最後の一杯

 今月の手話サークル学習会で、クジを引いてトークテーマを決め、小グループで手話を使って会話をすることになりました。その中のテーマに、「最後の晩餐には何を食べる?」という御題があり、グループ内では「寿司」、「カニ」、「ステーキ」なんてのが出てきましたが、私の場合は現実的になってしまい、何を食べるかではなく、どこで食べるかというのが重要で、最後は自宅で家族と共に食べたいと言ったのです。

 生きていれば必ず最後の日があり、そんなことは誰もが承知しているものの、自分の死に対して日頃から意識している人は、病を患っている人以外ほとんどいないのが実情です。SF映画の世界のように、政府から「あなたの寿命は何時です。」なんて決められる訳もなく、分かってはいるものの、いつ来るかいつ来るか毎日ドキドキする生活は送らないのですから。

 お店に来店される高齢の方は元気なので、永遠に生きそうなくらい噂話で盛り上がっています。けれど、現実には数人の方が旅立たれており、もうカウンターに座る事もないのです。旅立つ順番にはルールはなく、人によっては突然その日がやってくるもので、年齢性別に関係なく事故や災害は襲ってきますし、医師から宣告されるかもしれません。だからこそ、今、提供するコーヒー一杯を大切にしたいと思っています。自分自身の最後の日でもあるかもしれませんからね。

 毎朝、朝食後に妻へコーヒーを淹れているのも同じです。日々後悔しない生き方の一つであり、旅だった後では一杯のコーヒーも飲むことは出来ないのです。人生最良のコーヒーになるかは微妙なんですが、自分が提供できる現在最良のコーヒーを目指して、妻にもお客様にも「最後の一杯」のつもりで淹れるのです。

 そんな事を書いていたら、先日から考えていた「カフェって何だろう?」の答えにしっくりくる言葉が見つかりました。『お休み処』だな!色々な人がお店を利用し、人生の途中で体や心を休め、またドアを開けて現実と向き合う訳で、それぞれの人が休める場所とコーヒーを提供するだけなのかもしれません。理屈をこね回す必要はないかも。そう考えると、毎日『お休み処』にいる自分は休んでばっかりってことになるか?確かに休んでばっかりいるワ!納得!