に関わりのある地域に多く住んでいます。 

 尾張国春日井郡山田壮水野は、現在の瀬戸市水野地区と呼ばれる所にあり、瀬戸市の北西に位置し、愛知環状鉄道中水野駅があります。水野団地やみずの坂などを中心とした住宅団地、瀬戸市の産業を支える工業団地が存在する地域の中で、文献上で「水野」の地名が表れるのは、永仁6 年(1298) の『熱田社領新別納郷等注文案』にある「水野上御厨」です。「上」は水野川上流部を指すものと考えられ、「水野」は現在の品野地区も含めて水野川流域を指す所領名であったようです。江戸時代には、上・中・下の水野三村という地名がありましたが、残っているのは上水野、中水野という地名だけです。 

 そこで、「水野さん、水野を巡る」という訳で、水野ゆかりの地を歩いてみようと思います。ただ、同じ水野であっても、水野地区のことはさっぱり分からないので、平成29429日に開催された、瀬戸の魅力再発見・平成29年度まちめぐり「水野地区」の資料と使って、その一部を巡ってみることにします。 

■水野代官所跡 

18 世紀後半、この地域で大洪水などの災害が相次ぎ、加えて役人の不正や農村の困窮などの問題が山積するようになってきました。そのため、天明元年(1781)に大改革を行って現地に代官所を置き、所付代官を赴任させることになりました。水野代官も天明元年に設置され、初代代官には林奉行の水野正恭が就いたそうです。現在、水野代官所跡地には小学校が建っています。 

■三社大明神社 

三社大明神社は中水野の村社ですが、初めは水野三村の氏神であった尾張戸神社の里宮として創建されたと伝えられています。社叢の中には、「マルバタラヨウ」というモチノキ科のモチノキとタラヨウとの交雑種の植物があり、平成8年(1996)に学会誌に新種として報告され、市指定天然記念物に指定されています。葉の違いなどの説明書きがありましたが、さっぱり分かりませんでした。

■東光寺 

 臨済宗妙心寺派の寺院で、定光寺の末寺として永正元年(1504)に雪心和尚により開基と伝えられています。 

■殿様街道 

 東光寺近くから定光寺方面に繋がる道は、尾張藩主の行列が通ったことから「殿様街道」と名づけられています。尾張藩初代藩主徳川義直が葬られた定光寺への墓参りの道として、また、水野で行われた狩りのために通う道でもあったようです。 

 そんな水野地区を雨中に巡っていると、中水野駅近くにコーヒー・サクラさんがあったことを思い出します。そこで、場所を思い出しながら店舗へ向かい、テイクアウト用のサクラブレンド(200円)を注文します。エアロプレスで淹れたコーヒーを飲みながら、ひょっとすると、ご先祖様が住んでいたかもしれない水野の地を後にしたのでした。 

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コメント: 2
  • #1

    水野豊富 (火曜日, 23 1月 2024 13:11)

    水野の先祖の足取りを追っていますが、未だわかりません

  • #2

    まめ蔵 (火曜日, 23 1月 2024 16:15)

    私の場合、戸籍からルーツを探ると多治見市小泉町まで辿ることができます。ここも昔は瀬戸から陶工がやってきて、陶器作りが盛んだった場所です。まあ、ルーツを探ることも大切ですが、今をどう生きるかが最も大切ですからほどほどに。