3.11を読み返す

 3月11日が近付くと必ず読むブログがあります。それは、震災に伴う災害対策支援医療チームの一員として参加した、東京の救命センターで働く看護師の方の記録です。彼女が3月16日から23日まで陸前高田で体験し感じた生の声を、電波の繋がらない携帯に毎晩記録し、後日まとめて掲載されたものです。

 震災直後から毎日悲惨な映像がテレビから流れていました。けれど、テレビで映されているのは報道規制のなかの範囲内での映像でしかありません。自分が知り得る情報はマスコミが忖度した限られたものでしかなく、ネット上に流れる情報の中から、信頼できそうなものを選択しながら見ていたのです。そんな時に偶然知る事とになったブログからは、テレビで流せない現状を彼女の目で、ありのままに伝える地獄絵のような実態でした。

 『風が吹くとどこからか、セピア色の写真や赤ちゃんの写真付きの年賀状が足元に飛ばされてくる。そして一歩二歩歩くごとに赤い旗がヒラヒラ揺らいでいる。しかも数えきれないおびただしい数の旗。「この赤い旗は遺体が見つかった場所に立てられています。」正直つらかったです。ある旗の前に佇んでいるお婆さん。私のお婆さんと同じくらいの年だったかな?「東京の看護婦さん、ここにおじいちゃんが戦後一生懸命働いて建てたおうちがあったんだよ、おじいちゃん病気ひとつしなかったのに死んじゃったよ」人間の感情があるから泣くなと言われても無理でした。リーダーナースが飛んで来て、私の耳を引っ張って車の陰に連れて行かれて、すっごくおこられました。怒られようがもう自分は、素直な感情でここでやっていこうと思いました。』

 彼女が現地へ向かう前に、リーダーナースとして指揮をとる方からの言われます。『想像以上に現場は壮絶。甘い考えやボランティア精神の人はここでリタイアしてください。 現場ではどんな状況下においても絶対に泣かないこと。 私達は同情しに行くんじゃない。看護、医療を提供しに行く。あなたたちが泣きたい気持ちなんかより、現地の方々はどんなに泣きたいか。こんなに裕福な東京医療チームの涙なんて、現地の人には迷惑や嫌味だからね』こんな事を言われてしまうと、安全な場所で温かい食事をしながらテレビの画面を見ている自分が恥ずかしくなり、安易に「被災地のために!」なんて言えなくなってしまいました。

 震災に対する思いや行動は人それぞれでしょうが、自分にとっては「忘れない」を第一に考え、毎年この時期になると彼女のブログを再び読み返すことにしています。