大洞の穴弘法

 昨年の秋、土岐市土岐津町高山の穴弘法ライトアップを見に行き、お客様との会話の中で話題にした際に、「土岐津町の大洞地区にも穴弘法がありますよ。」と言われたことがあり、一度行ってみたいと思っていました。そこで、今回、その大洞の穴弘法へ行ってきたのです。

 大洞地区とは、土岐市から多治見市へ向かう国道19号を神明峠を過ぎたあたり、ちょうど道路の右側のイオンのショッピングセンター建設予定地の反対側となります。パチンコ店の見える信号を左に曲がり、幾つかある倉庫を過ぎると民家がちらほら、さらに細くなった道を登ると灌漑用の大洞池が見えてきます。 

この池の傍にお地蔵さんや石碑があり、「佛窟山弘法大師」の文字が読み取れます。左の岩山を見ると朱色に塗られた手すりが岩壁に続き、奥には目立つように赤い五輪の塔が立ち、その手前にプレハブ造りのような祠がありました。祠の右の岩肌には、石仏が頂上まで続いているかのように立ち並びます。 

岩肌に無理やり括り付けたようなプレハブ造りの祠の扉を開けると、奥には岩を掘った洞穴のようになっています。いったいどうやって固い岩を掘ったのか不思議なのと、神秘的な冷たい空気のためか、タイムスリップしたような気分になってしまいます。少し奥に目をやると、何体かの石仏と木彫りの仏様が並んでいました。まだ1月中旬ということもあり、お参りできるよう綺麗に飾り付けがされています。

 この穴弘法は戦前からあったらしく、いつ造られたものかは分かりませんが、随分古い歴史があるように思え、その穴弘法を地元の方々によって守り続けられている光景を見ると、昨年見た高山の穴弘法や、地域で行われる「弘法様」と呼ばれる子供にお菓子を配る風習など、弘法大師の存在が未だに大きいことに気づかされます。

 弘法大師は、仏教界に多大な影響を与えた高野山金剛峯寺、真言宗の開祖である空海のことです。弘法大師という名は、空海の死から83年後に、後醍醐天皇から贈られた諡号(しごう)です。諡号とは、貴人などの死後、生前の功績を評価して贈られる名のことをいいます。つまり、空海が生きていた時には、お大師様と呼ばれることはなかったことになります。

 そんな弘法大師には、全国各地に数多くの伝説が伝えられており、その数は5千以上とも言われ、杖をつくと水が湧き出たり、術を使って人々を助けたりと、まるでスーパーマンのような逸話がほとんどです。空海が体系化した教義である真言密教の教えと、私たちが知っている弘法大師への信仰は全く別のものとなり、人々が求めていたものは救世主の理想像である弘法大師だったのかもしれません。