冬の風物詩

 1月には庭の水仙が咲き、家の一輪挿しに花が飾ってあります。そして、昨日は妻が「梅の花が咲き始めたよ」と教えてくれました。お店の中にいると外の変化に気付くことも少なくなるため、出来るだけ季節を感じるような生活に心がけたいものです。そこで今日は、恵那市山岡町下手向方面へ向かい、冬の風物詩でもある寒天作りを見に行くことにしました。 

 寒天の原料は海で取れる天草です。「なぜ海のものが山で?」と思われるかもしれませんが、山岡町の昼暖かく、夜が寒いという気候に理由があります。寒天の名の由来は「寒ざらしのところ天」から来ており、夜の寒さでところ天が凍り、昼の暖かさで水分が溶けて落ちる。それを繰り返し、水溶性の食物繊維を多く含んだ良質の寒天ができるのです。 

 山岡でも寒天作りが行われているところは下手向、上手向と呼ばれる地域ですが、今年は暖冬ということもあって、寒天作りをしている作業場は一部しか見られませんでした。ちょうど小雪が舞い落ちる中で数人の方が作業をされており。何枚かの板の寒天は綿帽子をかぶっています。寒天作りの最終工程の作業だけは人目に触れることができますが、それまでに多くの時間と労力が必要とされます。 

 細寒天の作り方は、先ず原料となる天草を48時間水に浸け、塩分、貝殻、土砂が取れやすくした後、ドラム式洗浄機で水洗いします。その後、鋳鉄製の釜に入れて約12時間煮込み、ろ袋に汲出してコンクリート製の重しをのせ搾り出します。それを凝固船と呼ばれる箱に流し込んで約20時間かけて凝固させます。さらに、凝固したものを羊羹状に切って乾燥場へ運び、よしずの上に羊羹状のところてんを大きな天筒で突き出し、手で同じ厚みになるよう広げます。そうやって凍結、乾燥を繰り返すのですが、凍結させる際には「凍てとり」と呼ばれる、氷点下0度になった際に氷をふりかけて凍結を促す作業も行われます。 

 こうした冬場の作業には、多くの出稼ぎ労働者が携わってきました。現在でも東北からの出稼ぎにこられる方によって支えられていますが、かつては、上越市の旧安塚町から冬場の出稼ぎ先として、最盛期は数百人の人達が寒天づくりに来られており、それが縁で昭和52年山岡町と友好町村を締結しています。 

 その頃の様子が、中日ニュースの昭和53年2月資料映像にも残されており、「大正末期、米作農家の裏作として政府が奨励して以来、今日まで栄かえ・・(中略)今、この町に寒天生産にたづさわる人は300人程いるが、このうち80人が新潟県の安塚町からの出稼ぎである。」とあります。 

 1年ぶりに冬の山岡町に訪れ、季節を感じながら歴史を振り返るのもいいものです。