アウシュヴィッツのコーヒー

 以前に読んだ『コーヒーが廻り 世界史が廻る―近代市民社会の黒い血液』(中公新書、1992)の著者である、臼井隆一郎氏の新著『アウシュヴィッツのコーヒー コーヒーが映す総力戦の世界』をやっと読み終えた。やっとと言うのは、腰痛で椅子に座って本を読むことが辛かったことと、そもそも痛みがあると何もしたくないといった精神的なものだった。それに読みやすい小説ではないため、歴史的な語句をGoogleで頻繁に検索したり、文章では理解できなかったヨーロッパの歴史をYouTubeの動画で学習するなど、ページをめくるスピードが遅くなったせいもあります。

 そうまでして時間をかけ何故読んだかといえば、「コーヒー」に関わる題材であると同時に、アウシュヴィッツという狂気の殺人工場を同じ人間が作り上げた事実が、単に歴史上の出来事ではなく、ヨーロッパの植民地支配の歴史と多くの戦争によって起きてきたことを忘れないためでもあります。

 この本の内容については、「はじめに」に記載されたものをそのまま転記します。『戦争が総力戦の段階に入った歴史的時点で、戦時と平時が明快な区別線をもたなくなった。コーヒーを飲みたいという個人的な欲求が国民的欲求となり、それが国民的欲動となって植民地獲得の動きと化し、ついには世界総力戦に入り込む。そうなれば、一杯のコーヒーさえ飲めれば世界などどうなっても構わぬと考えていた人間が、どのような世界に入り込んで苦しむことになるかの典型例をドイツ史が示していると思われるのである。そして、そのドイツを見続けていると、その回りにアラビアやアフリカの国々が蝟集し、ついにはユーラシア大陸を貫いて極東アジアや日本をコーヒー色に染め上げる筈である。』

 コーヒーが日常生活に溶け込んでいたドイツだからかこそ、兵士の指揮を上げるためにコーヒーが使われたり、アウシュビッツの毒ガス室に送り出す言葉に利用されるなど、コーヒーを扱い者として辛い過去を記憶に留めておきたいと思ったと同時に、イギリスのEU離脱やアメリカでトランプが大統領選挙で勝利し、韓国の政治経済が危機的状況と重なる混沌とした時代で、ロシアや中国がほくそ笑んでいる様な世界情勢の中、「歴史は繰り返す」という言葉がついつい脳裏に浮かんでしまうのです。