「半分、青い。」が丁度良い

 昨日の夕方来店されたお客様が、「今日は飲んでいきます。」とカウンターに座られました。普段はコーヒー豆を購入して一言二言声を交わすだけなのですが、今日はじっくり座って話ができます。(もちろん座るのはお客様で、私は立ったまま)コーヒーを淹れながら何気ない会話を始めると、意外にユニークな経験の持ち主であることが分かります。
 バッグパッカーとして世界を放浪したり、キー局の海外リポート番組のADとして世界中を巡った経験を聞きながら、コーヒーの話題を絡めて中米、南米、そしてアジアにアフリカ、さらにはヨーロッパまでの食文化や内戦にいたるまで、幅広くて楽しい話ができたのです。人は見かけによらないなんていいますが、毎日様々な方とカウンター越しに話をすることができ、申し訳ないくらい楽しんでいます。

 珈琲屋としての持続可能性を考えれば、自分が楽しむことばかり考えないで収益性や効率性も意識しなければなりません。けれど、青臭いと言われても、お客様との接点を大切にしたいと思っています。開業してから3年程の経営者としては青二才であっても、コーヒー豆という物を売るだけが仕事ではないのではないか、そう考えています。

 ところで、年が若いとか未熟という意味で使われる「青二才」。この"青"はどこから来ているのかというと、どうも、幕末にまで遡るようで、幕末になるまで男性は一人前になると前髪を剃り上げており、これを月代(さかやき)というそうです。(私は自然にそうなっています。)その剃り跡が青く見えるのは未熟である証拠だったのだということです。現在でも、熟れる前の果実を「まだ青い」といったり、未熟な瓢箪を「青瓢箪」といったりと、"青"は「未熟な」という意味で使われていますね。
 さらに、『目からうろこ!知っているようで知らない日本語』(宮腰賢著 評論社)によれば、古い日本語において、色は"赤"と"青"しかなく、緑色も"青"だったんだとか。虹の七色でいうと、赤、橙、黄色、そして紫色は"赤"、緑色、青、藍色は"青"であり、"青"はブルーだけでなく、グリーンやインジゴブルーを含むものだったのだそうです。

 自分もそこそこの年齢になったので、「半分、青い。」くらいが丁度良いし、そもそも、色の半分が青色なんだからって思えば、しばらくは今のようなスタンスで生きていきたいものです。