誰かのために

 先日、転職した友人が来店して雑談した際に、「自分のために働くのには限界がある。」と一言漏らしました。家庭環境や諸事情によって発せられた言葉なのですが、同時に、「自分のために生きるのには限界がある。」とも取れる言葉でした。幸いにも守るべきものがあるため、働くモチベーションになっているようで安心しましたが、人は一人では生きられない生き物だと感じさせた言葉でもありました。

 コーヒーの豆売りをしようと思ったのは、家庭で楽しんでもらうためです。誰かのために淹れるコーヒーは面倒で手間のかかる作業ですが、だからこそ相手に対して想いを込められるものだと思うからです。一昨日、お店で飲んだ美味しいコーヒーを家でも淹れたいと、しまってあったコーヒーメーカーを物置から出してきて、家族のために使うんだと豆を購入するため来店された方がありました。

 面倒なことをしてみようと思ったきっかけは様々だと思いますが、そこに至った想いには何かその家庭のストーリーがあったのかもしれません。「昔はよく淹れていたものだけど。」と話され、「久しぶりに帰ってくる息子に飲ませるんだ。」と続く言葉には笑みがこぼれていました。

 今日もコーヒー豆を購入するお客様がありました。これで開店から毎日続いています。最初はこの町では難しいかもと思っていましたが、家庭で淹れるコーヒーを想像しながら、これからも誰かのために焙煎していきたいと考えました。