ブルンジのこと

 先月末から、ブルンジのコーヒー豆の販売を開始しました。そんな矢先、AFP通信からブルンジの大統領が急死したニュースが入ります。それまで気にもしていなかったアフリカの最貧民国であるブルンジでしたが、なんだか急に身近な話題になるから不思議なものです。 

 AFP通信(610日)によれば、『東アフリカ・ブルンジのピエール・ヌクルンジザ(Pierre Nkurunziza)大統領(55)が、心不全のため死去した。同国政府が9日、発表した。15年にわたり波乱に満ちた政権を率いたヌクルンジザ氏は、数か月後に退任する予定だった。 大統領府の発表によると、ヌクルンジザ氏は6日にバレーボールの試合を観戦した後に体調を崩した。一時快方に向かったが、8日に容体が悪化し亡くなった。』とあります。 

 ヌクルンジザ氏はキリスト教福音派で、内戦終結後の2005年に議会での大統領選挙で当選後、2010年には再選を果たし、さらに、2015年には大統領の三選禁止規定が変更して3選を果たしますが、その際には、野党による憲法違反だとする非難と、激しい抗議デモやクーデター未遂の発生し、少なくとも1200人が死亡、40万人が国外に逃れたといいます。 

そんなアフリカの最貧民国であるブルンジについては、ブルンジ人の夫と結婚して2016年から永住している日本人、ドゥサベ友香さんのブログを読むとニュースだけでは読み取れない現実を知ることが出来ます。前回2015年の選挙については、『現職大統領が憲法で規定されている2期という期間を越えて3期目へと出馬し、野党やその支持者が反発。それに対して政権与党やその支配下の警察、諜報機関、民兵が、野党や市民、メディア、人権活動家らに対して重大な人権侵害(超法規的殺人、誘拐、拷問、暴力、脅し)を繰り返し、欧米は政権を非難すると共に財政支援をカット。国民は、人権侵害のみならず、経済停滞と慢性的な貧困と飢餓に、今でも苦しみ続けています。』 

また、『野党への人権侵害を続け、人身売買(女性のアラブ諸国への販売)で資金を稼ぎ、全ての報道メディアを追い出し、気に入らない者は抹殺し、その上で一部の人だけが権力と富を享受しているというのは、この国に生きる1人の責任ある大人として許せることではないです。でも何もできないですけどね。本当に殺される国です。』とも綴られており、同時期に大統領の三選禁止規定が変更されたルワンダ、コンゴ共和国とは大きく異なっています。 

コンゴでは抗議活動はほぼ封じ込められ、ルワンダでは抗議活動すら起こらなかったなど、抗議活動の強弱は、反政府勢力の組織力に依存するところが大きいようです。ルワンダとコンゴでは、1990年代の内戦に勝利した武装勢力が政権を握り、国内に強力な反政府組織が存在しないうえ、経済的資源の分配を通じて反対派を懐柔できました。一方、国際社会の仲介によって内戦が終結したブルンジでは、権力分有制度のために反政府勢力が強い影響力を保持し、また反対派を懐柔するための資源も乏しかったのです。ブルンジが民主的な政治制度を採用しつつも、それを形骸化させる政権の姿勢に違いがあるのです。 

そんな最貧国に生まれる意味や生きる意味を彼女は次のように綴っています。『もしかしたら、「物質的に恵まれない人たちは心が満たされている」というイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。これは、「毎日おなかいっぱい食べることができて、健康で過ごせるなら」という条件がつかない限り、成り立たないと私は思います。そして、ブルンジでは、この条件が成り立つ人は、多くないと思います。例え、お金がなくとも、毎日家族と笑顔で食卓を囲むことができるなら、それは幸せな人生で、それだけで生きてる意味があると思います。でも、ブルンジ人の多くから、そういった幸福が感じられないから、虚しいのです。』といいます。 

そうした虚しさの中でも、夫の叔父の葬儀を体験する際に、『世界の果て、最貧国の、貧しい村の、貧しい家族の儚さと、彼らが紡いできた愛という、今まで私の中でつながらなかった2つが合わさったのを目の当たりにして、とても悲しくて虚しくて、私もしばらく涙が止まりませんでした。今でも、ブルンジ人の生に対する虚しさは消えません。一方で、埋葬に参列した後は、せめて最期だけは美しく送ってもらえたら、愛を与え・与えられたと実感できたら、せめてもの救いだと感じるようになりました。』と、貧しさの中の灯りを感じています。 

日本と比べてどうかではなく、日本だからよかったでもなく、現実を知りながらあるべき姿を考える時間を持てたのも、ブルンジのコーヒーを扱ったからです。