源内カウヒイ

 青森へ旅行したご縁か、弘前市から陶器の仕入れにやってきた方が来店されたり、土岐市内の兄の元へ来たと言って青森市から訪れた方が続きます。そういえば、春には青森市内のラジオ局でパーソナリティーをしている人も来たりして、何だか不思議な縁があると思っていると、昨日は、東京の実家へ帰った際に「藩士の珈琲」の新聞記事を見つけたと言って、わざわざ記事の切り抜きをいただきました。

 その記事の中には、『江戸の香り コーヒー再現』と題して、「藩士の珈琲」を再現した成田専蔵珈琲店の店主、成田専蔵さんの活動を紹介するものと、秋田県で陶磁器やコーヒー豆などを扱う「南蛮屋あおい」(秋田市)の店主、青井智さんが、現在の仙北市角館を訪れた平賀源内が1773年、解体新書の挿し絵や秋田蘭画などで知られる画家・小田野直武に「南蛮茶(コーヒー)」を振る舞ったとの記録を見つけ、角館ゆかりのコーヒーとして1年ほどかけて再現し商品化した「源内カウヒイ」も紹介されていました。

 「(コーヒーは)焦げくさくして味ふるに堪えず」などの古文書の記述を手掛かりに、炭火焙煎したブラジルやコロンビアなど数種のコーヒー豆をブレンドするなど試行錯誤を重ね、苦みを生かした商品に仕上げられているそうです。クラウドファンディングで資金を調達し、知人の協力を得て平賀源内作の「西洋婦人図」(神戸市立博物館蔵)を商品パッケージに使ったもので、「藩士の珈琲」同様に美味しさを追求したというより、歴史的な背景を利用して町おこしをしようという発想が楽しそうでした。

 平賀源内と南蛮茶(コーヒー)の関係が気になって、「阿仁異人館・伝承館」(北秋田市)や「平賀源内記念館」(さぬき市)の資料を見てみると、確かに平賀源内が秋田へ鉱山開発の指導に招かれていたのは事実のようです。

 『阿仁鉱山(あにこうざん)は、秋田県北秋田市にあった鉱山であり、金、銀、銅が採掘され、とくに銀鉱、銅鉱の産出が多く、1716年(享保元年)には産銅日本一となり、長崎輸出銅の主要部分を占めた。御用鉱山から久保田藩(秋田藩)の藩営となり、明治初年に官営鉱山となったのち、1885年(明治18年)に古河市兵衛に払い下げられた。閉山されたのは、1978年(昭和53年)のことであった。 』という歴史の中で、『1773年(安永2年)、秋田藩は幕府より1万両を借り入れ、幕府直営鉱山の開発に実績のあった平賀源内を招聘し、銅山経営の立て直しを図った。同年、平賀源内は鉱山士の吉田理兵衛とともに阿仁鉱山を訪れた。』とあり、平賀源内の足取りは理解したものの、南蛮茶(コーヒー)を小田野直武に振る舞ったといった記述は見つけることはできませんでした。

 しかし、平賀源内ならありえるし、そうした歴史的な背景の中で飲まれたコーヒーには夢があって面白そうです。ただ、美味しそうかと思って「源内カウヒイ」を取り寄せようとは思いません。きっと苦い経験になりそうですからね。

 コーヒーの売り方には色々あって面白いものです。「〇〇のCOE」だとか「希少品種」、意味も分からないままに「スペシャリティー」とかいって、さも美味しいかのようにPRする売り方や、「藩士の珈琲」や「源内カウヒイ」のように、美味しさよりも楽しさを感じさせる売り方もあります。私は後者の方が楽しくて好きだな。