コピー紙の中に写る人々

 先日、珈琲狂がお店に立ち寄られた際に頂いたのが、1975年(昭和50年)に発刊された、月刊喫茶店経営別冊 『たのしい珈琲』No.2(柴田書店)の「美濃焼 妻木町染付銅板」という記事のコピーでした。

 その記事は、1354年(文和3年)初代妻木城主土岐頼重が菩提寺として開山したといわれる祟禅寺の写真が最初に目に入り、次のページの出だしは、「妻木の町にとってコーヒーは、ハイカラな飲み物でもなければ、仕事のあいまに欠かせぬ相棒というのでもない。上野黒門町に可否茶館ができるよりも早く、コーヒーは妻木の男たちの生活の糧であった。このコーヒーカップの肉の薄さを見るがいい。精緻で、それでいて暖かいこの線を見るがいい。彼らは焼いたのだ、この山深い美濃の町で、一つ一つのカップに家族の暮らしと職人の誇りをかけて・・・」といったドラマチックな書き出しで始まります。

 実際、作っていたコーヒーカップでコーヒーを飲むこともなく、麦茶あたりを飲んでいたであろうし、家内工業の工場(こうば)では一家総出で男たちや女たちが土埃の中を、朝から晩まで働きづめであったことが地元に住む私には容易に想像できます。

 染付銅板についても同様で、共働きの両親のもとでは工場(こうば)が遊び場でもあり、小遣いをもらいに行く場所でもあり、そうした環境の中で転写(銅版転写法とよばれることから単に転写といっていた)を貼る光景は日常の中にありました。

 そもそも染付銅版とは、陶磁器用絵具を用いて銅版印刷し、紙に刷られた文様を器面に転写する絵付けのことで銅版絵付けと言います。名前からして銅版を直接あてて絵付けをすると思いがちですが、銅版によって印刷するのは紙の方で、器面へはその紙をあてて転写絵付けするのです。

  現在はシルク印刷が多くなり、銅版印刷に関わる人も少なくなってきましたが、コーヒー豆を購入されている方の中にも、原板となる銅版彫刻をされる方がいます。銅版彫刻はロウで被膜した銅板に鉄筆で文様を描き酸で腐食する、いわゆるエッチングの手法により行われます。この場合、文様の濃淡がすべて斜線で表されることに特色があり、焼成された状態を想像しながら職人技で仕上げていきます。

 そうして作られた銅版に顔料を塗り、余分な顔料を拭き取って和紙を乗せプレス機にかけます。こうして和紙に顔料が印刷されたものが「銅版転写紙」になります。この転写紙を素焼き又は生地に、あらかじめ少量の水を含ませた刷毛、またはスポンジで軽く生地を湿らせ、転写紙生地にあてて刷毛(またはスポンジ)で押さえながら、全体的に張り付くまで数回繰り返し、転写紙をゆっくりとはがすと絵付けができる仕組みです。

 この月刊喫茶店経営別冊 『たのしい珈琲』No.2が発刊された1975年には、日本ではすでにインスタント・コーヒーが輸入され、1960年に森永製菓によって発売された国産初の商品も大ブームを巻き起こした後なのですが、コーヒーに関心を持つよりも、生活の糧であるコーヒー椀にしか興味が湧かなかった時代であったことを思い出しながら、白黒写真のコピー紙に写る人々を見つめていたのでした。