藩士の珈琲(2)

 「藩士の珈琲」を取り上げたところ、珈琲狂から過去のブログ記事を教えてもらい、「あのプロイセンの蝦夷植民地化案がここで関わってくるんだと。」とコーヒーとの繋がりの深さに驚きました。
 そこで、もう少し幕末の蝦夷地について調べてみると、稚内市の発行した『天明の蝦夷地から幕末の宗谷』(稚内市教育委員会:2009年)を見つけました。そこには、天明の蝦夷地探検から幕末の蝦夷地再直轄まで様子が記載され、壮絶な宗谷警備の記録を知ることとなります。
 幕末の宗谷の頁ではコーヒーについて記載されており、「この時代の越冬に用いられていたものにコーヒーがある。享和3年(1803年)に蘭学医の廣川解が、コーヒーには水腫病に対しての薬効がある(コーヒー豆に含まれる水溶性ビタミンB複合体の一つにニコチン酸)ことを発見している。津軽藩士が越冬のため犠牲になった4年前に知らされていたことになるが、残念ながらその時代にはまだ知らされていなかった。それから50年程が経ち、幕府が再直轄した時には、水腫病の予防薬として和蘭コーヒー豆が配給されたという記述が残されている。その記述には『和蘭コーヒー豆、寒気をふせぎ湿邪を払う。黒くまでよく煎り、細かくたらりとなるまでつき砕き二さじ程を麻の袋に入れ、熱い湯で番茶のような色にふり出し、土瓶に入れて置き冷めたようならよく温め、砂糖を入れて用いるべし』とあり、当時コーヒーは一般に出回っておらず、庶民ではこの頃口にしたのが初めてではないかといわれている。」のようにある。
 この資料が発行された2年後、弘前医療福祉大学短期大学教授の早川和江氏が、 (社)日本家政学会63回大会(2011年) で、『蝦夷地警備藩士の飲用したコーヒーが健康に及ぼした影響』と題した発表をされており、「蝦夷地での藩士たちを脅かしたのは寒さと浮腫病(水腫病)であった。この病は「腫レ出シ後心ヲ衝キ落命ニ至ル」といわれ、罹患した者の多くは死亡したという。現代でいえば脚気、または壊血病ではないかとされている。1803年に蘭学医・廣川獬が『蘭療法』の中でコーヒーには浮腫病に対する薬効があると説いているが、コーヒー抽出液には脚気、壊血病に有効な成分は含まれていない。一方、蝦夷地での藩士たちの生活は、厳しい寒さと多湿な環境に対して簡便すぎる住居と保温性の低い衣服や寝具、また偏った食生活のため栄養状態も悪く、藩士たちの多くが凍傷、低体温症を患っていたと推察される。これらの疾病は浮腫・むくみ・不整脈・心室細動といった症状を呈し、悪化すると致命率も高いなど浮腫病の症状と一致する。以上のことから、ここでいうコーヒーの薬効とは、コーヒーに含まれるカリウムの利尿作用、またナイアシンの血流改善効果などを指すと考えられ、浮腫病の予防、症状緩和という点において藩士たちの健康維持に有効であったと結論づけられた。」とまとめています。
 以前、宗谷岬を訪れた際には、「日本最北端にやってきた。」と到達証明書をもらって喜んでいましたが、次回は少し歴史の風を体を感じながら訪れたいと思ったのでした。もちろん、コーヒーを飲みながら。